4月6日にイタリア中部ラクイラ周辺を襲った地震の被災者のために、関西を拠点に初期バロック音楽の演奏を手がけてきた古楽演奏家有志が集まり、チャリティコンサートが催されます。コンサートの概要は下記の通りで、収益金はCODEに託されます。プログラムの詳細はチラシ
(http://www.cantoima.com/aquila.PDF)をご覧下さい。
チケットはCODE事務局でも預かっていますので、必要な方はご連絡ください。
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イタリア中部地震被災者支援のためのチャリティ・コンサート
「よみがえるイタリアンバロックの響き~400年のときを超えて」
バロック音楽の発祥の地イタリア。
イタリアの歴史と文化と共に今を暮らす町ラクイラ。
そのラクイラの町と人達を襲った災害。
イタリアでの活動経験を持つ音楽家と、
阪神大震災を体験した音楽家が急遽、
チャリティーコンサートを企画しました。
自分たちを音楽家として育んでくれた
イタリアの古今の人々とその文化へ、
感謝と祈りを込めて。。
(コンサートの収益金はCODE海外災害援助市民センターの活動を通して
被災者支援に充てられます。)
日 時:2009年6月12日(金) 開演7:00pm 開場6:30pm
場 所:西宮市・甲東ホール(アプリ甲東4F)
入場料:3000円(前売り、当日共)
プログラム:カンツォン/T.メルラ、カナリオス/G.カプスベルガー、
お前は何と美しく輝かしい/O. di ラッソ、甘く美しい銀色の白鳥/J.アルカデルト、その他、モンテヴェルディ、パレストリーナ、ガブリエリ等を予定
出演者:緋田芳江(ソプラノ)、進元一美(ソプラノ)、伊藤由美(ソプラノ)、白石愛子(アルト)、岡本雄一(テノール)、今泉仁志(バス)、緋田吉也(バス/リュート)、織田貴浩(テノール・サクバット)、松田洋介(バス・サクバット)、瀬田麗(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、高本一郎(リュート)、吉竹百合子(チェンバロ)、安宅留美子(歌、リコーダ)、上野訓子(コルネット、ミュート・コルネット)、笠原雅仁(歌、コルネット、リュート)
主 催:イタリア中部地震チャリティ・コンサート実行委員会
後援・協力:CODE海外災害援助市民センター
予約・問い合わせ:
”Office principi-venetiani” 075-493-5262(TEL&FAX) 笠原
”Cantoima” 078-851-7627(TEL&FAX) 今泉
月別アーカイブ: 2009年5月
イタリア中部地震支援ニュース11
5月6日夜に行われた「イタリア中部地震報告会」について、報告を行った尾澤のレポートでお届けします。
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イタリア中部地震発生からちょうど1ヵ月の5月6日晩、帰国したばかりのスタッフによる報告会がCODE会議室にて、寺子屋形式で行われました。スタッフ・関係者など含め14人が参加しました。イタリア現地の写真や生の声を知ることができる、よい機会となりました。
さらに実際にプロのクラウンとして活躍されておられる方も参加していただき、報告を通した考察や補足説明をしていただきました。派遣の準備段階からお世話になっている、緊急クラウンジャポン代表の村上さん(主に欧州で活動)、そしてクラウンチムチムサービスのカッシーくんとままれちゃんご夫妻のご指導をいただきながら、クラウンそのものの意義や歴史、それを通じてのコミュニケーションについて、長時間議論が続きました。これからの支援体制や新しいプロジェクト思案について貴重なアドバイスを頂き、大変有意義な時間を過ごすことができました。
具体的な内容・今後の方針については、現地の団体などと連絡を取りつつ、検討してご連絡したいと思います。
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イタリア中部地震支援ニュース10
現地入りしていた尾澤良平は、一日送れで無事帰国しました。JALさまはじめ、みなさまのご支援の賜だと感謝しております。若干24才の人間ですが、こうした貴重な経験をさせて頂いたことで、大きな学びになったことと思います。6日の神戸での報告会では、その充実したイタリア訪問についてたっぷり聞かせて下さると思います。また、6日の報告会には、うまく調整できれば意外なビッグゲストが参加してくれるかも知れません。このことも含めてお楽しみにして下さい。
さて、彼が現地を飛び立つ前に入った被災地「コピート村」での様子や、そこでインタビューしたドクタークラウンの話を紹介します。長くなりますが、ご了承下さい。
