<瓦礫の中を歩く>
ムザファラバードの市街地は、ジーラム川とニーラム川に挟まれるように広がる河川丘陵地であり、山の斜面に家々がぶら下がっているという光景である。市街地の一区域「ワード13」を歩く。面積2平方キロメートルを擁するこの地区には、現在269世帯、2.258人が不自由な生活を送っている。全ての住民は、スンニ派モスリムに属している。地区内を歩いて、これが地震発生から10か月が経過した被災地なのかと目を疑った。生活道路(道幅は1~2m弱)はさすがに片づいているが、壊れた家々にはまだまだガレキが積まれている。おそらく道の上を歩いているのではなく、家が壊れてガレキの上を渡って隣家にいくという感じなのだろうか。
CBO(住民組織)のリーダーに案内されながら、ガレキの上から被災家屋を見る。リーダーは、私に訴えるように「この家も、この家も壊れた。ガレキは2階の高さまで積まれてあった」と繰り返す。また、同じくCBOの若手のメンバーは、ガレキの隙間に張られているテントを見るたびに「これは人間の住む環境ではない。この暑さは限界だ」と繰り返す。地区の最も北の方の丘に張られてあったテントで休憩した。この丘の片側は数百メートルに渡って崩れ落ちている。「このテントなら帆布を使ったテントなので、ビニールテントよりまだ過ごしやすいだろう。」と思いながらしばらく座り込んでいた。この生暖かい風は、阪神・淡路大震災時の公園でのボランティアキャンプ生活での真夏の空気を思い出す。住民の一人が「夜に毒蛇がでるんだ」と生け捕りにして空き瓶に入れてある蛇を見せてくれた。どうしてそんなことが分かるのか「この蛇は、2歳だ」といっていた。ここの住民も後にでてくるCRCシニアーメンバーの一人である。
彼は「まだ男は昼間仕事にでるのでいいが、家を守っている女性は大変なんだ」と訴えていた。家さえ壊れなければとつくづく思う。
*CBO;住民組織
*CRC:CBOの傘下にある復興委員会。