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災害・紛争…混とんとした時代に私たちはどんな未来を選ぶのか
~阪神・淡路大震災30年を目前に~
【日時】2024年1月13日(土)13:30~15:30
【参加費】無料
【会場】近畿ろうきん 肥後橋ビル12Fメインホール
大阪市西区江戸堀1-12-1 地下鉄四ツ橋線肥後橋駅10番出口(ろうきん肥後橋ビル出口)すぐ
【申込】こちらから。
もしくはページ下部「お問い合わせ」よりお申し込みください。
【主催】CODE海外災害援助市民センター
【共催】近畿労働金庫、関西NGO協議会
昨今の災害・気候危機、紛争・戦争、感染症などが世界各地で頻発し、様々な情報が錯そうするグローバル社会で、私たち市民は何を想い、何を大切に次世代へとバトンをつないでいかないといけないのか。
本セミナーでは、現場で人々の暮らしや命を見つめてきた安田さんにご講演いただき、市民一人ひとりが、未来の社会を考える機会にしたいと思います。
【お問い合わせ】
CODE海外災害援助市民センター
CODE未来基金
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通2-1-10
TEL: 078-578-7744
FAX: 078-574-0702
Email: info@code-jp.org
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災害・紛争…混とんとした時代に私たちはどんな未来を選ぶのか
~阪神・淡路大震災30年を目前に~
【日時】2024年1月13日(土)13:30~15:30
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昨今の災害・気候危機、紛争・戦争、感染症などが世界各地で頻発し、様々な情報が錯そうするグローバル社会で、私たち市民は何を想い、何を大切に次世代へとバトンをつないでいかないといけないのか。
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2 weeks ago
2月に一緒に能登の被災地で活動したミャンマーの若者たちの事が記事になりました。
この若者たちは、3年前のクーデターで厳しい状況にある人たちを支えるために日本でも活動しています。
別れ際、片付けをお手伝いした家のお母さんは、ミャンマーの女性に「早く平和になるといいね。」と語りかけている姿がとても印象的でした。
災害とクーデターとは違うけど、厳しい状況に置かれた人たち同士で痛みを分かち合っている姿に目頭が熱くなりました。(吉椿)
www.tokyo-np.co.jp/article/311811?fbclid=IwAR0m3SvY-GpfyJQv8lojot3kbjiKld4HGkARZMTS6oHfXAZdmdbgwD... ... See MoreSee Less
「故郷を失うつらさは同じ」在日ミャンマー人らが能登で被災家屋の片付け 「痛み、分かち合いたい」:東京新聞 TOKYO Web
<連載 ミャンマーの声> 首都圏で暮らす在日ミャンマー人とクルド人らが、能登半島地震で被災した石川県七尾市や能登町を訪れ、家屋の片付け...2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.39
自主避難所から、自立避難所へーⅡ
この金蔵集落には、足湯ボランティアで被災地入りしている大学生たちと訪問した。自主避難所「金蔵集会所」にお邪魔して、短時間だったが自然の尊さを学ばせて頂いた。地震の前は100余名だったが、区長の井池さんが小学生の頃、人口は500名を超えていた。この地域には4カ寺(一時は5カ寺あった)あり、山岳仏教としてこの地を守った。奥能登で最大規模の木造寺、「正願寺」もこの地にある。
今回の地震では、金蔵で全壊した家はほとんどない。この地方の家の木には“能登ひば”の木が使われている。雪深い山で育った“ひば”を使うので、しなやかで、強い。雪の重さにも耐えられると。しかも、木を切るときには、切る前に木が立っている向きを見て、この木は家のここの柱に使うと決めてから切るそうだ。「新月に切った木は腐らない」と木こりさんから聞いたことがあるが、これも先人の知恵か。自然に逆らわない技だ。
ここでは地震後、毎朝お茶を飲みながら会議をし、お互い元気であることを確認し合っている。会議の後は、これからここに戻ってくる人たちのために、この集落を守っている人たちで在宅避難の様子を確認し、損傷の状況などもチェツクするそうだ。
