No.24「津波が襲った宿に泊まる」

昨年9月末にM7.5の地震が襲ったインドネシアのスラウェシ島中スラウェシ州では、津波と地盤沈下による液状化が2000名以上の命を奪った。CODEは、現地の建築家たちをカウンターパートに支援を行っている。
2ヶ月ぶりに被災地パルを訪れた。パルの市街地はライフラインも復旧し、一見日常を取り戻しているように見えた。だが、宿泊するホテルに着くとその考えはすぐに打ち消された。
パル湾に面したそのホテルは、約2m津波が襲い、客室の一部も損壊したままだった。隣は、明らかに津波で流された事がわかるような何もない空き地だった。
ホテルの従業員の女性に話しかけると、津波の時の動画を見せてくれた。動画では、地震でレストランが揺れていて、従業員が慌てて2階に駆け上がる。その直後に津波が来ている様子が映っていた。「津波は、地震の2.3分後に来たわ。あの壊れているのが、ロビーだったのよ。」と津波がホテルを襲ってくる動画を見ながら当時の様子を語ってくれた。「でも、レストランの2階に上がって、皆助かったわ。」と笑顔を見せてくれた。確かに今回の津波は海底地盤の崩落によるもので、津波が来襲する時間は早かったと専門家は指摘している。
今は、ガレキはほとんど片付けられ、部屋も修繕され、営業を再開しているが、人の気配も少なく、わずか数名の従業員が、修繕中のレストランの前に机を出して、手書きでチェックインをしている。電気、水道は復旧しているが、インターネットはレストランでわずかにつながるだけだ。すぐ前の海外線の道路は、今も崩れ落ちたままだ。
地震前、パル市内には20近くのホテルがあったが、4ヶ月経った今、再開しているのはわずか3、4軒のみだ。
津波が襲った部屋に泊まる。部屋の窓からは海が見える。どこか落ち着かない気持ちで床につく。被災した人たちは、こんな気持ちなんだろうか、と思いながら。(吉椿雅道)

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インドネシア・スラウェシ島地震津波救援ニュース No.23

kampung kami di telan bumi
petobo tinggal kenengan
kami butuh tempat tinggal

「 私たちの村は地球に飲み込まれてしまった
ペトボはだだの記憶になってしまった
私たちには生きる場所が必要だ」

地震の液状化によって被災したペトボ地区で住民によって掲げられた看板に書かれていた言葉だ。ペトボ地区(1747世帯)に入ると、道路が突然なくなり、5mほど陥没して、見渡す限りガレキの山と化している。本来は、のどかな田園風景の中に家が点在していたのだろう。看板に書かれているように地盤沈下によって人の暮らしが大地に飲み込まれた。
自宅のすぐ横で液状化が止まり、かろうじて倒壊を免れた40代の男性は、妻と子ども2人の4人家族だが、地震が起きた時、その男性は、液状化を起こしたエリアで結婚式に出席していた。地震で大きく揺れ、その後、大地が陥没し始め、水が噴き出してきたという。「とにかく急いで逃げたよ。沢山の人が助けを求めていたが、助けられなかった。」と複雑な表情を浮かべた。
「自宅は倒壊しなかったが、いつ崩れるか分からない。怖くて住めないよ。今は、近くの幹線道路沿いで、ガレキで作った仮設の小屋で暮らしているよ。」と語った。仮設の暮らしで何が問題かという問いに、その男性は「すべてだ。中でも水だ。」という。政府が時々、給水に来るそうたが、まったく足りていない。今後の事を聞くと、しばしの沈黙の後、「新しい家を建てたいが、まったく分からない」とだけ答えた。(吉椿雅道)

インドネシア・スラウェシ島地震津波救援ニュース No.22

インドネシア・スラウェシ島地震津波の被災地に入った吉椿雅道CODE事務局長より現地レポートが届きました。ぜひご一読ください。

[現地レポート]
パル市は、パル湾の約30kmの入り江の奥に町が広がっている。この地震による津波でパル湾の海岸線のほとんど数十メートル内陸まで津波の被害を受けている。パル湾の東西には、2000m級の山々がパル市を囲むようにそびえている。海岸線からすぐに山が迫っている風景は、どこか神戸に似ている。谷間に出来たパルは、長い年月をかけて形成された扇状地で、古代は海だったそうだ。
今回、液状化で大きな被害を受けたパル市のBalaroaやPetobo、Sigi県のJonoOge、Sibalayaの4ヵ所は、いずれもこの扇状地にあり、特に水の出やすい場所だったと現地の専門家は言う。中でも、Petoboは、1km×3kmの広大な面積にわたって液状化を引き起こし、大地が人々の暮らしを一瞬にして飲み込んだ。そこに何があったのかさえ分からないほど大地デコボコになりガレキが散乱している。見渡す限りのガレキの跡地に、ところどころ旗が立っている。何かと尋ねると「旗の立っているところには、犠牲者が眠っているんだよ」と教えてくれた。その旗のそばに「Petobo Bangkit」(立ち上がれ!ペトボ)とガレキに書かれている。これまで見たことのない風景だった。
(吉椿雅道)

