ザランド地震救援ニュース 2

ザランド地震の概要
発生日時: 2005年2月22日 午前5時55分(イラン時間)
地震の規模: マグニチュード6.4
発生場所: ケルマン州ザランド(Zarand)周辺(バムから北西に約270km)
死者数: 270名(地元報道による18時現在の数字)
けが人: 759名(         〃         )
<バタニさん、サイード、バム4人が現地入り>
昨日サイードが現地入りをすることはお伝えいたしましたが、今朝バタニさんも現地へ行くことを決定し、またバムの人々も私たちもなにかしたいと、皆でバスでザランドへ向かいました。現地で赤新月社と話し合いを持った上で、ニーズ調査をし緊急物資を今夜中にはケルマンで準備に入りたいと思います。
情報が入り次第引き続きお伝え致します。


<現地入りをしたピースウインズ・ジャパンからの情報>

PWJイラン事業としての対応
電話、及びテレビ等による情報収集の結果、ザランド周辺の多くの村が壊滅的な状態にあるとの情報を得たため、午前11時に ローカルスタッフのAidin Meghdadpourを現地に派遣し、被害状況の調査をすることに決定し、バムを出発。15時頃、最初の村に到着。その後、18時まで調査し、ケルマンに戻る。
被害状況: ザランド周辺の村々に被害が集中しているとの情報からその村々に絞って調査を行なう。
① Khanook
約10%程度の家屋が完全に倒壊し、残りの家屋のほとんどの屋根や壁に多くのクラックが見られた。震災後、余震がしばらく続いたため住民が完全倒壊を恐れ、家の中にいることができず、外で火を炊きながら救援物資を待っている状態であった。地元住民によると、4名の人が死亡しけが人も幾人か出ているとのことであった。
② Eslam Abad(Reyhan Shahr)
1軒1軒の家の距離が離れている。地元住民によると人口は、約3,000名。完全倒壊家屋は、それほど見られなかったものの、ほとんどの家の屋根や壁に多くのクラックが見られ、Khanook同様、多くの住民が外にいた。
救援物資が十分に行き届いていないためか、多くの人たちが近づいてきて救援を求めてきた。
③ Dahooie(Dahooie Town、及びDahooie Villageの2箇所からなる)
Dahooie Townは、前回発生した1988年の地震の後に、Dahooie Villageから引っ越してきた住民によって新設された村で、建物のほとんどが新しくさほど、被害は認められなかった。しかし、Dahooie Villageでは、前回の地震の際に、家々が弱っていたせいか、すべての家屋が完全に倒壊した。
地元住民によると、人口450人のうち、150~200名は亡くなったとのことであった。また、ここの家屋の作りは、バムの伝統的工法と同様に日干し煉瓦を積み上げただけの構造であったため、構造的にも原因があったと思われる。ここでは、日が落ちた後も、激しい雨の中、住民が行方不明者の捜索を行なっていた。また、この村では、赤新月社が、昼ごはんとして、暖かい食事を、また夜ご飯として、缶詰とパンを配給していた。しかし数は十分と言えないようだ。
④ その他
ケルマンからザランドへ向かう道路では、多くの救急車や赤新月社の車輛が行き来し、警察の車輛も多く見られた。また、救援のための車輛などで、渋滞していた。ほとんどの被災者が、テント、毛布、暖房器具を要望していた(気温が下がり、しかも雨が降っていた状況にも関わらず、外にいなければならない状況であったため)。調査の間、18時まで、認められた 配給されたと思われる(赤新月社のロゴが入った)テントの数が20張であった。しかし、ザランド市内の赤新月社事務所前では、数千人にも及ぶような大量の人がテントをもらうために行列を作っていた。そこで配給されていたのは、テントのみのようであった。現地での救援活動の遅れは、激しい雨と、地割れによる道路の寸断が主な原因と考えられる。
ガスは遮断されているが、電気は近々復旧する見込み。飲み水に関しては明日、水道が使えているのかどうかを調査する予定。
⑤ ケルマン州知事(Mr. Mohammad Ali Karimi)の見解
緊急救援チームが午後までに十分なテントが配給できなかった場合、ザランドやケルマンの学校に臨時に被災者を避難させるとのことであった。しかし、その様子は、見られなかったようだ。
以上です。

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