投稿者「code」のアーカイブ

つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.9

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【写真】バンブー(竹)ハウス

3月12日 バラコット
 バラコットでは街の至る所で家が再建されている。
ほとんどの家屋が角材を骨組みに使ったものだが、
竹を使って建設している家を見つけた。
しっかりした竹を骨組みに使い、壁の上部や天井は編んだ竹を使っていた。
パキスタンにもこんなやり方があるのかと驚いて聞いてみたら、竹はビルマから輸入したものでバングラデッシュの大工の指導で建てられていた。竹は一本600RSし、一軒に48本使うそうだ。
その他、セメントやトタンなど含めると総額250,000RS(約50万円)かかるそうだ。現場スタッフが言うには、
この家は、パキスタン空軍が資金を出してパキスタンのコンサル会社が無償で建てているそうだ。それにしても高い。バラコット周辺には細い笹竹くらいしか見当たらないが、パキスタンの竹は、細くてあまり良くないと言っていた。ちなみに壁や天井に使っていた、すのこ(細い笹竹を使ったもの)はパキスタン製で
1m×4mで1000RSするらしい。いずれにしても安くはない。
「パキスタン北東部地震」救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「パキスタン地震」と明記してください。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.8


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【写真】(上)金曜日のテント小学校
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【写真】(上)ムニールさん(左から二人目)とガラット村の人々

3月 バラコット
 金曜日のテント小学校は一日歌を唄って過ごす。
春の陽気でテントの中は暑い。約40人の生徒の中には弟を子守している女の子もいる。一人、二人ずつ前にでて恥ずかしそうに思い思いの歌を唄う。知っている歌は皆で大声で唄う。春の陽気でテントの中は暑い。弟を子守している女の子もいる。彼ら彼女らの幼い心はこの震災をどのように受け止めているのだろうか。あの子たちの未来にとってより良い復興をただ希うばかりだ。
ムニールさんは今は地震で全てを失ってしまったが、実は震災前の自宅は部屋が32もある二階建ての豪邸?に住んでいた。今はガレキになった広い敷地が、それがあながち嘘ではない事を思わせる。これからこの敷地に三つの小屋を建てるという。角材は友達の業者から買うそうだ。山の斜面に見えるマツの森林は国有林で当然伐採する事は出来ないが、業者は夜中にこっそり伐って来るそうだ。当然違法である。ムニールさんも政府から25000RSをもらっているが、
「そんなもん今住んでるシェルターの費用と生活費であっという間に無くなったよ」と言って笑っていた。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.7

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【写真】(上)細い角材を使った家の骨組み
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【写真】(上)建設中のサブルンサンさんの家

3月 バラコット
 再びバラコット。お馴染みムニールさんの案内でガラット村をじっくり歩く。山の麓の斜面に広がる村は今、ガレキの中から立ち上がろうとしている。
細い角材を使った家の柱の骨組みをよく見かける。これまでてっきり仮住まいの小屋と思っていたが、どうやら本格的な家のようだ。
じっと観察していると自慢げに俺の家だと言わんばかりに男性が寄って来た。サブルンサンさん(46歳)。大工である弟さんと共に現在、二軒を建設中だ。角材の骨組みに窓枠などを取り付け、レンガとコンクリートで壁を張っている。屋根はトタンを張るという。ふたつの部屋にキッチン、トイレの間取りだ。聞くと角材一本150RSするという。資材だけで85000RSはかかったと。
その他全て含めると150000RS(約30万円)かかるらしい。かなり高額だ。
しっかり作られてはいるが、耐震性を考えると疑問も多い。これだけのお金と労力をかけて作るならそこに少しの耐震の智恵を入れる事でより強度を増すのではないか、そんな事を思った。サブルンサンさんもやはり政府からの25000RSしかもらっていないと。政府の耐震構造を採る場合の25000RSの話をバラコットではあまり聞かない。そんな事待っていられないというかのように人々は自力で再建しようとしている。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.6

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【写真】(上)大学グラウンドのテント村
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【写真】(上)テント村に住む子どもたち

3月8日 ムザファラバード
 前回訪れた大学グランドのテント村に行ってみた。半分は完全に空き地になっていて、もう半分にテントが密集していた。英語の話せるマリックくん(20代)に出会う。彼自身も家族と共にこのテント村で暮らしている。家は近郊のタルカバードという街にあり、全壊したそうだ。彼が言うにはこのテント村には85世帯、約1000人が暮らしていて、相変わらずひとつのテントに二家族が入っているという。元の村に戻ったりと、このテント村を出た人も多い。一、二か月前がとても寒かったと。
今月末にはここを出て、政府が用意する場所へ移転しなければならない。また政府による一時金25000RS(約5万円)は先月やっと受け取ったそうだ。新しく家を建設する際、政府の決定した耐震構造を採る場合は25000RSが支払われる事になっているが、テント村を出て、家をすぐに建てられる人がどれだけいるのだろうか。元暮らしていた場所(山の斜面など)に再び家を建てる事が出来るのか。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.5

