ジャワ島西部沖地震・津波現地レポート No.2

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<10日後の避難生活>
さて、津波から10日経過した被災地は、一応に落ち着いた雰囲気ではある。ただ、家を無くし簡易テント(竹の支柱にブルーシートで覆っているだけ)で暮らしている人たちにとっては、もう限界だろう。不安の一つは、10月になれば雨期に入ることだ。10月までまだ十分時間があるのだが、このままのテント生活からいつ脱出できるのかという不安だ。災害直後は、ともすれば安全よりも安心感を与えることが大切だ。ある日本のNGOがこの状態を憂慮し、いち早くしっかりしたテントの供与を検討していると聞いた。まさに、被災地のニーズにあった援助の一つだろう。同じく日本から来ていて嬉しくなった。
帯の空間だが、みんなそれぞれでその場で煮炊きをしている。日本の災害時避難所では考えられない光景だが、災害救助法に「簡易調理施設」の設置が認められているのは理解できる。いわゆる「はじめの一歩」としての自立生活を促すという意味では、凄いことだなあと感心させられた。また乳飲み子を抱えたお母さんは、人目も気にせずオッパイをだして赤ちゃんに授乳させていた。
この村では死者74人、行方不明者7名、乳児が41名、6歳~15歳が70人だそうだ。こちらでは、こうした基礎的なデータがしっかりしているのが特徴だが、その原因は各地域にある「POSKO」という地域の最小単位にもある救援拠点のためだろう。また、このPOSKOは、被災地外の州政府のPOSKOというのもあり、赤十字関係者や警察関係者のPOSKOもある。今回程度の被害ならば、これほどPOSKOが張り巡らされていれば直後の緊急救援体制も、その後の復旧・復興もそつなく、網羅的に行われるだろうと推測できる。