月別アーカイブ: 2006年1月

イラン・バム地震より2年 パート L

昨年の夏以降にみなさまのご支援のお陰で成立しかけた、バムの地場産業である”レンタル・デーツ農園”支援プログラムがピンチに陥っています。というのは、今年のバムのデーツは全体に売れ行きが悪く、バムのデーツ産業全体がピンチのようです。CODEが支援している”レンタル・デーツ農園”というのは、「そんなおいしい話があるの?」っということから始まった事業です。そもそもデーツの収穫時期になると、デーツ農園のオーナーも忙しくて放置したままになるケースも少なくないという現実があったのです。
そこでAHKKセンターの土地のオーナーが、そのような農園オーナーの一人でもあったことからレンタルの話がでてきたのです。「おいしい話」というのは、レンタル料を払えば、その農園で収穫できるデーツは借り主のものとなり、販売すれば収益になるということなのです。
ところがこの件について、CODE理事会で協議し、かなりスピーディーに借り受けるという結論を出したのですが、タッチの差でこの話は不成立に終わったのです。農園を借り受ける話は、今年に持ち越されているのですが、とりあえず昨年度から今年にかけて収穫したデーツは、仕入れをして大型冷蔵庫に保管しているのですが、先述したように売れ行きが悪いため、新年(3月)になってからの好景気に期待するという状況です。
こうなると結果的には冷蔵庫を買っていてよかったということになりますが、しかし値崩れしないような形で販売できることを祈るしかありません。なんとか売上げを上げて、今年こそは農園ごと借り受ける、という形にしAHKKセンターの運営費やセンターを出入りする人たちのしごとづくりにつながればと願うものです。
さてみなさん!実は当CODEの事務所には庭があり、そこにバムから持って帰って来たデーツが初めての冬を越えようと頑張っています。イランのような暖かいところで育つデーツなので、この神戸の寒さでは冬を越せないだろうと思っていたのですが、以外と強く先日来の雪を被っても、必死で耐えているようなのです。上手くこの冬を越せれば、きっと今年の梅雨どきにはグングンと成長することでしょう。この庭で育つデーツは、実は種からの生育なのです。たわわと実がなり、バム産デーツが私たちの口に入るほどに育つには30年かかるといわれています。
2003年12月26日のイランバム地震という悲しい出会いから”KOBE-バム”という、まさに地に根の生えたしっかりした新たなつながりが生まれようとしています。年明けから、少しでもこの寒さから守ろうと、ダンボール箱でデーツの葉を囲んでいるのですが、ほんとにこのデーツは特別強いように思います。おそらく日本のどこを探しても、他にはないので比べられないのですがね!(笑)
(事務局 村井雅清)
*デーツ:なつめやしの実で、日本の味覚で言うと”干し柿”のさらに甘い味のする果物です。お好み焼きソースの原料にも使われており、実は阪神・淡路大震災で被災を受けたオリバーソースさんでもイラン産のデーツを使っているそうです。

イラン・バム地震より2年 パート K

ほぼ施工業者の怠慢で工事がベタ遅れになっていた体育館が完成して3ヶ月になる。そもそもこの体育館は、いわゆるAHKKがバムで活動する拠点でもあり、地域のコミュニティー再建の拠点でもあることから通称「AHKKセンター」といわれている。
これまでのニュースでも触れましたが、このセンターは空手教室などのスポーツ委員会、女性の自立活動を行う女性委員会、絵画教室などを行う芸術委員会、サィードなどの音楽委員会などとそれらをまとめる全体委員会で構成されている。それぞれは最低一つのコネックス(コンテナ)を確保し、活動の場としている。今後の大きな課題は財政的に自立できるかどうかと、バタニさんに続く強力なリーダーが育つかどうかにかかっている。バタニさんは地震以後テヘランでの本職(農業省職員)を休職し、バムに支援として入っていたがそろそろ復職を迫られている。きっと彼女は今相当悩んでいるだろうと推測する。
その理由の一つに、バムのスタッフやAHKKのスタッフ、そしてバタニさんやサィードたちが今真剣に考えていることは、CODEのイランバージョンをつくろうということらしい。バタニさんの悩みの中には、その新たな活動の牽引者にならざるを得ないという現実との葛藤かも知れない。阪神・淡路大震災がきっかけに生まれたCODEだが、これまでにも活動を通してクワテモック(メキシコ)やSEEDSのマヌ(インド)とCODEの海外研究員が現れてきた。カウンターパートナーの中心がデリンジェ市という行政だったことが原因だろうが、トルコではまだNGOでは該当する人たちが育ちきっていない。
ただ、トルコ地震以後誕生した「愛と望みのテント」を興した子どもたちはまだ、健在のようだ。しかも、KOBEの支援で建設された「市民文化教育センター(通称草地文化センター)」を利用しての活動が行われていると昨年12月のはじめに知人からの情報が入った。スリランカでもやがて生まれるだろう。確実に”支えあいの連鎖”は広がっている。”イラン版CODE”が生まれるのも時間の問題だろう。でも、バム再建の今後を考えると、もうしばらくバタニさんはバムのリーダーとしていて欲しい気がする。
(事務局 村井雅清)

イラン・バム地震より2年 パートJ

関係者のみなさま、支援者のみなさま!久しぶりにイラン・バムの状況をお伝えすることができます。といいますのは、昨年9月からイギリスのノーザンブリア大学に留学している元CODEスタッフの斉藤容子さんが、正月休みを利用してイランを訪問し、バムの様子をレポートしてくれました。あの懐かしい「容子のバム日記」は、彼女がブログをつくって発信していますので、そちらを見て頂くとして、このレポートは斉藤さんがCODEに送ってくれたものをまとめた形になります。イラン・バム地震3年目の「いま」の様子が伺えるかと思いますので、久しぶりの「容子のバム日記」(http://saitobamnikki2005.seesaa.net/ )と併せてご覧下さい。
パート J
(音楽教師養成プロジェクトについて)
昨年1月、神戸にも来ていただいた音楽教師養成講師のサィードは、AHKKのプログラムとして新たに40名の受講生を募集しました。これまで同様、賑やかにリコーダーや木琴などを使っての音楽教室になりますが、楽しみなのはこれまでの受講生の中から一人の先生が幼稚園で教えることになったのです。さてどのような成果が披露できるでしょうか?
ところでバム地震2年目の節目として、イラン国営テレビでAHKKのリーダーであるバタニさんや先のサィードがインタビューされ、その模様が放映されました。さらにビッグニュースは、首都テヘランでも大変有名な場所で子どもたちのコンサートが開かれ、500人以上の観客が集まりました。もちろんあの時以来KOBEで唱われ続けている「しあわせ運べるように」のペルシャ語バージョンも披露されました。
イラン・バム地震が発生したのは、昨年のスマトラ沖地震津波災害が発生した12月26日と全く同じ日であったこともあって、イラン・バム地震から2年目であるということについては、もう日本のマスコミでもほとんど取り扱って頂けませんが、こうして現地ではKOBEとのさまざまな連携のもとで築かれた”絆”を、さらにイランの人たちに広げるように活発な活動が展開されています。
今年の1月、つまり阪神・淡路大震災から10年という節目に、バタニさんもサィード君もこの被災地に来て下さいました。きっと二人は、バムの被災者の一人ひとりの思いを携え、KOBEの地で「痛みの共有」を実感し、また新たな決意の中でバムに戻られ、この1年を過ごしてきたことと思います。もちろん、CODEは今もバムの人たちを支援し続けています。明日は他の活動内容をレポートさせて頂きますが、是非引き続きご支援をお願い申し上げます。
事務局長 村井雅清