「魚の釣り方」
14年前(1999年)の今日、11月12日にトルコ北西部のデュズジェ市(イスタンブールから東へ約170km)を震源としたM7.2の地震(ボル・デュズジェ地震)が起きた。この地震で死者818名、負傷者約5000名の被害が出た。この4か月前の8月17日には死者17262名、負傷者43953名という甚大な被害を出したイズミット地震(コジャエリ地震)が発生している。この二つの地震災害を総称して「マルマラ地震」と呼んでいる。
8月のイズミット地震発生の翌日、KOBE では49の団体が加盟したトルコ北西部地震・緊急救援委員会(NGO KOBE/CODEの前身)が救援活動を開始した。デリンジェ市では、現地NGOを通じて、女性の集まるテントやサポートセンターの開設や子どもたちの遊び場のテント「愛と希望のテント」の開所などの支援が行われた。また、地域の拠点として「市民文化教育センター」(通称:草地文化センター)が震災後、初の公共工事として再建された。震災前、地域住民はこのセンターで地域の人々に祝福されて結婚式を行うという習慣があった。だからこそ何よりも先にこのセンターを再建したかったのだという。4か月後に発生したボル・デュズジェ地震では、救援委員会はイズミット地震支援と並行して、現地でつながったNGOを通じてデュズジェ市の第5テント村で越冬支援も行なった。
当時の報告書を読み返すと、「第5テント村には直接的な支援は何もしていない。むしろ住民代表にテント村の運営方法などのアドバイスをしているに過ぎない」、「暖かく見守り続け、何もしないことが、最大の支援になる。子ども達の自由な発想に基づいた活動に周辺の大人たちが学ばなければならない」(デリンジェ・愛と希望のテント)と書かれている。あるテント村のリーダーが、救援委員会のメンバーに対して「KOBEのNGOは、魚の釣り方は教えてくれたけど、餌はくれない。」と言ったという。何もしてくれないと非難しているの
かと思ったが、そうではなく、「それが本当の支援だ。後は自分たちでやれる。」という意味だったそうだ。
この「魚の釣り方」の話は支援活動の中でよく聞かれる言葉だが、同様のことわざは世界各地にある。起源は中国の老子の語った言葉、「授人以魚 不如授人以漁」が有力だそうだ。直訳すると「魚を与えることは、漁を教える事には及ばない」ということだが、「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣りを教えれば一生食べていける」という意味である。トルコの被災地でこの言葉が支援者からではなく、被災者(受援者)から発せられたことは非常に大切な事である。被災者が自らそう感じ、そう思ったという事は、自立への第一歩であろう。「自立」や「エンパワーメント」は、支援者との関係性の中から生まれてくるのだろう。14年前のトルコの二つの地震は、そんな事を教えてくれる。
(吉椿雅道)