20年前の9月11日、私は1999年に発生した台湾地震の被災者支援で、何度目かの台湾入りをしていた時だった。日本へ帰る前日に台北のホテルで宿泊していて、朝テレビをつけると、アメリカの世界貿易センタービルが崩れていく映像が流れていた。一体何が起きているのか、しばらくは理解できなかった。やがて、それが後に云う「9・11」となった。翌、帰国の途に向かう飛行機の中で、日本の新聞を食い入るように読んだ。詳しくは覚えていないけれど2紙か3紙を読んだ。
驚いたのはどの新聞も1面のトップ記事の大見出しが、「犯人はアラブ系か?」と「?」がついていたことだ。確定していないから「?」がついているのに、1面トップにあげられるとは、いったいどういうことだと憤慨したことを思い出す。これがもし「犯人は日本人か?」となれば、私はきっと飛行機になど乗れなかっただろうし、私だけではなく日本人はどのような思いで身を小さくしていただろう・・・・?と思った。そして機内のテレビでは、当時のアメリカのブッシュ大統領が「アメリカにつくか、テロにつくかだ!」と叫んでいた。他に選択肢はないのか?と、また憤りが・・・・・・。
つまり、この日からアメリカと世界中の多くの国がアメリカ側につき、報復戦争が始まったということである。今年に入ってアメリカが「8月中にはアフガニスタンから撤退する」と宣言してからは、誰もの予測を裏切って、タリバンは完全独立をめざしてアフガニスタンの全土制圧が進み、8月15日に首都カブールを制圧した。この日以来、メディアは「アメリカの失敗」「アメリカはアフガニスタンを見捨てた」「20年の失敗」という論調が今も絶えない。
しかしそれで充分なのか、疑問を感じる。先述したようにあの日をふり返ると、20年前にアメリカの号令とともに一歩踏み出したすべての国が失敗したのだということを、誰もが胸に刻み込まなければならないと強く思う。
20年目の今日、次の二つのニュースに目が止まった。
●アフガン駐留に異を唱えて政府の職を辞した米兵の「我々はなぜ、何のために戦争をしているのか。負傷者と支出を出し続ける価値が見えないのです」と辞表に書かれたことを紹介されていた。 (朝日新聞 2021・9・11より引用)
●「9・11」の犠牲者2977名にうち、日本人が24人含まれていた。そのうちの一人で銀行員だったつれあいを喪った奥さんは、「暴力で夫の肉体は奪われても、私たち家族の夫を思う心までは奪われていない」「テロへの憎しみではなく、幸せを感じる心を育ててきた」とコメントされた。
(毎日新聞 2021・9・10より引用)
この20年は、何だったのか?あらためて考えさせられた一日だった。
(CODE事務局:アフガニスタン担当 村井雅清)