月別アーカイブ: 2013年10月

No.11 ホンジュラスハリケーン・ミッチ(1998年10月22日~11月9日発生)

 1998年10月下旬、非常に大きなハリケーン・ミッチが中米諸国を襲いました。22日にカリブ海で発生したハリケーンは、カテゴリー5に拡大した後にホンジュラスに上陸し甚大な被害を発生させました。その後もグアテマラ、ニカラグア、コスタリカ、エルサルバドル、ベリーズ、メキシコ、アメリカ・フロリダ州で被害をもたらし、11月9日に消滅しました。このハリケーンによりホンジュラスで約14,600名、ニカラグアで約3,800名、その他の国も合わせると約19,000名もの方が亡くなりました。この災害に対し、日本からは初めての国際緊急援助による自衛隊派遣が行われました。
 CODEは、ホンジュラスの中でも支援の手が少ない大西洋側地域で個人的にボランティアを行っていた、日本人語学留学生の金井さんをカウンターパートとして支援を開始しました。彼女を通じて建築資材の配布を行い、住民主体の住宅再建を行いました。
 このホンジュラスへの支援はCODEにとっての一つの転換点となりました。当時の救援委員会は、支援を行う村の約200世帯全てを支援しようと考えました。しかし金井さんは、「自らの家の再建を少しでもしようという意志があること」、「他の家の再建にも協力すること」という2つのことを再建支援を行う条件として上げました。当時救援に携わった村井理事は、援助に条件を付けることに驚く一方で、これが自立支援ということなのだと感じたそうです。「援助はただ一方的に救援物資を提供したりするだけでは駄目。当事者たちの主体性を尊重しなければいけない。」という金井さんの考えは、翌99年のマルマラ海地震(トルコ)支援の際にも活かされ、被災地に住む住民の「自立」を支援するというCODEの現在のスタンスが生まれました。
 また、発足から間もなくホンジュラスの金井さん、メキシコのクワゥテモックさんとつながり、中米を支援してきた事がCODEの災害支援がアジアという枠を飛び越えるきっかけとなりました。NGOは、国や地域の枠にとらわれず活動していかなければいけません。
 ホンジュラスでは、金井さんをはじめとする人を通じた支援を行い、自立支援を学びました。CODEが現在行っている2013・9メキシコ暴風雨被災地への支援は、日本どころか海外でも報道がほとんどなく、支援が入っていないという状況です。しかし、CODEはクワゥテモックさんを通じることで、情報が少ないメキシコでの活動が可能となりました。18年間52回の支援を経て様々な経験や人とのつながりの積み重ねが、現在行っているメキシコの被災地への支援に活かされています。
(上野 智彦)

No.10 パキスタン北東部地震(2005年10月8日)

2005年の地震に関してお伝えする前に、パキスタンでつい先月24日にもバルチスタン州で発生したマグニチュード7.7の地震について触れておきます。10月5日の政府公式発表では376名が亡くなったと言われています。最大の被災地アワランでは9割以上の建物が壊れました。約18万5000人が食料品やシェルターを必要としていますが、インフラの乏しさや治安の悪さにより支援が難航しています。井戸などの水源も壊れ、人々は炎天下で飲み水さえ十分にない状態に置かれ、マラリアや下痢の発生も報告されています。パキスタン赤新月社やムスリム・ハンズといった団体によって物資配布や医療支援などが少しずつ行われています。
CODEが募金を開始した9月のメキシコ暴風雨災害でも同様ですが、災害時に特に大きな被害を受けるのは普段から脆弱な地域であり、大きな町からアクセスしにくいことや、情勢の不安定さによってさらに支援が滞ってしまいます。
さて、冒頭でお伝えしましたようにパキスタンでは8年前の2005年10月8日にもマグニチュード7.6の大きな地震がありました。北東部の山間地域を中心に7万3338人が亡くなり、被災者は500万人以上となりました。アフガニスタン、イランなどを含めこの地域では家をつくるのに日干しレンガを使っており、これが崩れて住宅の被
害も多数発生しました。
CODEは、地震発生直後はインド側の被災地であるジャンム・カシミール地方で活動したインドのNGO「SEEDS」、パキスタンのバラコットで活動した日本のNGO「日本国際ボランティアセンター」等と情報交換し、緊急支援を始めました。
その後はスタッフが現地入りしてマンセラ、バラコット、バタグラム、バーグなどを中心に調査を重ねるなか、山あいの被災地ムザファラバードでたくましく生きる女性たちに出会いました。農村や山間部に暮らすムスリム女性は、外出や社会的な活動は控えめであるように思われますが、この地域の女性たちのなかには働き手である夫や息子を亡くし、自らが大黒柱として暮らしを営もうとしている人たちがいました。
村井事務局長(当時)と一緒に30人ほどの女性たちから話を聞かせていただいたとき、阪神・淡路大震災の被災者がつくった「まけないぞう」をプレゼントしました。まけないぞうは、タオルをぞうの形に縫い合わせたもので、被災者の生きがい・仕事づくりとして被災地NGO恊働センターが始めました。現在、東日本大震災の被災地でもこの活動が拡がり、日々まけないぞうが生まれています。
まけないぞうを見たムザファラバードの女性たちは「私たちもこんな刺繍ができるのよ。これを売って暮らしの足しにしているの」と、美しく細やかなカシミール刺繍が施されたクッションカバーやベッドカバーを見せてくれました。私たちも作品と女性のパワーに魅せられ、周囲の女性たちから「私もやりたい」といった声が上がったことから、女性の職業訓練センターの建設が決まりました。完成後は、手芸の上手な方が先生として地域の方に教えています。
まけないぞうやこのセンターのように、地域の中で人が集い、何気ない話をしたり時間を共有する場は大切です。皆さんも、身近なところでちょっとしたおしゃべりをきっかけに深まる交流や情報交換が、日常の問題を解決するパワーになると実感されたことがあるかもしれません。
(岡本千明)