前号のレポートで「金蔵米(きんぞうまい)」のことに触れた。金蔵には大きい川がないため、米作りに不可欠な水は雨水だ。今回の地震で亀裂が入っていないかなど点検しなければならないが、雨水を溜めた池が11か所ある。
加えて、金蔵米が美味しい秘密は米が育つ気温と日中の明るさだという。ここでは3月20日が最も寒く、9月1日が最も暑い。こればかりは自然の摂理に逆らえない。
米が育つには満月の灯りが最適らしい。日差しが強く、日が当たりすぎてもダメだと。米もしっかり寝る必要があるそうだ。満月の優しい灯りが美味しい米を育んでいる。夜は明るいと米も寝られない。人間も同じだ。これが“美味しい”所以だと区長は笑う。しかし、今年は地震で米作りができるかどうかはわからないので心配だ。
井池区長は、「60過ぎて村のありように口を出すところは、やがて潰れる。若い人が、中心になる村は潰れない!」と断言されていた。これはどの世界でも同じことが言えるだろう。金蔵に来ると人生訓も学べそうだ。金蔵には34歳のベルギー帰りの若者がいる。大丈夫だ!加えて、女性は3時半には自宅に帰す。日没になるまでに‥‥ということだそうだ。女性を大事にしているので、この村は潰れないだろう。
金蔵(かなくら)には、金蔵寺(こんぞうじ)があり、金蔵米(きんぞうまい)があり、昔は逆から読んで“埋蔵金(まいぞうきん)”という地酒もあったそうだ。(了)
―水津樹紀、楊颸羽(ヨウ シウ)、西受穂乃花、山村太一、村井雅清― ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.38
自主避難所から、自立避難所へ(金蔵編)―Ⅰ
以下に紹介する輪島市町野町金蔵(かなくら)、という集落の避難所は自主避難所になっている。3月6日、足湯活動の隙間の時間で訪ねてきた。
しかし、いろいろお話を聞いていると、ここは間違いなく「自立避難所」だ!自立とは、約30年前の阪神・淡路大震災で学んだ意味は、「自立は支え合いから」だった。もう一つ加えるならば、「自立とは、孤立させない人権運動だ」(当時朝日新聞論説委員の秦洋一さんの言葉)とも。
今回の能登半島地震では、発災後2か月を過ぎた頃には、どこからか「自立してもらうために、避難所を統廃合し自主避難所は閉鎖の方向に進める」と聞えてくる。ほんとうにそうなると明らかにこれは人権問題と言っても過言ではない。
さて、元旦に発生した能登半島地震は、山間部の多い過疎地域を襲い、山間部では大規模の山津波や土砂災害が発生し、沿岸部では一部では4メートル以上の隆起があり、漁業には甚大な被害をもたらした。一時は孤立した集落が24ヶ所3345人(1月8日時点)もあり、その多くは金沢市はじめ周辺の自治体に設置された2次避難所に移動した(させられたと思った被災者は少なくない)。
本レポートで紹介する金蔵集落からも100余名の人口のうち70名が2次避難所に避難された。この地震後に残っているのはわずか26名という。2ヶ月が過ぎて、未だ断水が続くも、井戸水でしのいでいる。他の山間部の集落では山が蓄えている自然の恵みを引いて賄っているところも少なくない。このまま減少が続くのかと思いきや、真逆の現象が起きている。2ヶ月後に20名までに減少していたのに、やがて1人戻り、2人戻りして26名(3月6日時点)になった。区長さん曰く、みんなが口を揃えて「金蔵に帰りたい」と言うそうだ。何故なのか?
それは自然の豊かさ、人々の優しさ…などがそこに暮らす人にしかわからないものがあるとしかいいようがない。「ここの米は、金蔵米(きんぞうまい)といい、最高に美味しい」と区長さんは嬉しそうに言う。
2次避難所には、90歳の男性がおられ、その彼が金蔵に戻ってこれるために、今残っている住民で介護体制を敷くために、日々会議をしている。一方、毎朝8時に顔を会わせ、誰がいるかを確認する。施設に入ったりさる方もおられるようなので、70人全員が戻ってくることは難しいかも知れないが、目標はそれに近い。<続く>
―水津樹紀、楊颸羽(ヨウ シウ)、山村太一、村井雅清― ... See MoreSee Less
3 weeks ago
来週3月12日(火)20:00〜
NHK「ハートネットTV」でトルコ・シリア地震や能登半島地震支援の様子が紹介されます。
... See MoreSee Less
一人ひとりの力を信じて 〜トルコ・能登半島地震 支援の現場から〜 - ハートネットTV
去年2月のトルコ地震と今年1月の能登半島地震。国境を超えて支援に奔走する神戸の災害ボランティア団体の吉椿雅道さん。「復興の主役は被災した人」を信条にトルコでは最大の被災地・ハタイ県で住民の声に耳を傾け...4 weeks ago
【急募】
能登半島地震の被災地での足湯ボランティア(大学生などの若者)を急募します!
