アフガニスタンからの贈り物に感謝!!—3

前号で触れたショマリ平原というのは、「風の吹く丘」という意味ですが、20年前の夕暮れに首都カブールの北部に位置するこのショマリ平原を車で走っていると、若者が畑で桑やスコップを持って、何やら作業をしていました。「あの人たちは何をしているのですか?」と聞くと、「ぶどうの苗を植えているのでしょう。」という返事が返ってきました。「えっ、あの焼け焦げたぶどうは再生するのか?」とびっくりしたことを思い出します。
ちょうど同じころ、当時日本人で初の国連難民高等弁務官の任に就いていた緒方貞子さんも、このショマリ平原での農夫の姿を見て、「この国は必ず復興する!」と確信したという話をされたのを偶然聞いたのです。この緒方さんの談話を聞いて、CODEがぶどう農家を支援するという選択は間違っていないと私は確信したのです。
加えて、もう一つ何度目かのアフガニスタンへの出発前に、次のような奇跡的な出来事に出会ったのです。神戸市内にあるJR新長田駅の南側で蕎麦屋を営んでいたNさんに出会ったのです。この蕎麦屋さんの近所の喫茶店に植えてあった柿の木が震災で焼け、根っこだけが残りました。その後、別の場所にその根っこを移植したら、新芽がでたのです。Nさんから私に「見て欲しいものがある!」電話があり、見に行ったところほんとうに芽が出ていたのです。
「こんなことってあるんだ!」と驚いたのですが、その後アフガニスタンで焼け焦げたぶどう畑を見て、この“奇跡の柿の木”を思い出し、きっとぶどう畑はよみがえると確信しました。
私たちは阪神淡路大震災後、被災市民と共に「市民とNGOの『防災』国際フォーラム」を開催し、「暮らし再建」を掲げて復興に取り組んできたことが原点でもあります。
アフガニスタンで戦禍を乗り越え、ぶどう農家に寄り添ってきたのも、同じく暮らし再建が根底になければならないからです。しかし、残念ながら旧タリバン時代に横行した、特に女性に対するさまざまな制限、子どもに対する教育の制限などが、明るみになっている現実もあるようです。
また前号でも触れたように、タリバン政権に反発する市民の動きも顕著になっています。この26年間の大失敗の原因は、アフガニスタンの宗教、文化、生活習慣などを理解してなかったからだという指摘があります。今、激しくタリバンを批判するだけでは、何も解決しないのではないでしょうか?同じアフガニスタンの人々同士が、何故また血を流すような衝突をしなければならないのでしょうか?
今こそ、人間の叡智を絞り出し、二度と過去の悲惨な歴史を繰り返さないことを目指し、「協議」と「対話」を繰り返すことが大切ではないかと痛感します。
(CODE事務局:アフガニスタン担当 村井雅清)

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