-仮設市街地構想実現の可能性を探って-
昨年10月8日、80,000人を超える死者をだしたパキスタン・インド地震が発生しました。あれから10か月が経過しましたが、被災地はまだガレキが山積し、一方テント生活を余儀なくされている方が多数います。(8月8日時点で5,936世帯、32,860人)
地震発生以来支援活動を続けてきましたが、具体的な支援プロジェクトを決定するため、パキスタン側に3度目の訪問をしてきました。8月14日から21日までの間、あれから10か月目を迎えた被災地ムザファラバードを中心に訪ねました。パキスタン政府からいまだに復興のマスタープランが出されない中で、市内の一地区が、ある壮大な実験に取り組もうと一歩を踏み出しました。前途多難ですが、これからの災害後の復興モデルの一つとして、まず関係者がこの取り組みに注目することが期待されています。是非、みなさまにも協働作業として加わって頂き、ご支援頂きたい旨をお願いしまして、今日から少しずつ、あれから10か月目のムザファラバードの様子をお伝えします。
<あれから10か月>
滞在しているホテルの窓から、ちょうどインダス川源流から流れてきているジーラム川とチベットの天山山脈に源流を持つニーラム川とが合流する地点が眼下に見える。毎日、毎日赤土を抱え込んで流れてくる様を見ていると、この川のはるか彼方の下流ではどのような姿に変わっているのか、果たして変わっていないのか気がかりである。しかし、毎朝モスリムの国の特徴であるモスクから聞こえてくるアザーンで目が覚め、しばらくして眼下の川を見ると、微妙に表情が違うように見える。こうして何千年前、いや何億万年前から、こうした営みが続いているのだろうと思うと悠久の時を感じさせてくれる。地震で、地滑りを起こし白い石灰石の肌を見せた山々と川の赤茶色が対照的である。気のせいか、地滑りを起こした山肌に緑が戻ってきたように思われるのが、復興の芽吹きを予感させてくれているのかも知れない。