つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.14
【写真】村の共同調理場 |
【写真】ジャヤン村の人々 |
イモギリ地区のジャヤン村のではブルーシートと竹で作った簡素な共同調理場で当番制でお母さん達が料理している。お米は近所の農家の人が米を持ってきてくれるという。また、すぐ横には井戸を使った共同の水浴び場も作ってあった。女性が浴びる時は、見張り番を置くという。そして家をなくした多くの村人はトイレを川で済ませているという。また、全壊の人は勿論、半壊の人々も今尚続く、余震の恐怖の為家の前の道路にブルーシートの屋根だけの掘建て小屋をガレキの中から取り出した角材などで工夫して作り、そこに寝ている。年中30℃近い熱帯の気候では、寒さの心配はないが、それでも長期化してきているこの生活にはかなりの無理がある。
この村の第1RT長のカミジョーさんにお礼にほんの少しであるが、救援物資の食料を渡そうとしたらPOSKO(物資配給所)に入れてくれと言われた。個人が勝手に貰う訳にはいかないのだろう。村の掟である。
別れ際に中学校の先生のムジマさんに神戸からのメッセージ「まけないぞう」を渡すと、「今まで外国人はこの村には来ませんでした。もしお金があるのなら子供たちの為に学校を建ててください。」と。そしてこんな言葉も。。「あなた達が来てくれて、希望が持てました。いろんな事を聞いてくれて、私も頑張ろうと思いました。ありがとう。」
地震から一ヶ月。今なお、こうして人々は被災地で助け合いながら生きている。。。
*関連情報を「World Voice」(http://www.code-jp.org/wv)に挙げましたので、こちらもご覧下さい。