イラン・バム地震より2年 パート K

ほぼ施工業者の怠慢で工事がベタ遅れになっていた体育館が完成して3ヶ月になる。そもそもこの体育館は、いわゆるAHKKがバムで活動する拠点でもあり、地域のコミュニティー再建の拠点でもあることから通称「AHKKセンター」といわれている。
これまでのニュースでも触れましたが、このセンターは空手教室などのスポーツ委員会、女性の自立活動を行う女性委員会、絵画教室などを行う芸術委員会、サィードなどの音楽委員会などとそれらをまとめる全体委員会で構成されている。それぞれは最低一つのコネックス(コンテナ)を確保し、活動の場としている。今後の大きな課題は財政的に自立できるかどうかと、バタニさんに続く強力なリーダーが育つかどうかにかかっている。バタニさんは地震以後テヘランでの本職(農業省職員)を休職し、バムに支援として入っていたがそろそろ復職を迫られている。きっと彼女は今相当悩んでいるだろうと推測する。
その理由の一つに、バムのスタッフやAHKKのスタッフ、そしてバタニさんやサィードたちが今真剣に考えていることは、CODEのイランバージョンをつくろうということらしい。バタニさんの悩みの中には、その新たな活動の牽引者にならざるを得ないという現実との葛藤かも知れない。阪神・淡路大震災がきっかけに生まれたCODEだが、これまでにも活動を通してクワテモック(メキシコ)やSEEDSのマヌ(インド)とCODEの海外研究員が現れてきた。カウンターパートナーの中心がデリンジェ市という行政だったことが原因だろうが、トルコではまだNGOでは該当する人たちが育ちきっていない。
ただ、トルコ地震以後誕生した「愛と望みのテント」を興した子どもたちはまだ、健在のようだ。しかも、KOBEの支援で建設された「市民文化教育センター(通称草地文化センター)」を利用しての活動が行われていると昨年12月のはじめに知人からの情報が入った。スリランカでもやがて生まれるだろう。確実に”支えあいの連鎖”は広がっている。”イラン版CODE”が生まれるのも時間の問題だろう。でも、バム再建の今後を考えると、もうしばらくバタニさんはバムのリーダーとしていて欲しい気がする。
(事務局 村井雅清)