ジャワ島中部地震ニュース 第28報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.11
被災地バントゥル県は農村部で貧しいと言われる。が、実はもっとも貧しいのは、その東部のグヌンキドゥル県である。山岳部で土地がやせているのが、その所以だ。
バントゥル県からグヌンキドゥル県に入ると道は徐々に上り始める。木々の間を数十分走ったPATUKの町周辺は、断層に近いせいか、倒壊家屋が多い。

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【写真】グヌンクドゥルの山間部

県庁所在地であるウォノサリ市の保健局で働うく日本人の女性にお話を聞いた。地震の当日、たまたま旅行に出かけていた彼女は、1週間後にようやく戻って来たという。戻って来た頃には、職場の人々は疲れ果ててしまっていて、今、彼女は思うように動けないという。これから被災地を回ろうとする僕たちに同行しようとしたが、上司から「何かあったらどうするんだ」と反対され、断念せざるを得なかった その後、石灰岩のゴツゴツした岩肌の間を走っていると両脇に広がるキャッサバの畑が目につく。土の中から掘り出したであろう石を使って斜面に石垣を作り、やせた土地でも育つキャッサバを栽培していた。この事か。。
県内を一周するようにバントゥル県の断層のラインに近づくと再び被害がひどくなってくる。
PANGGANG郡では、2人が亡くなっている。役場前にはやはりPOSKOが設けられ、数人の職員とまだ若い学生らしき人がいた。声をかけてみるとやはりボランティアで、ジョクジャカルタ市内の大学から15人ほどで地震の翌日にここに入ってずっと活動しているそうだ。話を聞いた彼はあのスマトラ出身の学生だった。ともすれば取り残されそうなこの辺鄙な山間部にも学生ボランティアがいた。。。