No.36-ウクライナ編 24

学生インターンの島村優希です。

先日、MOTTAINAIやさい便をお届けしているSさんご一家にインタビューを行いました。振る舞って下さったボルシチとヴィネグレットをいただきながら、Sさん、旦那さん、娘さん、Sさんのお母さんが日本に来るまでの道のりや故郷の様子などを話して下さいました。今回は2回に分けて、そのインタビュー内容をお送りします。

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「私たちは何も間違ったことをしていないのに、朝起きたら始まっていた。」

Sさんご一家の故郷はクレメンチュークで、ルーマニアに車で4日間かけて避難された後、日本には6月頃に来られました。

Sさんと旦那さんのMさんはその際のことを思い出しながら、

「多くの道路がチェックポイントで閉じられていたんだ。最初の夜は、私たちは床で寝た。とても寒くて雪が降っていた。次の晩は教会に泊まれたからましだった、彼らは避難する人を受け入れる準備が整っていた。もし食べ物がほしければ、もらうこともできた。その後は、2つのガソリンスタンドに行ったけど、私たちは5時間も待たないといけなくて、ガソリンは10Lに制限されていた。国境では16時間も待って、車の中で寝た。気温は-5度だった。私達は普通の車を使っていたから、いつ車が壊れるか分からなかった、検閲所を避けるために田舎の粗い道を通っていたからね。もしかしたら車が止まったときにミサイルに打たれたかもしれなかった。もっと恐ろしかったのは誰がウクライナ人でだれがロシア人か分からなかったということ。私たちの車には『子供が中にいる』というサインを張っていた。けど、ロシア人は気にしない。私たちが故郷を去る二日前、何人かの子供達がロシアに撃たれた。避難している間、何人かのボランティアがスープを提供していた。あと、息子には喘息があって、治療の機械で呼吸をするのに電気が必要だったが、手に入れることができなかった。」と、実際の写真と共に語って下さいました。

また、お話を聞いている最中も更新されつづけているウクライナの避難指示アラームを見ながら、Sさんは家の地下の避難場所を思い出し、

「家の下にはサウナがあって、戦争が起きてから、地下のシェルターに変えた。いつも私たちはアラームがなると一日の内に何回も地下に避難した。私たちの長女が今それを使っている。2月24日に使い始めたことを覚えている。私たちは何も間違ったことをしていないのに、起きたら始まっていた。正直に言うと、ロシアとウクライナは兄弟みたいなものだし、一つの大きなコミュニティだと思っていたから信じていなかった。」と語られました。

自分と同じように、何気ない日常を過ごしていた方々が、ある朝突然の戦争の始まりによって、それまでの日常には戻れなくなってしまったということが実際にお話を聞く中でまじまじと感じられたと共に、この悲惨な状況に対して自分の出来ることは何だろうと改めて考えさせられました。インタビューの始めに、私が「伝えたくないことは言わなくても大丈夫ですよ」と言った際、「知ろうとしてくれてありがとう」「もっと知ってもらいたいから話したい」とSさんとMさん(旦那さん)は何度も仰っていました。今ウクライナから避難されている方々はそれぞれに全く異なる背景とストーリーがあります。また、他地域からの難民の方でも同様です。私達が出来ることの一つは、その話一つ一つに耳を傾け、このような経験をされた避難者が身近にいるということ、それは世界のどこか遠い場所で起きている出来事ではないのだということをまずは知り、その上で自分に出来る支援の形を見つけることではないかと思います。

次回は、Sさんの故郷の現状について、伝えます。

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頂いたヴィネグレットサラダ(ビーツやじゃがいもを使ったサラダ)

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