No.6 パプアニューギニア地震(1998年7月17日)

1998年7月17日パプアニューギニア北西部シサノラグーン沖約35kmの地点でM7.0の非常に大きな地震が発生しました。この地震により15mを越える大きな津波が発生し、6000人を超える死者を出しました。当時パプアニューギニアでは、97年から大規模な干ばつが続いており、CODEの前身である阪神大震災地元NGO救援連絡会議でもパプアニューギニア教会協議会をカウンターパートとしての緊急支援を行っている中での出来事でした。
その後、救援連絡会議の草地賢一委員長が現地を訪れ緊急救援資金を手渡しました。またその時、村民の強い要望により山間部へと避難した漁師の村、ウィポン村の小学校「ニマス・メモリアルスク―ル」の建設が行われることが決定、2000年7月に建設されました。しかし草地委員長は病に倒れ、この小学校の完成を見ることなく2000年1月にこの世を去りました。
ウィポン村は、もともと沿岸部に位置していたのですが、津波によって村を流されてしまいました。そこで山間部に村を移転することを住民自らで決めました。また当時の記録にこんな言葉が残っていました。「ここに学校を建てるのか、本当に必要なのか、自分たちで決めましょう。そしてその声を住民全員の声として、アイタペ地区復興委員会に届けましょう。」これは、当時の草地委員長がウィポン村住民との集会で述べた言葉です。被災地の住民が自ら考えての復興が大切であり、NGOや政府は住民がスムーズに復興を進めるためのサポートを行っていく。これによって、住民の考えがより反映された復興が実現するのではないでしょうか。これが、草地委員長の掲げた「復興民主主義」でしょう。
「被災者自らが考え、復興を進める」。同じく津波の被害を受けた東日本大震災の被災地ではどうでしょうか。陸前高田市の長洞集落では住民自らが土地の確保を行い、自分たちが希望する土地への仮設住宅の建設を行いました。このような事例もある一方で、多くの地域では本当に必要なことを自分で決めることがないまま復興を進めています。住民が声を発する機会が必要であるとともに、草地委員長が住民に問いかけたように、被災者自らが決めようとする意志を持つことが大切なのだと思います。その場所に愛着を持つ住民が自らの声を反映させようと立ち上がるべきだということを草地委員長の言葉から感じます。こうしてパプアニューギニア地震で草地委員長が示した「何が本当に必要で、それを自分で決めるということ。」東日本大震災の復興において問い直されているのではないでしょうか。
(上野 智彦)

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