No.19-ウクライナ編⑪「日本とウクライナの間で・・・」

神戸市内に住むウクライナからの避難者の方々は、今引っ越しに追われています。4月に来日した人たちは、民間企業の提供するアパートに住んでいましたが、3か月の期限が来て、今、公営住宅に移ろうとしています。民間の住宅は家財道具などすべて備え付けでしたが、公営住宅に移ってからは家財道具すべてを買い揃えなくてはなりません。

この日、通訳ボランティアKさんのご協力のもと、これまでに野菜や自転車を提供してきたSさん(20歳)にお話しをじっくりお聴きしました。
Sさんは、婚約者Vさん(25歳)と共にVさんのお姉さんの住む神戸へと避難してきました。この戦争の前、Sさんはウクライナでアジア料理店で働いていたこともあり、現在は、神戸市内の結婚式場の厨房でコックとして働いています。元々日本やアジアに関心のあったSさんは、少しずつですが日本語も覚え、日本料理にも慣れてきています。この日は明るくたくさんの話をしてくれました。

Sさんの故郷ルーツク(西北部)は、東部のような地上戦はありませんが、軍用機が飛び交い、時折、工場などにミサイルが飛んでくるそうです。また、北のベラルーシからの攻撃も懸念されています。Sさんは、「家はまだ無事だけど、私たちがポーランドに避難した後に、家のすぐ近くにミサイルが落ちたわ」と教えてくれました。また、自身のご家族のことを聞くと、「父と兄は軍人としてニコライエフで戦っています。時々写真や映像を送ってくれます」と悲しそうな表情を見せます。
「母は他の兄弟と共にルーツクに残っています」と言うので、なぜお母さんたち一緒に避難しなかったのかと聴くと、「母国を出たくない」と言ったそうです。また、婚約者のVさんは戦争のときにポーランドで働いていたのですが、ウクライナに戻って戦おうとしてのをSさんたちは必死で止めたそうです。
ご存じの通り、ウクライナの18歳から60歳までの男性は、この戦争後に出国禁止になりました。それは、徴兵だけではなく、経済を支えるために男性たちは母国に残っています。国外に避難した人のほとんどは女性、子供、高齢者です。Sさんは、少しずつ慣れてきた日本での生活とウクライナに残る家族の状況の間で揺れ動いています。
(吉椿)

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