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【四川省地震4周年レポート】No.8

2008年5月に起きた四川省地震のレポートをお送りします。
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四川省地震4周年レポート No.8
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●支え合いと学び合い3(ボランティア)
2008年5月四川大地震後、中国全土から様々なボランティアが被災地に駆け付けた。2009年5月の国務院発表によると震災後、1年間で約300万人のボランティアが被災地に駆け付け、後方支援のボランティアは1000万人以上だった事から中国の「ボランティア元年」とも言われている。
政府の共産党青年団(共青団)や企業などが派遣した官製ボランティアが約40%で、残りの60%は個人ボランティアであったという。個人ボランティアの多くはインターネットや携帯を駆使して、政府や団体に頼らずひとりひとりが被災地へと向かい、出来ることをやるというスタイルでボランティアを行った。
震災直後に綿竹市遵道鎮で出会った広東省の若者たちは、「俺達は皆、携帯で情報交換してここで出会ったんだ。やれる事をやるだけさ。」と語っていたのを思い出す。その若者の多くは20代で、中国では「80後(パーリンホウ)」と呼ばれる。「80後」とは1980年代に生まれた世代をいい、「ITが得意」、「優しい」、「個性を大事にする」、「海外の文化や情報に抵抗がなく受け入れる」などが特徴と言われているが、計画生育政策(一人っ子政策)によって親の愛情を一身に受け、裕福な時代に育ったため「貧しさも苦労も知らない」、「親の脛かじり」、「わがまま」、「甘やかされ世代」と皮肉って使われる事の方が多い。だが、被災地に駆け付けた多くのボランティアはこの「80後」の若者たちであった。TVから連日流れる被災地での懸命な若者の姿から四川大地震以降、「80後」の若者に対する社会の評価は一転した。
広東省から来たボランティアたち.JPG
上海から僕を訪ねて来た二人組の大学生は、「先生の老朋友(旧友)の日本人がNGOで活動しているって聞いて来ました。」と言って、ガレキの片づけを共に行った。非常にまじめで素直な若者たちで、何か役に立ちたいという思いに溢れていた。また、CODEと共に3カ月間ガレキの片づけをしたボランティアの中国人女性(当時22歳)も「ずっとやりたかった事をやらせてもらえる機会を与えてくれてありがとう。」と話してくれ事があった。
上海から来た大学生たち.JPG
「80後」の象徴と言われるH氏(作家、四川地震当時25歳)のブログには約3億5000万のアクセスがあるという。彼は、「80後」に関するインタビューの中で「四川大地震以降、世間の評価は変わったが、80後が地震以降に変わった訳ではない。彼らは元々、社会的な活動をする意欲を持っていた世代なんだ。」、「地震後、被災者救援という名で堂々と活動できるようになった」と語っている。
「80後」というレッテルを張られ、くすぶっていた中国の若者たちが、四川大地震後、生きがい、やりがいを求めて動き出した。その流れは、2010年の甘粛省土石流災害や青海省玉樹地震にも確実につながって来ている。約2億人いると言われる「80後」。今後、社会環境が整ってくれば、若いボランティアたちは社会を変える大きな力になっていくだろう。
彼ら、彼女らの自由な発想や活動は、17年前のKOBEを思い出させる。