No.16「イスラム教徒とヒンドゥー教徒が共に暮らす村」

今日(11月3日)は、一度31日に訪れたGangga(ガンガ)群Gengglang(ゲンガラン)村のLias(リアス)サブビレッジに行きました。

ポシアンドゥ(保健所)

この集落は、果実が豊富でカカオ、コーヒー、ドリアン、ジャックフルーツ、バナナ、マンゴスチン、マンゴー、バニラなど生産していました。そして先述したようにこの地区は、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の住民が互いに協力しながら生活している村で、エコ・プラワット教授が再建住宅のデザイン提供や基盤強化のワークショップを考えていることから、村について詳しくお話をお伺いすることにしました。今回は村のリーダーのような役割をしているサムスージーさんからお話を聞きました。

リーダーのサムスージーさん
ヒンドゥの長老

Lias地区はマタラムのクリスチャンチャリティーから27軒の木造家屋とヒンドゥー寺院再建のための建材の提供を受けています。イスラム教徒の住民は村の中ではマイノリティーであるということから支援をヒンドゥー教徒の家の再建に優先させています。再建は3軒が完了し、残りの24軒の再建が引き続き行われます。

ヒンドゥ教徒の再建中の家
ブルガは壊れていない
モスク木造で再建

この地域ではグマンタラ村やセムバランブンブンとは違い伝統的な木造家屋は残っていません。しかしかつては木造家屋も多く残っていて、次第に姿を消していったようです。

サムスージーさんのお仕事は地域の農作物を取りまとめて売る仕事をしています。非常に多くの農作物が育てられており冒頭で紹介しましたようにカカオやコーヒー、ジャックフルーツ、バナナ、マンゴスチン、アボカド、マンゴー、ココナッツ、そして特に高価なものとしてチャンケ(クローブ)やバニラなどの香辛料も生産しています。

カカオ
カカオをローストする機械
クローブ

イスラム教徒とヒンディー教徒の強い結びつきを表すものとして、葬式や結婚式などお互いの宗教行事にも積極的に参加していることが挙げられます。160家族のイスラム教徒に対してヒンドゥー教徒38家族は宗教的な面での村の生活に不便はないようです。ヒンドゥー教徒の住人が住む場所のそばにはヒンディー式のスペースがあり、地震前はここで宗教関係なく住民間の話し合いをしていたそうです。地域には学校が無いため、このスペースを活用して子どもたちは地域住民に勉強を教わっていたそうです。スペースは残念ながら地震で使えなくなってしまいました。

崩壊したヒンドゥ寺院

また、この地域は洪水が非常に多く発生する土地なのですが、洪水の際にはイスラムモスクが村中に避難勧告を出し、宗教に関係なく高台地域にあるモスクに避難してくるそうです。洪水では2年前に大規模なものが起こり、2mも水が浸水し、その際には村人3名が亡くなったそうです。

村には協同組合のような「Patuh Angen(パトゥ・アジェ)」という名前が付けられた住民グループが存在します。1グループ60人ほどの男性が所属しており、同じ村でも他の地域には別のグループがあります。このグループは例えば先述の農作物を共に生産し、まとめてマタラムなどの大きな町やジャワ島など他の島にも売り出しています。牛などの畜産も共同運営しているほか、コーヒー生産の機材を購入するなど住民が村の発展のために協力しています。また、洪水が多いということで土砂災害を防ぐための植林も行っています。植林した木はパトゥ・アジェが伐採や建材として誰が使うなどの管理も行っています。さらに「WANA TANI」という女性グループもあり、地域の経済力向上のために、地域の女性たちが協力して作物を使ったスナックを作ったりと女性の仕事を生み出し、活躍されています。随分、刺激されました。
(上野智彦、増島智子)

まけないぞう

インドネシア・ロンボク島地震救援ニュースNo.15

今日(11月2日)は、阪神・淡路大震災以来交流のある小規模作業所「シティーライト」の理事をされている溝渕さんからご紹介いただいたロンボク島西部のGunungsari村(グヌンサリ)に住むSauen(サイウン)さんとともにマタラム近郊の被災地域を回りました。サイウンさんは大工をしており、妹さんが結婚して日本で暮らしているそうです。彼自身の家も全壊しています。

サウエンさん家族と

30日の報告でマタラムから北部に行ってしばらくは建物の被害があまり見られないと書きましたが、大通り付近の建物が多く残っている一方で少し奥に入ると被害が大きな地域が広がっていました。