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【写真】(上)テント前に石畳を作ったり花を飾ったりしている
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【写真】(上)キャンプ・ジャパンの様子

3月8日 ムザファラバード
 三か月ぶりにカシミール州のムザファラバードへと向かった。街は以前より活気づいていた。時おりそのままになったガレキを見かける。
市街地を抜けてインド側国境方面へ車を十分ほど走らせると
「CAMP JAPAN」の旗が見えて来る。
全体を統括しているピース ウィンズ・ジャパン(PWJ)の
西野さんにキャンプを案内してもらった。
ちょうど今日は国連の婦人デーということで歌や踊りなどの
イベントの準備に追われていた。
このキャンプには250世帯、約1700人が暮らしていて、
各ブロック毎に共有のキッチン、水くみ場、洗濯場が設けられている。
テント前には石畳を作ったり、花を飾ったりととても落ち着いている暮らしが伺える。
居心地の良さに帰りたくなくなる人も出るだろう。
だが、カシミール州政府は今月末には全テント村を閉鎖すると発表している。
今後、どれだけの人が取り残されていくのだろう。
「CAMP JAPAN」を運営するジャパン・プラットフォームの参加団体である
PWJ、日本紛争予防センター、日本国際民間協力会などは
今後も耐震の家屋建設も考えているようである。
その際に恒久的な家屋か、又は、一時的な家屋を建設するのか?
キャンプの住民のニーズとしては一時的な家屋のニーズが高いようだ。
一時的な家屋でどこまでの耐震の強度を増す事が出来るのか、
また彼らが本来持っていたであろう伝統的な工法はどのようなものなのか、
調査の必要がある。
本来そこにあったものを今一度掘り起こすひとつの良い機会になればと思う。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.4

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【写真】(上)強風で倒されたテント
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【写真】(上)ムニールさん(右)と友達の男性

3月7日 ハングライ村、バラコット
 再びバラコットのムニールさん宅を訪れた。昨夜の強風で倒された隣のテントを皆で修理していたので一緒に手伝う。そのあたりのガレキの中から使える針金などを拾って来てうまい具合に補修する。作業後、チャイを飲みながらお話をお聞きした。
友達の男性は奥さん、子供(3歳)、親戚を亡くし、今はムニールさん達と一緒に暮らしている。財布の中に亡くなった息子さんの写真をそっとしたためていた。ムニールさんも弟たちを亡くし、他の親戚も他の街に出て行ってしまって、ひとりぼっちなので友達が心配して訪ねてくれると言う。確かにいつも誰かいる。行き場を失った者同士がここで身を寄せ合って生きている感じがした。ムニールさんは来月結婚されるそうだ。それでこんな風なしっかりした家を作ったのだろう。家族を失った者は、こうやってまた家族を作っていくしかない。
最後にムニールさんは
「俺は人が死ぬところや家が崩れるところを見た。これ以上怖いものは何もないよ。」
とチャイをすすった。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.3


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【写真】ハングライ村

3月7日 ハングライ村、バラコット
 バラコットより車で一時間ほどのハングライという村へ入ってみた。生憎の天気でかなり寒い。斜面に身を寄せ合うように小屋が建っていて、村の若者が片言の英語で少し案内してくれた。400人の人口のうち100人が亡くなったそうだ。
パキスタン軍のくれたトタンで作った小屋の間を抜けると、潰れた学校、モスクなどの元の集落が見えて来た。ほとんど地震直後のままだった。市街地とはあれほど撤去が進んでいるのに。帰り際にひとりの老人がここを見たか!と言わんばかりの顔つきで「ここには何の救援もなかったんだ」と言ってきた。
そこから先の道は今もなお不通のままだ。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.2

 いつもご支援をいただきありがとうございます。CODE事務局です。
パキスタン地震による死者は約8万7000人に達していると報道もあるほどの大災害ですが、日本で被災地の今の様子を知ることは困難になっています。
このレポートでは<つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」>とし、被災地の様子をつぶさにご報告させていただきます。
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【写真】(上)バラコット市唯一の高校。現在は仮設の建物。
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【写真】(上)ハリッドさんが被災した旧市街
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【写真】(上)ハリッドさんの出身村の子どもたち

<つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」Scene.2>
3月6日 バラコット
 バラコット市に唯一の高校(G.H.S.BALAKOT)では
700人の生徒と30人の教師のうち、200人の生徒と3人の教師が犠牲になった。今は仮設の校舎で300人が学んでいる。残りの200人はアボタバードなどの大きな街へ出て行ったそうだ。教師であるハリッドさん(38)自身も街の西側の旧市街で被災した。生後たった20日の息子さんを亡くし、わずか2歳の娘さんは怪我した右足を切断した。奥さんは娘の介護のためアボタバードに避難している。ハリッドさんは教師としてバラコットにとどまっている。
つい忘れそうになる。
道行くほとんどの人がなんらかの被災をしている事を。
「今度会えたら被災した村に連れてってあげるよ。神の縁があったらね。」
とハリッドさんは笑顔で去って行った。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」Scene.1

 みなさま、いつもご支援をいただきありがとうございます。CODE事務局です。
3月の初めより、パキスタン地震の中長期の支援プログラム決定に向けた現地調査を行うため、吉椿雅道が日本を出発したと先日お知らせ致しましたが、現地より第一報の連絡が入ってきましたのでご報告します。
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【写真】(上)春を迎えたバラコットの様子
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【写真】(上)バラコット・ガラット村のガレキ小屋

<つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」Scene.1>
3月6日 バラコット
 パキスタンを襲ったあの地震から早くも五ヵ月が経とうとしている。被災地の「今」を訪ねた。前回訪れた初冬とは風景も変わり、大地は荒涼とした土色から春を感じさせる緑色へと移り変わっていた。麦の緑に、白やピンクの杏子の花が 春の訪れを思わせる。最大の被災地、バラコットの市街地では当時を思わせるガレキの山はきれいに撤去され、空き地や新しく建てたトタンの簡素な小屋も多い。その小屋で食堂、日用雑貨、服などの商店が賑やかに再開している。川の対岸の被害の大きかった集落もガレキの撤去も進み、家の間を縫うような路地も姿を現し、かつてどんな集落だったのかほんの少し想像出来るようになって来た。聞くと震災前は美しい町並みがあったという。それを記録したビデオさえあるとう。
前回訪れた際にお話をお聞きしたムニ―ルさん(小学校の教師)に再会した。再び訪れた事をとても喜んでくれ、恒例の「チャイ」でもてなしてくれた。今後、家を建て直すには今の給料じゃ無理だと言っていた。今は自分で作ったシェルターに住んでいる。半円型の鉄パイプの骨組みに土壁をはり(中には断熱として発泡スチロールを入れている)、木製のドアを付け、天井には、すの子まで張ってある。これを一人で七日間で作ったらしい。費用は15000RS(約3万円)だという。トタンが8000RSと高いんだと言っていた。その分かなりしっかりした物になっていて電気やスト―ブ
まである。しばらくはここに住むつもりでこんな風につくったように思える。
その後、彼の教えている小学校へと行った。フランス、ドイツのNGOの協力で出来たテント小学校だ。子供達が建物を恐がるからテントの方がいいのだと。子供達は無邪気に遊んでいたが、心の傷が気になった。約150人の生徒の内、約50人は近郊の山間部から降りて来た子供達で臨時に一緒に学んでいるそうだ。ムニールさんは道端で会う子供達から握手を求められていた。別れ際、お前はもうゲストじゃない、兄弟だと言ってくれた。被災地、バラコットは、春っぽくなったとはいえ、雨が降るとかなり寒い。山間部では相変わらず雪景色だ。人々はこの冬をどうやって乗り越えてきたのだろう?多くのテントはトタンなどで補強されていた。また角材の骨組みにトタンを張り合わせた簡素な小屋を多く見た。今年は幸いな事に例年ほど寒くはなかったらしい。去年は市街地でも雪が積もったと。これも神の思し召しだという人もあった。
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【お知らせ】 パキスタン北東部地震 第2次派遣 ~出発前~

 昨年10月8日現地時間午前8時50分、パキスタン北東部で発生した大地震から半年が経とうとしています。この地震による死者は一部報道では約8万7000人に達し(そのうち少なくとも2万人の子どもが死亡)、この震災で家を失った人は350万人とされています。その多くが震災から現在もテント生活を強いられています。
 中長期の支援活動を多く経験してきたCODE海外災害援助市民センターは、パキスタン地震の支援プログラム決定に向けた現地調査を行うため、3月1日より第1次派遣メンバーの吉椿雅道を派遣致します。
第1次派遣の報告より、耐震技術・防災教育の普及、特産品を生かした観光業の復興、トイレ設置に伴う環境整備や女性支援など、中長期支援の具体案を模索していくこととなります。
 現地より活動報告が入り次第、活動報告を致します。
<目的>
 ・中長期支援プログラム策定に向けた現地調査
<場所>
 ・ムザファラバード周辺
<期間>
 ・3月1日から4月6日まで
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