インドネシア・ロンボク島地震救援ニュースNo.15

今日(11月2日)は、阪神・淡路大震災以来交流のある小規模作業所「シティーライト」の理事をされている溝渕さんからご紹介いただいたロンボク島西部のGunungsari村(グヌンサリ)に住むSauen(サイウン)さんとともにマタラム近郊の被災地域を回りました。サイウンさんは大工をしており、妹さんが結婚して日本で暮らしているそうです。彼自身の家も全壊しています。

サウエンさん家族と

30日の報告でマタラムから北部に行ってしばらくは建物の被害があまり見られないと書きましたが、大通り付近の建物が多く残っている一方で少し奥に入ると被害が大きな地域が広がっていました。

崩壊した集落

地震発生直後の報道では、被害が大きいとされていた地域のかなり手前になります。グヌンサリ村はマタラムから車で20分ほど北に行ったところで、竹製品や木製品などの民芸品店が多くある地域です。この地域では7名が亡くなり、200人が負傷したそうです。

大通りから外れて車で5分ほど走らせたところに区域のほぼすべての家が倒壊、損壊している地域があります。この地域のほとんどの家はレンガ造りです。壊れた個所を見るとレンガ自体が弱く、レンガ同士の接合も甘いようです。被災者は元の家の残っている部分に屋根をつけテントを横付けしていたり、トタンや端材を使って作られたりした自作の仮設住宅に住んでいます。

この仮設に複数家族が住んでいる場合もあるようです。また、以前紹介したプルガ(東屋)を寝床にしている方もいます。先述した大工のサイウンさんも竹で東屋を造りますが、このプルガというのは、Lombokでは居間という感覚でどの家庭にもあり、そこでご飯を食べたり、お茶を飲んだり、昼寝や仕事をしています。

ブルカ
ブルカ3
ブルカ中
ブルカ中2

お話を聞いている最中にスコール(今季初とのこと)が降りましたが、テントの上には雨水が溜まり、風雨は入り込み、中には寝室の真上のブルーシートに穴が開いていて、ベットがびしょぬれになってしまいました。そんな中でも、水遊びをする子どもたちの笑顔は印象的でした。

テントに雨がたまる
テントの屋根に空いた穴
テント暮らし
まけないぞう
水遊び

やはり住居の問題は大きいようで、食料の支援は十分にあるものの、何度も紹介してきたように、この地域でもトラウマが酷いから、今度はレンガではなく、木造で作ると話しています。女性たちはみなさん口を揃えて早く家が欲しいと言います。お金がないから政府からの援助を待っていると話していました。

伝統建築と仮設

地震に対してこれまで対策を取ってきたことはありませんが、最近では小学校で地震の時の行動について学ぶことがあるようです。親世代は子どもからそれを聞いて地震について学んでいるようです。中には自信が起きた際、ずっと祈っていたという高齢の方もいます。またこの地域の女性たちは、地震当時幼い子供を抱えた人が多く、2~3日は村のすぐ後ろにある山に避難したそうです。津波がくるという”うわさ”が広がりみなさん高台の山へ避難したそうです。みなさん”津波は嘘”だったというのですが、それでも本当に来るかもしれないので地震があったら逃げて下さいと伝えました。

ところで昨日の報告でRISHA(コンクリートフレームの家)が政府の再建計画としてあるとお伝えしましたが、これは屋根を含めて5000万ルピアとなり、また広さが36m2と決まっています。家族が多い被災者はもともと大きな家に住んでいました。36m2では多くの家庭では不十分な広さであり、トイレや水回りもないため、設備の増強や部屋の増設を余儀なくされます。そのため家の再建の負担が被災者に大きくのしかかってくることが予想されます。                    (上野智彦、増島智子)

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