崩壊した集落

地震発生直後の報道では、被害が大きいとされていた地域のかなり手前になります。グヌンサリ村はマタラムから車で20分ほど北に行ったところで、竹製品や木製品などの民芸品店が多くある地域です。この地域では7名が亡くなり、200人が負傷したそうです。

大通りから外れて車で5分ほど走らせたところに区域のほぼすべての家が倒壊、損壊している地域があります。この地域のほとんどの家はレンガ造りです。壊れた個所を見るとレンガ自体が弱く、レンガ同士の接合も甘いようです。被災者は元の家の残っている部分に屋根をつけテントを横付けしていたり、トタンや端材を使って作られたりした自作の仮設住宅に住んでいます。

この仮設に複数家族が住んでいる場合もあるようです。また、以前紹介したプルガ(東屋)を寝床にしている方もいます。先述した大工のサイウンさんも竹で東屋を造りますが、このプルガというのは、Lombokでは居間という感覚でどの家庭にもあり、そこでご飯を食べたり、お茶を飲んだり、昼寝や仕事をしています。

ブルカ
ブルカ3
ブルカ中
ブルカ中2

お話を聞いている最中にスコール(今季初とのこと)が降りましたが、テントの上には雨水が溜まり、風雨は入り込み、中には寝室の真上のブルーシートに穴が開いていて、ベットがびしょぬれになってしまいました。そんな中でも、水遊びをする子どもたちの笑顔は印象的でした。

テントに雨がたまる
テントの屋根に空いた穴
テント暮らし
まけないぞう
水遊び

やはり住居の問題は大きいようで、食料の支援は十分にあるものの、何度も紹介してきたように、この地域でもトラウマが酷いから、今度はレンガではなく、木造で作ると話しています。女性たちはみなさん口を揃えて早く家が欲しいと言います。お金がないから政府からの援助を待っていると話していました。

伝統建築と仮設

地震に対してこれまで対策を取ってきたことはありませんが、最近では小学校で地震の時の行動について学ぶことがあるようです。親世代は子どもからそれを聞いて地震について学んでいるようです。中には自信が起きた際、ずっと祈っていたという高齢の方もいます。またこの地域の女性たちは、地震当時幼い子供を抱えた人が多く、2~3日は村のすぐ後ろにある山に避難したそうです。津波がくるという”うわさ”が広がりみなさん高台の山へ避難したそうです。みなさん”津波は嘘”だったというのですが、それでも本当に来るかもしれないので地震があったら逃げて下さいと伝えました。

ところで昨日の報告でRISHA(コンクリートフレームの家)が政府の再建計画としてあるとお伝えしましたが、これは屋根を含めて5000万ルピアとなり、また広さが36m2と決まっています。家族が多い被災者はもともと大きな家に住んでいました。36m2では多くの家庭では不十分な広さであり、トイレや水回りもないため、設備の増強や部屋の増設を余儀なくされます。そのため家の再建の負担が被災者に大きくのしかかってくることが予想されます。                    (上野智彦、増島智子)

インドネシア・ロンボク島地震救援ニュースNo.14

今日(11月1日)は、Sembalun Bumbung (スンバルン ブンブン)村に行きました。
ここでも伝統家屋は全く倒れずに残っていたそうです。この地域は200年前に大きな地震があり、それ以来の大きな地震だったそうです。

スンバルン村の伝統建築
村人からのヒアリング

伝統建築に住んでいる村の人に話を聞いたときに、この地域には観光の名所となっている、富士山級の山Rinjiani(リンジャニ)という標高3726mの山があります。
その村の人は、「自然はいつもきれいで、人が間違った道に進むと、その間違ったことを教えてくれる」と「山には牛が放牧されていて、自然も豊かなのに、多くの観光客が山登りをして、自然をいじめたから、こんな大きな地震が起きたんだ!」と話してくれました。偉大な自然に抗うことがどんなに愚かなことかという戒めをまた改めてここロンボクでも聞くことができました。阪神・淡路大震災でも高齢の女性が、「海の神様が怒ったんだ」とつぶやいていたことを思い出します。また、小学校6年生の女の子が書いた詩の中で、「これから自然 いじめんのやめとこ」という一節があり、自然との共生がいかに大切なのかを教えられます。

この村でもみんな他の村と同じようにトラウマが酷いようです。例えば、女性は普段は農業の仕事をしていても、地震以来家が気になってあまり長い時間畑仕事はしなくなったそうです。きっと大部分の時間を家で過ごす女性にとっては、家はやはり大切なものなのでしょう。