足湯第3次足湯ボランティア隊
3月5日(火)~3月8日(金)に行くのですが
もう1枠だけ足りていません。
どなたか参加できる方はいませんか?
よろしくお願いいたします。
足湯第5次足湯ボランティア隊
3月22日~25日も全然人が足りておりません、
ご協力よろしくお願いいたします。
参加可能な方はCODE5まで連絡ください。 ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.37
能登半島地震から今日で2ヶ月が経ちました。被害家屋は7万5421棟にのぼり、いまだ1万1449人が避難生活を送り、断水は約1万8880棟で続いています。当センターが拠点を置く、七尾市では1万5283棟となり、4000棟で断水が続いています。上下水道の通率率は53%と報告されていますが、パイプなどの損傷により水が通せません。通水ができたと思ったら、家の中のトイレやお風呂が水浸しになったという人もいて、工事業者を待っている人がいます。こちらの拠点でも、まだ水が出ないので、簡易トイレや凝固剤、レトルト食品、紙皿などを求める人が多くいます。
同時に物資を配りながらみなさんの声を聞いています。
「これからの先のことが心配、あと片付け、家の解体等など、」
「子どもの預け先が時間短縮され、早めにお迎えに行かなければならないので、仕事量が減らさざるおえない状態です。」
全体的にも疲労がたまっている、食欲が減った、スーパーの総菜を食べている人などが多く、精神面でも落ち込み、不安が強い人が多いことが私たちのアンケートを見ても読み取れます。
物資を通して、みなさんの不安の軽減やニーズにお応えしながら活動を進めています。
またお借りしている小牧集会所では、足湯や炊き出し、マッサージ子どもの居場所づくりなどをボランティアの人たちに力を借りながら提供しています。
神奈川県からマッサージボランティア来てくれた望月さんのレポート紹介します。
今回は、yoga仲間からの支援物資とともに、友人を引きつれこころとからだのケアに。フォーハンドで一緒にほぐしたり、並んでお友達同士や母娘で受けてもらったり,マッサージを受けてもらうだけでなく、すぐそばにある手でできるタッチコミュニケーションをお伝えしたり、からだをゆるめるyogaや、おやすみ前のセルフケアをお伝えしてきました。 片付けが始まり、土嚢袋が重くて手が痛いと、前回氷のように冷たい手をされていた方は、すこし改善されていてホッ。(※1) 寝れない方にはヘッドマッサージのあとに呼吸法をお伝えしたり(※2)、アロマを使ったハンドケアでは、香りでリラックスできて、手だけでこんなに全身温まるんですね、笑顔を見せてくださいました。避難所で寒くて家族でくっついて暖をとって寝ていたら、ヘルニアが再発してしまった方や、こんなに自分が疲れているのを自覚できていなかったという方もいらっしゃいました。 また、避難所の統廃合のお話に心が揺れている方も。 「一体これからどうやって生きていったらいいんだろう。」(※3)「人生の終盤でこんなことが起こるなんて思ってもみなかった。でも、こうしていっしょに避難所で生活してきて、仲良くしてもらったり、ボランティアさんたちがきてくれたり、この歳でいろんなことを経験させてもらってる。」 お一人おひとり、歩幅は違えど、 ほんのひととき、「ふぅ〜。」と力を抜いてもらえるように、ポロリとつかえている言葉を吐き出してもらえるように、また伺います。 ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.36
「私は捨てられないからそっと置いてる」。ボランティアの大学生と話していた時に彼女が言った言葉だ。
ここ小牧(中島町)では、家屋の片付けが本格化している。先日の三連休に関西から学生たち15名、関東からはミャンマーの留学生や技能実習生たち44名がボランティアに来てくれた。
この日、ミャンマーの若者たちとKさんのご自宅の片付けを行った。
Kさんは、段取りよくボランティアに指示をして、燃えるゴミや家財道具などを運び出し、あっと言う間に片付けられていく。
ある時、Kさんが「この部屋は触らないでね。後でゆっくり片付けたいから」とボソッとつぶやいた。
Kさんは長年暮らして来た家や物との思い出や家と向き合いながら、ゆっくりと整理したいんだと、ハッとさせられた。そして、同時に家を取り壊して再建はしないと決めた覚悟のようなものも感じた。
そんな話しをボランティアたちと話していたら、「片付けしていると生活が垣間見えて、僕たちには捨てられない」と感じている人も少なくなかった。
