10年前の今日、12月26日にイランの南東部のケルマン州バム市でM6.3の地震が発生し、約43200人(UNOCHA調べ)の命が犠牲となった。人口約12万人のバム市の3分の1の人の命が奪われたことになる。また、旧市街地の80%以上の建物が倒壊し、世界遺産の遺跡「アルゲ・バム」もほぼ全壊した。
CODEは、すぐに救援活動を開始し、現地へと向かった。当時のスタッフ、斉藤容子にバム地震を振り返ってもらった。
被災地に入った村井(当時)事務局長と斉藤は、夜になると被災者の人たちが焚火を囲み、お茶を飲んでいる輪の中に入れてもらった。火を見つめながら、時に語り、時に黙って過ごす被災者の姿に阪神・淡路大震災の被災地KOBEを重ねた。
その後、CODEは幼稚園の東屋の建設や日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)と子どもの支援を行っていた現地の支援団体AHKKと連携して大きなテントの提供を行った。体を動かす機会を失くした子どもたちは、体操や空手などの教室の場として、大人たちは結婚式や葬式の場として、テントがボロボロになるまでその後も地域の人たちに活用された。サイード先生の音楽教室もこのテントで始まり、KOBEで生まれた歌「幸せ運べるように」が、現地の文化にあったイランバージョンに生まれ変わった。
また、ボンガという土で出来たドーム型の伝統的な家屋で倒壊せずに残っていたものも見られ、倒壊している家屋の多くは、近代化の中で主流になってきた日干しレンガを積んだだけの組積造で、倒壊の際に出たレンガの粉塵によって多くの人が窒息死したと言われる。「建物が人を殺す」という現実からCODEは、「耐震」をイランの住民に伝えるためにシェイクテーブルテスト(振動台実験)のワークショップをN-SET(ネパールのNGO)や国連地域開発センター(UNCRD)、ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)などと連携して行った。耐震を施した模型とそうでないものとを同時に揺らすとその差は歴然としていた。参加した子どもから大人までの約200名に耐震の重要性をわかりやすく伝えた。
CODEは現地住民で作られた委員会と話合いを重ねながら行ってきた。支援者(団体)はやり過ぎず、住民自身が考える場を提供する事が大切だと斉藤は振り返る。あれから10年、東日本大震災を経験した日本。支援の中で住民主体がどこまで実現されているのだろうか。
(吉椿雅道)