Rishaの構造物
パネルをボルトで組み合わせる
住民の仕事としてのパネル作り

この村には政府の支援が始まっていました。「Risha」という木の変わりに鉄筋を入れたコンクリートパネルを組み合わせて骨組み造るように、政府が部材の提供と指導を始めているそうです。村の伝統家屋は1件も倒壊していないのに、こうした構法で建設することには複雑な想いです。住民はレンガづくりの住宅がことごとく崩壊しているので、木造でなおかつ伝統的な立て方での再建を望んでいます。同行している建築家北茂紀さんの耐震構造の技術が被災地に伝わることを願います。
具体的にはCODEのカウンターパートである建築家であるエコ・プラワット教授と北茂紀さんがコラボし、CODEのミッションでもある被災地域の文化や歴史を尊重した耐震技術移転が実現し、インドネシア独特の“ゴトンロヨン”が活かされるように努力しますので、是非継続したご支援をお願いいたします。            (増島智子)

まけないぞうをプレゼント

インドネシア・ロンボク島地震救援ニュースNo.13

昨日、グラマタン村に入ったスタッフからの現地レポートです。

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今日(10/31)は、エコ・プラワット教授とリンダ講師の知り合いでもある、ジャワ島のソロにあるのセベラスマレット大学(UNS:Sebelas Maret University)のカハル教授が震災前から関りのあるに村に行きました。

この地域では、95%の家屋が大きな被害を受け、48名の方が亡くなったのこと。この村では、100棟の仮設を建てることを目標にしています。すでに40棟を建てたそうです。その40棟は、すべて“ゴトンロヨン”(インドネ災特有の助けあいのしくみ)で仮設を建て直したそうです。

(崩壊したヒンドゥ寺院)
(崩壊寸前のレンガの家)

地震に遭うまでレンガ造りの家に住んでいた人は、地震によるトラウマが酷くて、木造の家に住みたいと思っている人たちが多いということでした。

この村には伝統家屋の保存地区もあり、そこの家屋は一軒も壊れずにすんだそうです。中には100年以上の伝統家屋があります。竹を編んだ壁で竹を骨組みにてアランアランというヤシに似た植物の葉を束ねてかやぶきのように屋根を作っています。CODEが伝えてきた2005年のジャワ地震後の状況と似ているような気がします。

(伝統建築)
(伝統建築の屋根)

みなさん今回の地震で伝統家屋が残ったので、伝統家屋のような作り方で仮設を作っています。資金は、一般からの寄付をお願いし、一部は壊れた家から使えるものをはリユースして、自分たちで上手に工夫し建てています。(仮設建設には、1軒あたり3万円ほどかかる。)

二つ目の村は、Gengglang村のLisa集落に行きました。これはエコ教授が空港からレンタルした車の運転手がたまたま被災地出身の人でおじさんがその集落にいるということと、支援があまり来ていないということを聞いて偶然前段の村とも近かったため急遽調査に行きました。
この集落では、ムスリムとヒンドゥーの人が一緒に住んでいて、クリスチャンの団体から寄付をムスリムの人たちが受けて、その寄付をヒンドゥーの住民にも分け与えたそうです。よくよく聞くと、もともと違う宗派でも近所付き合いがあり、お葬式にもお互いに参加して、普段から仲がいいそうです。クリスチャンであるエコ教授もこの村の在り方には驚いており、何度も「アメージング!」と叫んでいましたが、私たちはこれが本来の宗教の姿なんだろうとあらためて感じました。当たり前のことを当たり前にしているだけなんですね。そもそもゴトンロヨンという助けあいも、暮らしの中に浸透しており、当たり前のように行われているようです。

(ヒンドゥの人の再建中の家)

この村でもみなさん、伝統建築の手法を取り入れた仮設を建て、村に住む大工さんは住民の手本になるように、木造で自分の家を建て直していました。

(リサ集落大工さんの恒久住宅)
(大工さんの恒久住宅)

ここでも政府から援助はなく、それを待たずに自分たちで自ら家を建てている姿にこちらが勇気や元気を頂きました。同行した建築士の北茂紀さんは、構造的は耐震性が十分ではない部分もあるので、専門家として今後きちんとフォローできるようなアドバイスをできたらいいなと話していました。                                                        (増島智子)