インドネシア・スラウェシ島地震津波救援ニュース No.21

インドネシア・スラウェシ島地震津波の被災地に入った吉椿雅道CODE事務局長より現地レポートが届きました。ぜひご一読ください。

[現地レポート]
スラウェシ島地震津波の被災地、パル市(人口約35万人)の市街地は、ライフラインも復旧、飲食店も営業を再開し、一見普通に生活が回復しているように見える。だが、日本のように家屋の危険度判定がないことからが、夜は避難所のテントなどで寝る人も少なくないという。
パル市やドンガラ県沿いに広がるパル湾を襲った津波は、最大11mといわれる。市街地からほど近い海岸線の Rajamoili通りは、震災前、おしゃれなカフェやレストランが並んでいて、市民の憩いの場だったそうだ。だが、津波によってすべて跡形もなくなってしまった。浸水したエリアのガレキは、すでに片付けられていて、内陸数十メートルまで空き地が広がっている。そして道路は陥没したままだ。そこにどんな人たちが住んでいて、そんな暮らしがあったのかさえ想像できない。
海岸線沿いの道で屋台を営む女性は、「津波ですべて奪われた」と語っていた。
バイクで海岸近くを走っていると、道路が川のように冠水しているところを時々見かける。地盤沈下を起していることが分かる。夕刻になると満潮になり、浸水域が内陸部へと徐々に広がり、元々あった道路も水没していた。被災地では、時折激しい雨が降り、すでに雨季に入りつつある。震災は今も続いている。(吉椿雅道)


インドネシア・スラウェシ島地震津波救援ニュース No.20

インドネシア・スラウェシ島地震津波の被災地に入った吉椿雅道CODE事務局長より現地レポートが届きました。今回の派遣に同行していただいているラーマットさんは建築家としての視点から被災地の支援を続けています。ぜひご一読ください。

[現地レポート]
2006年のジャワ島中部地震以降、CODEのカウンターパートとして協働させて頂いているエコ・プラワットさん(建築家・デュタワチャナキリスト教大学教授)には、ロンボク島地震の被災地での調査にも同行いただき、今回のスラウェシ島での調査でも、建築家仲間のラーマットさんをご紹介いただいた。

 ラーマットさんは、自分の仕事場であるスタジオを拠点に被災地支援を行っている。スタジオには、グラフィックデザイナーなどスタッフやパルの大学で社会政策を教える教師、ジャカルタやマカッサルなどで建築や芸術を学ぶ大学生たちがボランティアとして支援活動に参加している。

政府は、2万3000棟の仮設住宅を建設すると発表しているが、ラーマットさんは、圧倒的に足りないと言う。自宅が倒壊していなくても、建物が大丈夫なのか不安で、夜寝るのが怖いという人も多く、テントや簡易の小屋で過ごしている人も少なくないそうだ。

ラーマットさんたちは、被災地のTompe(震源地)、Wani、Sibalaya、Biromaruの4ヶ所で仮設住宅の建設プロジェクトを行っている。

中スラウェシ州の山間部に今も残るTambiと呼ばれる伝統建築で、木や竹を藤のツルなどで縛って組み合わせた三角形の家で、主に山地民族カイリ族の人たちが継承してきた伝統様式のようだ。エコさんたち同様にラーマットさん達、インドネシアの建築家やアーティストたちがいかに伝統を重んじているかが分かる。(吉椿雅道)

写真:液状化したバラロア地区
スラウェシの伝統建築Tambi

インドネシア・スラウェシ島地震津波救援ニュース No.19

インドネシア・スラウェシ島地震津波の被災地に入った吉椿雅道CODE事務局長より現地レポートが届きました。ぜひご一読ください。

[現地レポート]
スラウェシ島中スラウェシ州最大の町、パル(人口約35万人)に入った。
市街地は一見しただけでは、何事もなかったかのような気さえするが、中心部を抜け、海岸線に出ると、一面何もないエリアが広がる。よく見ると細々したガレキや横転したコンテナやトラックであることに気づく。津波によってほとんどすべてが流され、元々何があったかさえ分からない。
パル在住の建築家ラーマットさん(CODEのカウンターパートであるエコ・プラワットさんの友人)たちの案内で、バイクでパル市内を見渡せる高台を走った。10分程度走ると、それは突然姿を表した。土地をすべてひっくり返したようにガレキが散乱している、バラロア地区だ。ここは、地震によって大規模な液状化を引き起こし、地盤沈下で大地がひっくり返えったような状態になっている。聞くと「5から10メートルほど下がった」、「未だ数千人が埋まったままだ」という。液状化した地区の中に入ってみると、その被害が如何に甚大であるかがわかった。道や家がデコボコな状態で、あちらこちらに水溜りや水流がある。昨晩の雨のせいか水没している家もある。あたり一面からからヘドロのような悪臭が漂う。地震が起きたのが夕刻だった事から火事も発生したという。
そんな中、沢山の人がガレキの中で何かを掘り起こしている。聞くと、鉄筋など使える資材を拾う業者らしき人もいれば、自宅から写真などの思い出を探している人もいる。
1980代頃から始まった宅地開発以前、このエリアは農地だったそうだ。「これらの水は地下から出ている」という言葉が被害の深刻さや復興の困難さを表している。(吉椿雅道)

