第 3 次パキスタン訪問日記 No.13

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 今回の地震で、もっとも激震地であった北西辺境州バラコートも日帰りで見てきた。3月に駆け足で見たときと、全くといっていいほど変わっていない。変わっていると言えば、テントの数とトタン屋根の簡易小屋が増えたということだろうか?ムザファラから車で2時間くらい離れているせいか、あるいは州が違うせいか、何故こうも開きがあるのだろうか。市の中心街になるバザールが密集しているところから、川を挟んで向こう側の小高い丘にテント生活の一群がある。「何故、10か月もこうなの?」と首をかしげざるを得ない。一群の中を廻っていると、赤新月社の車が2台通った。「まだ、緊急のフェーズか?
ならば、何故トイレやシャワーが仮にも設置されていないのか?」次から次へと疑問が・・・・・。
壊れた学校跡地では、セーブ・ザ・チルドレンによるテントでの子どもプロジェクトが行われている。災害地のいつもの光景だ。向かいの壁には「子どもを人身売買から守ろう!」というポスターが貼られている。これはまるで難民キャンプだ。こんな状況にもかかわらず、「パキスタン政府が国連やNGOの8月末撤退を発表した。」という情報が聞こえてきた。噂であって欲しいと願う。私たちを案内してくれていたのは小学校の先生だった。それでも、寄り添ってきた子どもたちが、手を差し出して「ギブミー・マネー」という。災害後にはよく自立ということが議論されるが、このような現場では「保護とエンパワーメント」の関係を考えさせられる。心配なのは、後数ヶ月で厳しい冬がやってくることだ。
これを持ってパキスタン訪問日記は終了します。ありがとうございました。