インドネシア・ロンボク島地震救援ニュースNo.12

昨日(30日)ロンボク島入りした上野智彦(CODEスタッフ)と増島智子(被災地NGO恊働センタースタッフ)は、とりあえずにロンボク島西側の被災地を訪問しました。西側も多くの家屋が倒壊しているとのことです。今回は2005年の同国ジャワ地震およびその後の「ウォータープロジェクト」以来、カウンターパートナーとして連携しているエコ・プラワット教授(建築家・デュタワチャナキリスト教大学教授)の愛弟子であるリンダ講師と合流し、特に被災住宅の被害について調査しています。(エコ教授は明日合流します。)   (事務局)

10月30日、リンダ講師と合流し、ロンボク島の被災地を訪れました。ロンボク島の被災地は島の中心地であるマタラム近郊からリンジャニ山に沿って広範囲に広がっています。マタラムから北に向かって間もなくは所々にしか見られなかった倒壊家屋の跡や損壊した家屋が、山道を抜けていくと次第に目に入るほとんどの家屋が被災している様子に変わっていきます。

ロンボク島西部、大きく被災したPemenang district(kecamatn)ペメナング群のMeggalan village(Desa)メガラン村で住民の方にお話を聞きました。メンガラ村は1250世帯3000人が住み、訪れた地域はその内の200世帯が生活しています。建物の基礎だけが残し、空き地のようになった様子から地域のほとんどの家屋は倒壊してしまったのではないかという印象を持ちました。

特に組積造の家(煉瓦仕様)は全て倒壊しているような状況で、中にはRC構造(鉄筋コンクリート構造)のものもありましたが、鉄筋はかなり細いようです。地域のモスクはRC構造でしたが、地震で壊れました。しかし住民はモスクがRCでできていたから、また同じような構造で再建しようとしています。

そして住民は地域の近くのテントキャンプで生活をしながら家屋の跡地に仮設住宅の建設を行っています。倒壊した家屋の建材はレンガや木、窓枠などに区分してまとめられており、仮設住宅に再利用されています。仮設住宅の建設には、どのように選ばれたのかは分かりませんが、この地域の20世帯にはインドネシアのテレビ局が、トタン屋根と壁に使う合板の材料を寄付したそうです。

被災者はその材料を使って、仮設の家を建築しています。

仮設住宅建設が行われている中で何軒か柱の接合部に木組みを用いて再建を行う様子が見られました。住民からは組積造は倒れたので、木材を使った伝統的な建築方法がいいと言う声が聞かれます。建設を行う大工さんも「(木材を使った)伝統的な建て方を参考にした。」と仰っており、実際に同じ地域には地震前から存在した木組みを用いた家屋の跡がありました。

このように地域の建て方を積極的に引き継いで再建を行おうとする住民も見受けられます。

 一方で多くの住民は未だ家屋の再建どころか仮設住宅を建てる目途も立っていないという状況にあります。仮設住宅も決して安価ではなく「政府のお金が来なければどうしようもない。」と住民が嘆くように、家屋の再建の目途が立たないことや雨季が目前に迫っており風雨や地滑りの恐れもあり、被災者の不安は日々増している状況にあります。
なお今回は、ネパール地震の際に「耐震住宅再建プロジェクト」に協力してくださった耐震構造の専門家である北茂紀さん(一級建築士)も同行して下さっています。
(上野智彦、増島智子)

インドネシア・ロンボク島地震救援ニュース No.10

「ロンボク島の被災地を襲うマラリア」

インドネシアではスラウェシ島地震津波で大きな被害が出ているが、ロンボク島地震の被災地もまだ多くの人が厳しい事態にあります。
9月中旬には被災地でマラリアに対して緊急事態宣言が発せられました。8月下旬にグヌンサリ地区の避難キャンプで最初の患者が見つかって以降、9月中旬までに妊婦や乳児を含む137人がマラリアに感染したと現地保健局が発表しています。これに対して政府はマラリアが発症した地域で、マラリアの媒介となる蚊を防ぐ蚊帳や虫除け薬を配布していますが、十分には対応しきれていない状況にあります。
CODEはインドネシアのカウンターパートと連絡を取りながら、今後現地に入る予定です。一方でロンボク島地震救援へのご寄付があまり集まっていません。スラウェシ島の地震津波とともにロンボク島地震の被災地の情報も発信していきます。引き続きご協力をお願いします。(上野智彦)

