NO、39号を配信してから、3カ月もたってしまいました。心からお詫びいたします。2003年から始めたアフガニスタンのぶどう農家支援のパートナーであり、その後有機栽培によるレーズンを日本に送り続けて下さったFさん(23歳)との交信が途絶えていました。彼を含めて家族12人が、国外退避を望んでいたので大変心配していたのですが、年が明けしばらくしてつながりホッとしたところで、また途絶えました。通信環境が非常に悪いとのことで、現在もほとんど中断したままです。
さて、今日はアフガニスタンから国外退避を果たし、なんと兵庫県内に住んでいる3人のエンジニアのことを紹介します。(2022年1月22日付け神戸新聞に掲載されました。)
同紙によると3人は神戸情報学院大学でIT技術を学んでいたという経歴があり、国外退避に必要な3人の保証人が現れたことから、昨年の8月15日以降に比較的早い段階で国外退避が可能になったようです。
先日吉椿事務局長と共に、現在残っているお一人のアフガニスタン人Sさんにお会いしてきました。あと二人の内、すでに一人は第3国に出国し、もう一人はアフガニスタンに残した奥さんを日本に連れてくるために帰っているとのことです。実はSさんもアフガニスタンに奥さんと3才の息子さんを残し、単身で国外退避をされたのです。
故郷に残した家族を日本に呼び寄せるために、下記のURLにあるように救出費用を呼びかけています。みなさん、是非ご協力をお願いします。(https://gofund.me/8fe2d5b3)
本レポートは、今号で40号目ですが当初から「アフガニスタンからの贈り物に感謝!!」としています。それは、実に40年以上にわたる戦禍の中でも、アフガニスタンから学ぶものが多いからです。特に2003年からぶどう農家を再建するという支援プロジェクトをはじめたことにより、干ばつという自然の厳しさの中にありながら、自然との共生を日々の営みとして歩むアフガニスタンの暮らしからの学びです。すでに何度も書きましたが、アフガニスタンには「お金がなくても生きて行けるが、あのヒンズークシュに雪が積もらなければ行きていけない!」という諺があります。日本においても同じだが、農業から学ぶ本質は同じ意味合いだろうと痛感します。
もう一つの学びは、Sさん曰く「(アフガニスタンでは)国を愛して、諦めないで努力する若い世代がいる。自分たちもそう。今回の政治的な駆け引きで、何も分からないまま突然に被害を受けたが、平和なアフガンになるのは遠い未来ではない。重要なのは『教育』だ」と断言しているように、必ずや自国が平和な国になることを確信しているということです。
実はCODEのパートナーとしてサポートしてくれたFさんも、これまでの交信の中でも同じことを言っていたのです。CODEは先述のSさんを支援するということは、やがてFさんを支援することにつながるのではないかと考えているのです。しかも偶然とはいえ、Sさんの祖父もぶどう農園を営んでいたと聞いた時には、SさんとFさんがダブって見えてきたのは・・・・・・・?
(CODE事務局:アフガニスタン担当 村井雅清)
*アフガニスタン支援にご協力ください!ご寄付はこちらからお願いいたします。
なお、上記のSさんへのご支援をご希望される方は「Sさんへ」と記入ください。