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<4月29日>
ちょうどお昼過ぎにコピート村に着いたので、食堂(100m×20m)に連れていかれて、支給されている昼食を頂きました。今回の派遣で2回目です。1度目は例のロシア人友達のいるテントだったのですが、内容がまったく違っていました。そこには大きな厨房があり、専門かボランティアかわかりませんが担当のコックがいる。お肉・ほうれん草・ラザニア・パスタ等がたっぷりありました。それを給食のように、お盆を持って、お皿に入れてもらう。そして卓上にはパンと甘いチョコパンと蒸しパン、オレンジ、水(炭酸有&無)。聞いただけなら一流のレストランかと間違えそうなほどの内容です。イタリアに長く住む通訳Kさんからすると、まあ普通の家庭料理程度かな、という印象だったらしいです。しかし、避難所で家庭料理並みの待遇が与えられている、ということはやはり十分な対応なのではないでしょうか。ちなにみロシア人の彼がいたところは、先述しましたが、ランチパックのようなもので、少し味気ない印象がありました。お昼前にそこを訪れてレストランの様子を見ましたが、前回と変わらずのランチパックでした。両者とも政府から支給されている、と言っていたので、何かしらの対応の差があるのかもしれません。
ドクタークラウン達はすでに食べ終えていましたが、何やら疲れている様子。午前中に戸別訪問をしていったそうですが、それでかなりつかれたとのこと。そういえば、昨日も日没前の19時頃(こちららは日が長いので、20時頃が日没です)にミーティングをしていましたが、舞台裏のクラウンはかなり疲れていましたね。さらにそれからあまり寝ていないという。1週間弱の短期的なボランティアですが、終日フル回転なので、相当しんどそうです、被災者の前以外では。今回は4人組みで来ていて、1週間ごとのローテーションです。持てる力を最大限発揮しようとするのでしょう。各自それぞれテントを持ってきており、お昼休みも一応あるので、ゆっくりできるのですが、「寝れるかなぁ、、、」、とボソっとつぶやいていました。その予感が的中したのか、はたまた休むうつもりは毛頭なかったのか、食後すぐに子どもがいるテントに向かっていました。
思春期の子どもの内の一人が他の子どもとケンカをして落ち込んでいるというのを聞き、励ましにいったのです。風船を使ったり、ジョークを言ったり、、、場は明らかに変わります。
さて、彼らと交流できるのも最終日なのでドクタークラウン2名をインタビューしました。 一人目は20歳の学生で、薬学を学んでいるというナイスガイ。クラウン名GIODY。以下質問に対する答え。
①ドクタークラウンとの出会いは?
→お母さんや妹がドクタークラウンをやっていた。一年半前からやっているが、人を励ますことで自分も元気になる。
②動機は?
→ガレキの撤去や配食などの普通のボランティアではなく、自分の得意分野を活かした活動がしたかった。ドクタークラウンは数としてもまだ多くないが、自分のできる事をしようと思った。
③ドクタークラウンは国の予算など見てもイタリア社会の中でとても盛り上がってきたように感じられるが、どう思うか?
→ドクタークラウンはイタリアではまだ新しい概念であり、システムだ。専門的なドクタークラウンは600時間もの講習を受ける。ボランティアの僕は週末6回の100時間コースを受講し、それから病院で研修を受けた。予算等お金の関係抜きにしても、クラウンが必要だと考えられ始めた。市民のウケもいい。警察や市長も感謝している。ゆっくりゆっくり関係を築いていると思う。さらにこのような事は個人でするの
は難しいので、団体などで行動することでやりやすくなっていると思う。
④病院でクラウン経験があると言っていたが、被災地で行った後で感じる違いや特徴はあったか?
→病院では、高齢者の方や子どもの退屈をつぶすという印象があったが、被災地では笑いを生み出すだけでなく、彼らの悩みやつらさを聞いてあげて発散させるという傾向が比較的強いと感じた。
⑤ボランティアにしてはとても長い研修が必要だと思ったが、一番のポイントは何だったか?
→経験者の話を聞けること。
⑥ドクタークラウンに必要な要素は?
チェンジ。気分を変える。雰囲気を変える。視点を変える。
二人目は一番印象的で、おもしろすぎる長身の美女!?クラウン名、SOTTOSOPRA。
①クラウンとの出会いは?
→もともとロンドンで演劇やサーカスの勉強をしていて、そこで友達に紹介された。
②動機は?
→ロンドンにいたときに事故に遭い、足を痛めた。それで諸事情あり、ローマに戻って1ヵ月したときにドクタークラウンのコースがあることを知り、すぐに動いた。
③ドクタークラウンに必要な要素は?
→人々の様子を見て、問題を発見して、やるべきことをする。
④被災地ならではの特徴は?
