ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.25

緊急支援のための専門のノウハウを持つNGOによる技術トレーニングと
物的支援によって、地元の医師が医療ケアを行っているレポートです。
このような地元の医師が他の地域にもノウハウを伝えていく、それを
後方から支援するという形を作っていくというのが望ましい形ではないでしょうか。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:UNDP(United Nations Development Programme:国連開発計画)
日付:2008.6.10
「UNDPの医師のある村での診療」
サイクロンナルギスが上陸してからというもの、Lwin(55)は毎朝5時に起き、
朝の祈りを済ませた後、患者の診察を始める。患者達はUNDPがBogale郡区にある
事務所に開設した一時診療所まで長い道のりをはるばるやってきていた。
彼はここでの診察を終えると、ライフベストを着て、UNDPがちょうど数週間前に
手に入れたディーゼルエンジンのボートに乗り込む。彼はそのボートに初めて乗
ったときびっくりしたのを覚えている。そのスピードはボートがひっくり返るか
と思うほどだった。しかし、彼が行くことが生存者にとって医療ケアを受けるた
った一つの機会となっている遠く離れた村までの所要時間を約半分に-5時間か
ら2時間引いた3時間に-した。
サイクロンの前、彼は北部ミャンマーのマンダレー管区のUNDP統合地域発展プロ
ジェクトで働いていた。そのプロジェクトは。診療所の小規模な復旧と同時に、
リプロダクティブヘルス(性と生殖に関する健康)と基本的な衛生トレーニング
をコミュニティに提供するものであった。サイクロンによる徹底的な破壊を受け
て、UNDPとその実施パ-トナーであるPACTは、陸路と水路との行程をたどって、
デルタへ少人数の医療チームを派遣し、2万人以上傷ついたと公式に発表されて
いる人々の多くを診察した。Lwinは医学の専門知識で地域を支援しようと自発的
にBogaleへやって来たのだった。
彼の小屋では、この3週間で11の村や町の約1300人の患者を診察した。彼らの多
くは全身の脱力感、栄養失調、皮膚感染症、腹痛などに苦しんでいる。発熱があ
るときでも、マラリヤによるつらさであるのかを彼は告げることができない。血
液検査なしに診断を確定することはできないから、と彼は言う。その代わり、彼
は持ってきた薬を投与し、衛生キットとマルチビタミンを渡す。薬品と、歯ブラ
シ・歯磨き・石鹸・タオルなどが入った『家族キット』とは、UNDPとMedicins
Sans Frontiere(注1)のようなNGOとBogale郡区組合などから渡されたものだっ
た。「たいていの場合、私は患者たちの爪を切らねばならない。汚い手で食事を
することで腹痛を起こすからだ。今では爪切りが慣例になっている。」と彼は言
った。
ある時、彼はたくさんの注射器を受け取った。しかし、ある村に着いてからその
注射器に針がついていないのに気がついた。当然のことながら彼は持ってきた点
滴を使うことができなかった。
サイクロンは12フィートの高さまで水位を上げ、飲料水を提供していた多くの池
を飲み込んだ。そのため、人々はココナッツの汁を生き延びるために飲んでいた。
近くの僧院の僧は米を分けてくれた。多くの村人達は自分の服を何も持っていな
いので、亡くなった人が埋葬される前にその身体から服をとっていかざるをえな
かった。支援団体は近づくのに制限があるため、郡区の580以上ある村の約半分
にしかたどり着くことができていない。Lwinは避難所や食料の必要性が満たされ
ているのかと一度は疑問に思ったが、村人達に健康の知識をあたえることになる
であろう簡単で基本的な衛生プログラムを展開させることができた。
マンダレーにおいて、UNDPは彼にオートバイではなくモーターボートを渡してい
た。それで彼は330以上の村の患者を診察することができた。「私のボートはと
ても早い。とても疲れているけれど、私が支えてあげられることをとても幸せに
思っている。」と、微笑みながら彼は言った。
(注1) Medicines Sans Frontiere(国境なき医師団)   スイス(ジュネーブ)に拠点を置く
緊急医療支援を行う国際人道支援団体(1971年~)