インドネシア・スラウェシ島地震救援ニュースNo.18

「インドネシア・スラウェシ島地震津波の被災地へスタッフを派遣」

 CODE海外災害援助市民センターです。
CODE事務局長の吉椿雅道がインドネシア・スラウェシ島で発生した地震津波の被災地へ向けて、本日出発しました。
9月28日に発生した地震津波により、スラウェシ島・パル市の被災地は大きな被害を受け、また地震による液状化で地滑りも発生したことで2000名以上の方が亡くなり、多くの行方不明者を残したまま捜索活動は打ち切られています。津波により家を失った被災者は避難キャンプでの生活を続けており、既に始まりつつある雨季に向けて不安を募らせています。
今回の派遣では、既にロンボク島地震救援活動でもご協力をいただいているエコ・プラウォトさんの旧知の建築家の方とともに被災地の現地調査を行い、今後の支援活動の方針を探っていきます。「困ったときはお互いさま」を合言葉に阪神・淡路大震災以降、各国の救援活動を行ってきたCODEは、今回も被災者の方に寄り添う支援を行っていきます。
ロンボク島地震、スラウェシ島地震津波と大きな災害が続くインドネシア、改めて皆さまご協力のほどよろしくお願いいたします。(上野智彦)

インドネシア・スラウェシ島地震津波救援ニュースNo.17

「復興支援へ」
9月28日にインドネシア・スラウェシ島で発生した地震からまもなく1か月が経とうとしています。
被災地では、簡易な軽量鉄筋と壁板でできた仮設住宅の入居が始まっています。液状化で壊滅状態になったプトボ地区(2050棟)やバラロア地区(1045棟)は、原地再建を断念し、集団移転をすることになります。もとの場所は、慰霊のための公園や運動施設にするという計画になっているようです。
他方で、緊急段階から復興へ向けて、国際社会の支援の動きも始まっています。また、世界銀行は住宅再建やインフラ整備に最大10億ドル(約1122億円)の資金を提供すると発表し、その資金は低所得層に対して6か月から12か月間の現金支給に充てられるとのことです。アジア開発銀行からも300万ドル(約3億3600万円)の提供があったとの報道も出ています。
そして日本政府は、緊急援助隊の派遣やテントや毛布などの援助物資の提供から、復興計画の策定の支援に入りつつあります。東日本大震災など津波災害を経た災害大国、日本の復興の経験や教訓が、今、インドネシアで求められています。いい事例だけでなく、復興の失敗や課題もしっかりと伝えていく必要があります。
CODEも今後、現地に入り、阪神・淡路大震災から24年培った復興の智恵を活かした支援を微力ながら行っていきます。引き続きご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。(吉椿雅道)

インドネシア・スラウェシ島地震津波救援ニュースNo.16

「埋め立て地と地盤沈下」
インドネシア・スラウェシ島で発生した地震の被災地では、2週間後の10月12日に行方不明者の捜索が打ち切られました。公式には670名と言われていますが、5000名との情報もあります。この打ち切りを機にメディアのニュースや情報が一機に減っています。
地盤沈下で数メートル隆起しているパル市のバラロア地区は、もともと沼地だったそうです。そこを埋め立てて宅地にしたことが、今回の液状化と地盤沈下を引き起こしたと考えられます。
また、被災地では、この10月から雨期に入り、すでの避難キャンプのテントが浸水するなどの被害が出ています。これからの本格的な雨期による土砂災害や感染症などが懸念されます。(吉椿雅道)

インドネシア・スラウェシ島地震津波救援ニュースNo.15

「11mの津波と地盤沈下」
インドネシア、スラウェシ島を襲った地震から2週間が経ちました。この地震による被害は、12日時点で死者2090名、行方不明は670名(公式)となっています。
その多くは身元も分からないまま12日に捜索は打ち切られました。行方不明の多い地域は、液状化でデコボコに地盤沈下したことや泥流が固まったことなどで捜索が困難ということがその理由のようです。
今回の地震による被害の多くは、津波と地盤沈下によるものですが、先日、国家防災庁(BNPB)は、今回の津波が最大11.3m(パル東部)だったことを初めて公式に発表しました。また、インドネシア気象庁などによる調査では、津波は海岸線から483m内陸まで押し寄せたと報告しており、この災害がいかに甚大なものであったかが想像できます。
(吉椿雅道)