インドネシア政府は、死者数531人・負傷者2690人以上に上ったと発表しました(2日現在、神戸新聞)。さて「今回の地震は、JICAと科学技術振興機構が連携、日本とインドネシアの地震研究者らが協力して、゛インドネシアにおける地震火山の総合防災策゛を進めている最中に起きた」ようです(北陸中日新聞・社説、09/10/2)。関係者にとっては、歯ぎしりを噛む思いでしょう。完全に崩壊した四階建ての外国語大学校舎から27才の女性教師が奇跡的に助かった。しかし同じ場所で同級生を亡くした学生は「新しい建物なのに、何故つぶれたのかは神様しか知らない」とつぶやいた。こうした状況を見る度に「耐震化が進んでいれば」と悔しい思いをすると共に「その地域において壊れない建物とはどういうものか」と考えさせられます。
さて日本からも緊急援助隊をはじめ多くのNGOが支援のため現地に向かい始めました。もちろん欧米のNGOも、国連機関もです。しかし私たちは忘れてはならないことがあります。それは2004年のスマトラ沖地震津波の際にも国際社会から多くの援助が入ったにもかかわらず、被災者中心の支援にならなかったという指摘が研究者はじめ多くの関係者が指摘されたことです。いわゆる゛援助漬け゛になったという事実です。援助は必要なところに必要なだけ行うのが原則です。
その後2006年の中部ジャワ地震では、その失敗を繰り返さないために、地元のNGOや研究者などがネットワークをつくり、地元主体の活動を展開しました。中部ジャワではよい支援活動が展開されました。今回の西スマトラでも、パダン出身の人たちが首都ジャカルタで後方支援のネットワークを創りはじめたとCODEのカウンター・パートから連絡がありました。1995年の阪神・淡路大震災を思い出します。あの時、故草地賢一は「阪神大震災地元NGO連絡会議」をつくり、゛地元゛にこだわりました。インドネシアとは、日本と同じく地震の多い国であることから、ほんとに助け合わなければならないが、その地に住む人たちを尊重することを忘れてはならないことを肝に銘じ、経験と知恵の共有を大切にしたいと思います。みなさま、ご支援をよろしくお願いします。