ハイチ地震からちょうど2カ月が経ちました。被災地は緊急を要する「応急対応」の時期から、次の「復旧・復興」の段階に移行しつつあるようです。先日も、ハイチの大統領は、国際社会からの援助に対して、いつまでも救援物資などを投入しないで欲しい!と訴えていたのが印象的でした。そこにはハイチの国の自立がそがれるからというニュアンスを読み取ることができました。この大統領のアピールからは、決して傲慢さは感じませんでした。
このハイチ地震レポート20・21で、14年前の阪神・淡路大震災1年後の被災地からのメッセージを紹介しています。「いま被災地の市民は自ら”語り出す”、”学ぶ”、”つながる”、”つくる”、”決める”行動を重ね、新しい市民社会を創造していく力を養おう」と、これから押し寄せてくる困難に、長きにわたって立ち向かわなければならない覚悟をし、辛抱強く自分と向き合っていました。
地震から2カ月経ったハイチの「いま」からは、阪神・淡路大震災とは異なった、何か底力を感じるような、また心地よささえ感じるような振る舞いを見てとれます。振り返って見ると、阪神・淡路大震災の2カ月後では、被災者の多くはまだまだ、勇気を持って一歩踏み出すことは出来なかったのではないかと思えます。この違いは何だろう?と考えると、よく言われる典型的なラテン系の明るさだけでは説明がつかないようです。おそらく、中南米で最初に奴隷解放を成し遂げた歴史がもの語るように、短い期間かも知れないが、ほんとの自由を掴みかけたからこその強さではないかと学べるように思います。
日本のように「ぬるま湯」に浸かり過ぎて、ほんとうの豊さを掴み切らない状態から脱出するには、「いま」ハイチの人たちが生きている一日一日を見逃してはならないと思うのです。15年前、KOBEの私たちがいのちがけで体感した絆の大切さを、いまハイチの被災者も感じているでしょう。
ハイチ地震レポートNo.35
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