<5か月目にガレキの下から遺体が発見される>
ガレキの影響で次のような悲惨な話しがある。もし、人命救助が適格に、早く行われていたら、助かっていたかもしれない。CBOが、関係機関にガレキ撤去を何度も申し入れたが、受け入れて貰えず、やっと自分達で3メートルほど積もったガレキを片付けると、なんとそこから女性の遺体が発見された。日本では考えられない話しである。日本のレスキューおよび医療関係者は、災害現場に置いて「もう一人の命を救えないか!」と日夜努力している。現地の関係者の話では、こちらではガレキの下に埋まっていて助かるかもしれない命よりも、すでに亡くなっている人の方が大切な扱いを受けるそうだ。それも年上の人から。複雑な思いに駆られる。
今でこそ、IMO(国際移住機構)のプロジェクトとしてガレキ撤去が続けられているが、それでも何時終わるのだろうか、夥しいほどのガレキである。日立のユンボが、日本からの支援というラベルを貼って活躍していたが、そのすぐ横で一軒の住民が半壊の家を壊しており、狭い道を塞ぐように、またガレキを出していた。また地域内の壁には、青いペンキで「IMO→」と描かれており、「あれは、何の意味?」と尋ねたら、「みんなIMOが好きだから、住民が書いたんだ」という。毎日毎日ガレキを片付けてくれているので当然かも。自分達でやっていた直後の頃は、ガレキを近くの小川に廃棄していたらしい。そうすると水がせき止められるし、地滑りが起きるとさらに下流にいる人たちに被害を及ぼすため、河川の堤防づくりに使われるようになったそうだ。その後はJICA提案もあって、プロジェクトとして行っている。一つ学んだのだろうか。
余談だが、同じホテルに宿泊していた韓国の団体が、20数人でガレキ撤去ボランティアとして来ていたことを報告しておく。直後ならともかく、震災から10か月が経っても、こうしてわざわざ海外からガレキ撤去ボランティアにきていることが、なにをかいわんやである。