☆救援募金にご協力下さい
郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
*通信欄に支援先を明記してください。(例:「インドネシア」)
*募金全体の25%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます。
*クレジットカードをご利用の方は下記ページからご寄付いただけます。
http://code-jp.org/cooperation/index.html

インドネシア・ロンボク島地震ニュース No.9

7月29日、8月5日、8月19日に発生した地震でこれまでに515名の方が亡くなりました。ロンボク島で最初に大きな地震が発生してから1か月が経過しました。余震が続く被災地ですが、避難キャンプで生活する被災者はもちろん、耐震の弱さが露呈した家屋で今も生活する住民にも大きな不安を与えています。
19日に発生した地震では14名の方が亡くなりましたが、多くの方は余震の恐怖から既に屋外で生活していたことから比較的被害が少なかったと現地では報道されています。被災地ではインフラ再建が急速に進められていますが被災者の疲労や精神負担が心配されます。
CODEによるインドネシア・ロンボク島地震救援プロジェクトご支援のお願いチラシを下記URLよりご覧いただけます。
すでに各報道から被災地の様子を伝えるニュースはほとんどありません。
CODEの救援活動へのご支援も残念ながらあまり集まっていないといいう状況にあります。ぜひ今一度ロンボク島地震の被災地へ目を向けていただきたいと考えております。CODEでは引き続き、カウンターパートナーのエコ・プラワットさんとともに被災者への支援を模索していきます。皆さまご支援ご協力をよろしくお願いします。(上野智彦)
・インドネシア・ロンボク島地震救援活動のご寄付はこちら
郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
*通信欄に支援先に「インドネシア」と明記してください。
*募金全体の25%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます。
クレジットカードでのご寄付は以下のリンクから行えます。

インドネシア・ロンボク島地震救援ニュースNo.8

インドネシア・ロンボク島では、7月29日、8月5日、8月19日と連続してM6.3以上の地震が発生しており、この連続した地震による被害は、死者515名。損壊家屋7万4千棟になったとインドネシア国家防災庁が21日に発表しています。
CODEの現地カウンターパートのエコ・プロワットさんからの情報によると、現地の報道でも被害家屋数もまだ調査中で、情報が錯そうしているようです。
政府の行う緊急救援は、25日までで打ち切り、その後が再建段階に入っていくようです。すでに政府は、恒久住宅の再建費用として、1世帯5000万ルピア(3万8000円)を直接配布しているそうです。ロンボク島では、こ3週間で1千回以上の余震が続いています。余震の多く、新たな被害も出ている中で、どのような再建がなされるのか懸念されます。
(吉椿雅道)

インドネシア・ロンボク島地震救援ニュースNo.7

 インドネシア・ロンボク島で昨日19日の12時10分にM6.3の地震が発生し、その12時間後にもM6.9の地震が発生しています。この2度の地震で、ロンボク島や東隣のスンバワ島で少なくとも10名が建物の倒壊や落下物などで亡くなり、1800棟が損壊していると国家防災庁が発表しています。
 ロンボク島では、7月19日のM6.4の地震で18名が亡くなり、8月5日のM6.9の地震で460名以上が亡くなり、約36万人が未だテントなどで避難生活を送っている状態でした。4度の激しい揺れに襲われたロンボク島では、多くの地域が停電しており、通信も閉ざされているようで、被害の全容は未だはっきりしていません。
 昨日フィジー諸島でもM8.0の地震が発生したように、フィジーもインドネシアも、そして日本も環太平洋造山帯でつながっています。
日本での報道は多くはありませんが、CODEは現地との「顔の見えるつながり」を活かして支援をしていきます。どうぞご協力のほどよろしくお願いいたします。(吉椿雅道)

インドネシア・ロンボク島地震救援ニュースNo.6

CODEです。本日19日午後12時10分(日本時間13時10分)にインドネシア・ロンボク島で再びM6.3の地震が発生しました。震源は、州都マタラムの北西北東58km地点、深さは7kmです。5日に発生した震源の近くで、州都マタラムや観光地も揺れ、北部のリンジャニ山(3726m)では複数の地すべりも起きているようです。
 ロンボク島のある西ヌサ・トゥンガラ州の州知事が、観光客が激減していることから「被災地は北東部で、州都マタラムは平常通りで観光には影響はない」と宣言を12日に発表したばかりでした。被災地では度重なる地震で、被災者は不安で眠れない日々を過ごしています。
 CODEは、現地のカウンターパートを通じて支援を開始しています。ご協力のほどよろしくお願いいたします。(吉椿雅道)