イタリア中部地震支援ニュース5

24日の尾澤レポートです。
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<4月24日>
 昨日本部で申請した、ラクイラ中心地に入るために、規制ゲートに向かいました。正午前に着いたのですが、50人くらいでしょうか、警察や軍隊や住民がぞろぞろいました。そこで中に入りたいと言ったところ、初めは拒否をされました。しかし、通訳さんはかなり機転がきく方で、「昨日本部から話が通っているはずよ」と一言添えるとすぐに書類を書いてくれました。通し番号93。住民も朝から並んで、自分が入れる順番が来るのをくたくたになりながら待っていました。私たちも1時間待っても5番くらいしか進まないので、他を少し回ってこよう、ということになりました。
とりあえず昨日ロシア人のお世話になった地域に行き、場所や名前を
確定しようということで車を走らせました。そこでキオスクをやっているおじさんに話を聞きました。
・ このような地震は300年に一度は起きるんだ。
・ 俺は1週間車で寝たが、中でうずくまっても仕方がないと思い、すぐに店を始めた。考えるよりまずは行動だと考えた。できることをする。
・ だからこうやって、色んな人に挨拶をしたり、声をかけたりしているんだ
・ 91歳が生き、5歳9歳が亡くなるなんておかしい。でも説明できないものも世の中にあるとわかった。一方で人為で作った建物で人がなくなるということは、運命で片付けてはだめだとも思う。
・ これが神のくれた試練だと思って、勇気をだしてがんばっている。前進あるのみだ。
・ 1500年ごろにできた歴史ある建物は残っている、みんな賢かったんだ
・ 商売をやっている人には何らかの支援金ある予定だと聞いた
・ 家はラクイラの少し離れたところにあるが、20年前に建てられたもので、セメントとパネルだけでできた簡単なものだ。中では住めない。
・ 日本で同じ地震が起きても何も騒がれないだろう。
・ この辺りは山の中で、自然が豊かだが、農民は少ない。特に若者はあまりやらない。つらい仕事で収入がすくないからな。みんな運転手やレストランなど観光を基盤に生計を立てているよ。
・ 今は本来ならホテルもいっぱいさ、ここらは5月までスキーができたりするんだから
とても熱くいろいろ話してくれました。こっちも熱くなってきたので、まけないぞうを一つ渡しました。これには神戸のみんなの気持ちや日本の被災者の想いが含まれている、と説明すると、これはグローバルだ、感動していました。
そしてラクイラのゲートに戻り、番号を確認すると、すでに私達の順番は飛ばされて呼びだしているということでしたが、すぐに車を用意してくれて、市内を見て見回ることができました。
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