一つひとつの物や思い出と向き合う事で心を整理しようとしている被災者の人たちに丁寧に付き合っていく事が求められている。(吉椿) ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.35
被災地である七尾市中島町でも、避難所の統廃合が始まっている。
現在町内にある5か所の各避難所の人数が十数名に減ってきた事から中島地区コミュニティセンター豊川分館1か所に集約する事になった。
豊川分館には地震直後、近隣の住民の方々が多数避難していたが、今はほとんどの方が自宅に戻ったそうだ。
この日、豊川出身で大阪大学4年生のTさんと民生委員Yさんの案内でワカモノヂカラプロジェクト(兵庫県姫路市)の大学生たちと一緒に地域の高齢者のお宅を訪問させていただいた。
さすが民生委員のYさんは地域の高齢者の事情をよく知っていて、家の裏口に入って行って耳の遠い高齢者のいそうな部屋に向かって声をかけると、奥からゆっくり杖をついて出てこられる。皆さん、Yさんの顔を見ると嬉しそうに話し出す。
だが、「私は身体が動かないから愛知から弟が来て家の片付けをやってもらっているの」「水汲みして体がしんどいわ」、「剥がれ落ちた壁を息子たちが片付けてくれたのよ」、「息子が連休で金沢から戻って来て片付けてくれてるの」などの声も聞こえてくる。
高齢者の人たちは、地震後の様々な対応を家族や身内で何とか乗り越えようとしている。
YさんやTさんのような地元の方と一緒に一軒一軒歩いてアウトリーチしていかないと被災した人たちの姿は見えてこない。(吉椿) ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.34
中島地区コミュニティセンター西岸分館(小牧)でワカモノヂカラプロジェクト(兵庫県姫路市)の学生さん達と足湯ボランティアを行った。
足湯に一番に最初に来たKさん(80代)は、ここ小牧で生まれ育った。大正時代から三代続くお店を奥さんと営んできたそうだ。
自宅の話しになると、おもむろに封筒を見ろと無言で手渡された。中を見ると「大規模損壊)」と書かれた罹災証明書だった。
「家は潰して再建はしない。店はもうやらないわ。」と淡々と語る。
その後、「金沢に小さな家があるからそっちに住むかな。病気があって病院も近いしな・・・」とつぶやく。
そんなKさんに、僕たちがこの十数年お熊甲祭に参加させてもらっている事を伝えると、そこからこの中島町の歴史や文化を饒舌に語り始めた。
「昔はなあ、小牧より外(そで)の方が賑やかだったんだぞ。」、「江戸時代はなあ、能登島が罪人の流刑地で、その影響かあっちには沢山お寺があるんだ。」など。
そして最後に「本当はな、娘夫婦が定年で帰って来る時のために家を残したかったんだがな。」やはり故郷を離れたくないんだろうな。(吉椿) ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.33
寒暖差を繰り返し、春の気配を感じる被災地では、少しずつではありますが、家屋の片付けが始まっています。当センターでは七尾市中島町小牧地区を中心に片付け作業を始めています。
この地域のみなさんはとても奥ゆかしく片付けに入るときに、ボランティアが入りやすいようにと片付けをしようとしてくれます。「段取りをしてから」というのが口癖です。その「段取り」が私たちの仕事でもあるのですが・・・。大阪大学で現在当センターの学生スタッフの三宅奈央さん(詳細は後ほど)らがボランティアが少しずつ毎日家の周りの片付け、一週間くらいしてやっと家の中に入れてくれるようになりました。週末になると大阪大学や神戸大学、福知山大学などの学生さんがたくさん来てくれるようになり、みるみると家の中が片付いていきました。たくさんの学生さんの姿を見て「一人ではどうにもならなかったけれど、こうしてみなさんに助けてもらってほんと助かるわ」と涙が頬をつたいました。
その後は、周りの人も私のうちもお手伝いしてほしいという声を頂いています。
倒れた家具や割れた食器、散乱した家財道具を前に、なすすべもなく不安だけしかない被災者のみなさん。少しずつ片付く家の様子に「もしかしたらまた住めるようになるかもしれない」、「捨てるしかなかった思い出の品の数々をまたとっておこう」と思う気持ちなどが芽生えたりと、少しずつ前を向いて歩きだせます。いつも行くガソリンスタンドの男性が「ゴミを出してもらって元気でたよ!」と言ってくれました。
ボランティアが少ないながらも少しずつ前に進んでいます。
毎日物資も届いています。「気持ちばかりですが、お見舞い申し上げます。被災されている女性に届きますように。スタッフの皆様ありがとうございます。」というメッセージを頂きました。ありがとうございます!
