アフガニスタンからの贈り物に感謝!!—13

昨日2021年8月31日、アメリカがアフガニスタンから完全に撤退した。あらたな歴史の一ページが始まった。タリバンのムジャヒド報道官は、「米兵が去り、われわれの国は完全な独立を勝ち取った」と独立宣言を発表した。しかし、考えて見れば国際社会の中で、それぞれの国が国家を形成した時から、まずお互いがお互いの国を尊重するには、「それぞれの国の独立権を認める」というところから出発したのではなかったか?
今朝のマスコミの見出しから、「敗北から何を学ぶか」という論調が目につくが、「敗北から」ではなく、そもそも原点を見失った見識のなさであったのではないか?そして、大国の責任のみならず、世界中の一人ひとりが、20年だけではなく、アフガニスタンの長い歴史とあらためて向き合う必要があるように思う。特に日本は、太古の昔からシルクロードを経て、アフガニスタンとのつながりが深かったと言える。だからこそ、これからの日本の役割が大きいということではないだろうか?

ちなみに1988年にアフガニスタンは「ナジブラ政権」が政治を治めていた。そのナジブラは次のような声明を国際社会に提起していたことも頭の片隅に記憶しておきたい。
-ナジブラは1988年11月26日、国連においてアフガニスタンを恒久的平和と非武装国家にすることを示した。また89年9月、第9回非同盟諸国首脳会議においても、同じ趣旨のことを明らかにした。こうして大国の狭間にある小国や周辺国が、派手ではないが、冷戦体制下にあってもみくちゃにされながら、ただ自国人民の解放だけでなく、真摯に世界平和に貢献しようとしていた事実を、我々はそれとして銘記したいものである。これもアフガニスタンが、(一国だけではないが)現代社会に提起した課題であった。―
(佐々木辰夫『アフガニスタン四月革命』スペース伽耶2005.10より引用)

昨日のレポートで紹介したが、アフガニスタンのぶどうは4000年前からアフガニスタンの国でいのちをつないできた。CODEがぶどうにこだわるのは、アフガニスタンの人々の暮らしに触れることができるからでもある。そして、イランでは紀元前からあったとも言われる“いのちの水”カレーズがアフガニスタンにも伝わり、アフガニスタンの人々暮らしを支えてきた。
さて、とにもかくにも理屈抜きにいま、日本政府がやらなければならないことは、アフガニスタンからの国外退避を願っている人たちすべてに、「いのちのビザ」を発行し、そのビザが有効に使えるようにいかなるサポートも惜しまないということだ!
(CODE事務局:アフガニスタン担当 村井雅清)

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