1999年8月17日にトルコ北東部コジャエリ県イズミット市を中心に発生したM7.6のマルマラ海地震、そして3ヶ月後の11月12日、マルマラ海地震の被災地の東方で発生したM7.2のボル地震、2つの災害で、併せて死者18243名、重軽傷者48901名、全壊家屋93152戸という甚大な被害が発生しました。
昨年11月、当時トルコ北西部地震・緊急救援実行委員会委員長でもあったCODEの村井理事(昨年11月時点では事務局長)がJICAのプロジェクトで被災地を約10年ぶりに訪れました。
当時の救援委員会のメインプロジェクトであり2002年に完成した”草地文化センター”は、当初は市民教育センターとして使用されていましたが、現在、デリンジェ市民病院の精神医療部門となっており、日々患者への心のケアが行われています。
この10年間で続けられてきた活動も少なくありません。救援委員会がサカリア県アザパザリのトルコ・日本村仮設で女性の自立支援として進めていた小物作りや縫製作業を2、3人の方が現在も続けており、それを仕事としています。またマルマラ地震救援で連携していた地元NGO・CYDDは、被災者支援プロジェクトの発展型として実施された、女性の生活向上のためのマイクロファイナンスを現在まで継続して行っています。
これらの活動の中から一つの反省も生まれました。救援委員会が支援に入っていた上述のトルコ日本村・仮設は約1100戸もの仮設があったにもかかわらず、その後バラバラに移住し、コミュニティが崩れてしまいました。もし、継続する力を持った地元NGOと結び付き、継続的な支援を行うことができていれば、コミュニティの維持を支援することができたかもしれません。
災害NGOの活動において、発災から時が経つにつれて被災地とのつながりが薄くなることが多くあります。地元NGOの力量を見極め、長く密な関係を維持し、支援を行っていくことは災害NGOの今後の課題となります。
マルマラ海地震からの復興で市民の力が発揮された事例があります。トルコでは地震前は借家に住んでいた600世帯からなる一つの被災者連絡会が現在も存続し、活動しています。この被災者連絡会のメンバーは、長いトルコ政府との交渉により全世帯が持ち家(集合住宅)として供与されることになりました。「本来、家の所有権を持たない借家住まいの人々が国から家の保障をされることは世界でも類を見ない」と村井理事は述べています。
マルマラ海地震をきっかけに始まった支援や活動の中で、14年後の現在までこうして残っているものは少なくありません。上述の”草地文化センター”やNGO・CYDDの活動は災害支援から形を変えながらもその活動は現在まで続いています。災害が発生すれば、災害そのものや直後の被害にだけ目を向け、すぐに忘れられてしまうことが少なくありません。しかし災害の後には応急対応、復旧・復興、被害軽減などが現在まで積み重なっています。災害は一時で終わる出来事ではなく、復興や支援から好例や反省が生まれ、救援活動は別の活動として生まれ変わり、現在まで続くことがあると意識することが「災害を忘れない」中で大切なことなのだと思います。
(上野 智彦)
No.7 トルコ・マルマラ海地震(1999年8月17日)
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