月別アーカイブ: 2022年9月

No.34-ウクライナ編22「ウクライナの避難者と稲刈りしました!」

CODEです。
先日24日にウクライナから神戸市内に避難してきている方及びその家族7名と丹波で稲刈りをしました。
2年前よりCODE未来基金の学生たちの農業フィールドワークでお世話になっている有機農家のグループ「ムラとマチの奥丹波」(通称:ムラマチ)の主催で今年も稲刈りが行われ、ムラマチの関係者や学生さんも含め35名の方々と共に時間を過ごすことができました。参加者は、5月に手植えし、成長した稲を鎌で手刈りし、刈った稲を束ね、天日で干すために稲架掛け(はさがけ)しました。

この稲刈りにウクライナの避難者が参加することになったのは、ウクライナ人Mさんが、5月に「ウクライナのような農村に行きたい」と言ったことがきっかけです。神戸市街地のように「ビルが多く、狭い、小さい」という日本の印象を持っている避難者の皆さんからは、「被災しぶりに空の広い野外で体を動かして楽しかった!」などの感想も聞かれました。また、ウクライナの人たちと昼食のおにぎりを一緒に作ったり、ムラマチの皆さんが準備していただいた美味しいおはぎやみそ汁、デザートなどもご馳走になりました。参加した避難者の方も互いをあまり知らなかった人同士が稲刈りしながら母国語で会話している様子も見られました。また、最後に少しだけ「サツマイモ堀り」も体験させていただき、ウクライナのLさんは、「もっと掘りたい」と止まらなくなっていました。((笑))さすが年配の女性Lさん、Rさんは手慣れたように稲刈りをやっていました。
参加したRさんは、いつもウクライナの国旗を持っており、稲刈りの最中も旗を掲げていました。国旗の真ん中には平和の象徴である鳩が描かれています。青と黄2色の国旗は、青空と小麦畑を意味しています。丹波での青空と稲の2色の風景は、故郷ウクライナの平和を想わせたようです。
ムラマチでの活動を終えた帰り道、丹波の古刹「百毫寺」(天台宗)に立ち寄りました。参道にならぶ七福神や池を泳ぐ鯉、太鼓橋など日本の仏教に興味津々でゆったりとした時間を過ごすことができました。
最後にムラマチの皆さんが、CODEのウクライナ避難者の支援活動への募金を参加者に募ってくださり、18585円のカンパが集まりました。募金箱の中には絵の描かれた折り紙にお金が包んだものもありました。

今回の企画のご尽力いただいた「ムラちとマチの奥丹波」の皆さん、参加された皆さん、ご協力いただき、本当にありがとうございました。引き続きご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
(吉椿)

No.33-ウクライナ編21「こんな風に笑うんだ」

ウクライナ中南部、ドニプロペトロウシク州クリボイログから単身日本に避難してきた女性Iさん(30歳)に最初に会った時は風邪をこじらせており、Iさんは咳き込みながら英語で少しだけ話してくれた。この時、Iさんは神戸で出会った同じ避難民のOさんのお宅に間借りしていた。女性単身であった事や体調を崩していた事もあって、気になって時々連絡をしていた。
8/28に開催した交流会で再会した時は元気にしていて、ゲームにも積極的に参加したり、歌を歌ったり人一倍楽しんでいた。

先日、Iさんから市営住宅の入居がやっと決まったと連絡があり、引っ越しのお手伝いと企業から提供していただいたテーブルとイスを運んだ。引っ越しの際の車中でゆっくりお話しすると、「この前の交流会は楽しかったわ。BBQも美味しかったわ!」と本当に嬉しそうに笑っていた。

Iさんの家族は、ロシア領のクリミア半島にいて、戦争後会う事がより難しくなっているといいます。なぜ日本に一人で来たのかと聞くと、「神戸にウクライナ人の知り合いがいて、誘われたの」と、戦争という機会は残念だが、これを機に日本で頑張りたいと語っていた。

ウクライナから避難して来た方々の事情は本当に様々で、Iさんのように前向きに日本で頑張ろうという若い方ばかりではない。故郷を奪われ帰る場所をなくした高齢者や子どもの学校のために泣く泣く帰国した親子など様々だ。
災害の被災者と同じように、一人ひとりの声に耳を傾けていく事の大切さを改めて痛感している。
(吉椿)

*MOTTAINAIやさい便へのご協力お願いいたします。
MOTTAINAIやさい便では、新鮮な野菜をお届けする中で見えてきた問題やニーズに対してもサポートしています。自転車の提供、通訳、引っ越し、傾聴などのボランティアに学生さんなどにもかかわってもらっています。ご寄付は、野菜の購入だけでなく、運送代やボランティアの方の交通費などにも活用させていただいています。
ぜひご協力お願いいたします。

No.32-ウクライナ編⑳

先日CODEの呼びかけで、「ウクライナ-日本交流会」を開催し、ウクライナからの避難者およびモルドバ、ウズベキスタンの関係者など42名と日本人関係者30名の総勢72名が参加し、無事終えたことはすでにCODEのFBなどでお伝えしました。
その42名の中に、8月4日にウクライナのザポーリージャから神戸に避難してこられた方がいました。「えっ、ザポーリージャ。あの原発のある?」と思わず聞き返しました。

先日の交流会のときは、「私たちも、野菜を貰えるのですか?」と少し、恥ずかしそうな、でも嬉しそうに「ニコッ!」と笑ってくれました。 ただ翌日の夜、LINEで少し事情を聞いていると、辛くて、悲しそうな表情を思い浮かべるような交信がありました。「LINEで届く、覚えたてのひらがな文字」を読みながら、11年前の東日本大震災での東京電力福島第一原子力発電所の爆発で、とりあえず“着の身着のまま”で、文字通り命からがらの体で避難された方々のことを思い出さずにはいられませんでした。
以来、あの11年前と同様、「欧州最大の原発のあるザポーリージャ」というマスコミのの文字に、目が捕らわれる日々に、怒りが込み上げてくるのです。

また事情があって、もうすぐウクライナに帰ることになった親子は、気をつかって先日の交流会には参加しなかったのです。ちょうど30日に「とびまつ森の会」で菜園を運営しているところから戴いた、採りたてのナスビ、ピーマン、オクラ、伏見甘長とうがらしなどを届けました。その方とは、これが最後になるのでスマホの翻訳機能を使って、ウクライナ語でお別れのご挨拶をプリントし、野菜と一緒に渡すと、薄っすらと目に涙を浮かべながら、「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た」と笑顔を返して下さいました。

このように先日の交流会に参加して下さった人たちも、それぞれには、いろいろな事情があるのだろうなぁ・・・・と思いを巡らせるひと時でした。

でも、ウクライナの人がご挨拶で言われた「一人じゃないよ!」という“激”が、27年前の阪神・淡路大震災の時の「人間しとってよかった!」を思い出させてくれ、またいろいろあっても、私たちは「つながっているんだ!」と実感させてくれました。
(村井)