→やはりストレスなどを吐き出したい人が多い。それをうまく聞いてあげることが必要。
以上、2名です。
もう何も言うことはありませんね、まさにボランティアの鏡です。
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イタリア中部地震支援ニュース9
尾澤は今日1日の夕方帰国しますので、いよいよこれが現地からのレポートの最後になります。(被災地に入る)最終日は、歴史あるカステッロ(ラクイラから30分くらいのところ)を訪ね、和風ピエロを少しやらせて貰ったようです。
以下、少し長いですが尾澤からのレポートを掲載します。
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この日は午前にIVALSAの件でバタバタとし、午後に通訳さんと共に奥地の歴史あるカステッロ(意味は城・単位的には村レベル)を訪れ、突撃ジャパニーズクラウン(和風ピエロのこと)をしてきました。このカステッロの名前はカラショ。ラクイラから30分くらい車で走ったところにある小さな村。といってもお城付の歴史あるところ。言い伝えではこのようなカスッテロが99集まって、合同で街をつくったのがラクイラらしい。この辺り一帯のカスッテロは、1254年に皇帝フリードリヒ2世の都市建設資格免許状を受けて、力を合わせて堅固な都市建設の夢を実現すべく、同盟を結ぶ形でラクイラを創設した。とにかくラクイラより周りのカスッテロの街を訪れた方が歴史的な建築が圧倒的に多く、興味深いということです。ラクイラは13世紀ころの建築が最古ですが、周りは古代ローマ時代の遺跡から、ラクイラ史以前から残る中世の建築が残っているのです。
さて、カラショの避難所、15くらいのテントに入っていくと、そこには子供は一人しかいません。急な訪問に少し驚いている様子だったが、クラウンだとわかるとその子供は無邪気に遊びだした。まけないぞうのプレゼントを渡した。周りの大人たちは冷ややかな目でみたり、恥ずかしがったり、こっちのノリに乗ってきたりとさまざま。このあたりの反応は日本人と似ています。とにかく子供と少しでも触れ合えてよかった。個人的にはジャパニーズクラウンのウケはもっとあるのかな、と思ったが、やはり先進国ということもありアジアも含めて移民の多い国、そこまで異文化で珍しいものが来た!という反応はありません。でも子供は別。ドラゴンボールのモノマネやサムライの身振りなどをすると、大変よろこぶ。イタリアクラウンも基本的には子供を相手にすることが多いです。
そして27日から正式にボランティアとして入っているコピート村の避難所へ。ここには50弱のテントに食堂テント、こどもの遊技場テント、交流テントなどがあった。どの避難所もこのような構成をしている。ジャパニーズクラウンはまず、思春期の子どもたちを即興劇に参加するように促してくれ、と命じられた。といってもイタリアクラウンについていくだけ。イタリアクラウンは思春期の子どもたちには少々手を焼いている様子。これは日本でも想像できますね。「劇!?、やってられっかよ。」という反応をするのです。でも基本的に明るい性格ですからイタリアクラウンがマジックをしたり、風船遊びをすると、ちゃんと楽しみます。この辺りは日本とちがうかもですね。 私も一緒に楽しんでしまいました。イタリア語がわからないのが功を奏してなのか、思春期の彼らの気持ちを少しは掴めたかもしれません。
「私が手に負えなかった彼らを、ジェスチャーなどを利用して交流できているのはいいですよ」と褒めてくれた。それを聞いてとてもうれしかったです。思春期の彼らからすると、おどけたクラウンはどうせ演技でしょ、という感じでぶっきらぼうな態度を取るのですが、私はイタリア語が話せないのである意味でこちらが低い立場になることで、こどもの相手ができたということかもしれません。私は終始ニヤニヤしたり、相手のモノマネをしたりしただけですが、通訳と共に、被災者の方、クラウンの仲間と少しながらも良い関係ができたと思っています。
被災地に入るのが最終日なので、これまで訪れた場所に再び足を運びました。まずは毎日ガソリンを入れに行ったスタンドのおじさんのところへ。電話やガスがないから大変なこともあるけど、特に不自由なく暮らしているよと、前向きだった。
そして最初にお世話になったロシア人のいる避難所へ。先述したように、ここは教会が完全に壊されたので、食堂の横に簡易教会がある。ここでSさんから頂いた日本風で着物を着たマリア像を描いた置物をプレゼントすると、びっくりするくらい喜んでいました。十字架の前において写真を撮ったり、周りに自慢したりと。ぜひこれからも交流しよう、ということでキープインタッチをすることを誓いました。それからまもなくロシア人の友達(?)も来て、自分の家の被災状況を見せてくれました。今は週に2日はホテルで5日はテント。ホテル代は支給されているとのことです。そういえば映画「明日、陽はふたたび」でもホテルが避難所になってました。日本ではこのような考えはあるのでしょうか。気になります。 さて20年前の5階建てのこの賃貸マンションは見る限りしっかりたっているのですが、ところどころ小さなひびが入っており、一番下の階は比較的大きなひびがありました。地震発生時には混乱してすぐにベランダに出たそうです。イタリアには避難訓練のようなものは少なく、学校で1回ある程度だ、といってました。この中で寝るということはもちろんなく、余震があってからもひびは増えているらしいです。
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次は帰国後続きがあるようですのでお楽しみに!