みなさま、いつもご支援をいただきありがとうございます。CODE事務局です。
3月の初めより、パキスタン地震の中長期の支援プログラム決定に向けた現地調査を行うため、吉椿雅道が日本を出発したと先日お知らせ致しましたが、現地より第一報の連絡が入ってきましたのでご報告します。
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【写真】(上)春を迎えたバラコットの様子 |
【写真】(上)バラコット・ガラット村のガレキ小屋 |
<つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」Scene.1>
3月6日 バラコット
パキスタンを襲ったあの地震から早くも五ヵ月が経とうとしている。被災地の「今」を訪ねた。前回訪れた初冬とは風景も変わり、大地は荒涼とした土色から春を感じさせる緑色へと移り変わっていた。麦の緑に、白やピンクの杏子の花が 春の訪れを思わせる。最大の被災地、バラコットの市街地では当時を思わせるガレキの山はきれいに撤去され、空き地や新しく建てたトタンの簡素な小屋も多い。その小屋で食堂、日用雑貨、服などの商店が賑やかに再開している。川の対岸の被害の大きかった集落もガレキの撤去も進み、家の間を縫うような路地も姿を現し、かつてどんな集落だったのかほんの少し想像出来るようになって来た。聞くと震災前は美しい町並みがあったという。それを記録したビデオさえあるとう。
前回訪れた際にお話をお聞きしたムニ―ルさん(小学校の教師)に再会した。再び訪れた事をとても喜んでくれ、恒例の「チャイ」でもてなしてくれた。今後、家を建て直すには今の給料じゃ無理だと言っていた。今は自分で作ったシェルターに住んでいる。半円型の鉄パイプの骨組みに土壁をはり(中には断熱として発泡スチロールを入れている)、木製のドアを付け、天井には、すの子まで張ってある。これを一人で七日間で作ったらしい。費用は15000RS(約3万円)だという。トタンが8000RSと高いんだと言っていた。その分かなりしっかりした物になっていて電気やスト―ブ
まである。しばらくはここに住むつもりでこんな風につくったように思える。
その後、彼の教えている小学校へと行った。フランス、ドイツのNGOの協力で出来たテント小学校だ。子供達が建物を恐がるからテントの方がいいのだと。子供達は無邪気に遊んでいたが、心の傷が気になった。約150人の生徒の内、約50人は近郊の山間部から降りて来た子供達で臨時に一緒に学んでいるそうだ。ムニールさんは道端で会う子供達から握手を求められていた。別れ際、お前はもうゲストじゃない、兄弟だと言ってくれた。被災地、バラコットは、春っぽくなったとはいえ、雨が降るとかなり寒い。山間部では相変わらず雪景色だ。人々はこの冬をどうやって乗り越えてきたのだろう?多くのテントはトタンなどで補強されていた。また角材の骨組みにトタンを張り合わせた簡素な小屋を多く見た。今年は幸いな事に例年ほど寒くはなかったらしい。去年は市街地でも雪が積もったと。これも神の思し召しだという人もあった。
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