引き続きよろしくお願いいたします。 ... See MoreSee Less
1 month ago
間もなくウクライナ侵攻から2年です。神戸三宮で追悼集会が開催されます。お近くの方はご参加下さい。
2月24日16:30-18:30
「平和のために共に」
サンキタ広場(阪急三宮駅北側)
ロシア侵攻から2年の日
ウクライナ避難者が平和への祈りを捧げ、スピーチをします
主催 一般社団法人芸術の森
共催 528株式会社
後援 在日ウクライナ大使館 兵庫県国際課 神戸市国際課
お問合せ07054333432 ... See MoreSee Less
1 month ago
学生足湯隊の活動が読売テレビで放送されました。
... See MoreSee Less
【足湯ボランティア】足湯の会話で必要な支援を聞き取り 阪神・淡路で生まれた取り組み
【2024.2.20OA】七尾市にある集会所で行われたのは、阪神・淡路大震災をきっかけに生まれた「足湯のボランティア」です。この動画の記事を読む>https://news.ntv.co.jp/n/ktk/category/life/kte1b35858159d43e1a72b39c60187e152被災者に束の間...1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.32
毎日たくさんの人たちに支えられています。佐賀県からは(一社)おもいやいのメンバーがいつも拠点で活動を一緒にこなしてくれています。先日は谷永さんが毎日避難所の炊き出しをしてくれました。他にも阪神・淡路大震災のメンバーが親子で来て、家屋の片付けを手伝ってくれたり、障害者支援をしていた仲間が駆けつけてくれました。
神奈川県からいつもマッサージに駆けつけてくれるMさん、ソフトな語りかけで被災者、ボランティアのみなさんの心と体を解きほぐしてくれます。西日本豪雨の被災地からは坂町の社会福祉協議会から軽トラックの貸し出しを受け、12時間も運転してきてくれたKさん、熊本地震をきっかけにつながったYさんは西原村から名産のシルクスィートとお米と焼き芋の機械を持ってくれました。
先日は、壮年団の人たちが、お正月にお雑煮を食べられなかったので、みなさんにお餅をふるまおうと、お餅つきをしてくれました。あっつあっつのつきたてのお餅にほっぺたが落ちそうになりました(笑)
他にも京都のパエリアレストラン「バラッカ」さんがパエリアの炊き出しを、香川県からは讃岐うどんを届けてくれました。被災者のみなさん心のこもった美味しい料理に舌鼓をうちました。
みなさんありがとうございます。
そんないま、被災地では避難所の統廃合が進みつつあります。せっかく仲良くなり、気心知れた頃に環境が変わることは、とてもストレスになります。避難所にも「暮らし」があるのです。「暮らしに仮はない」と阪神・淡路大震災で学んだ言葉。住み慣れた避難所閉鎖の話を聞いて、壊れかけた家に帰ることを決めた人もいます。余震があるたびに不安で、毎日眠れずに過ごしている人たち、家族関係にも微妙な影を落としはじめています。
また当センターの拠点では、在宅避難者の方に物資をお配りしています。お隣の地域で活動している災害NGO結や、先日は福岡からグリーンコープさんが食料品などの物資をトラックいっぱいに届けてくれました。物資を並べるのが早いか、あっという間に在庫がなくなります。昨日は、片手に包帯を巻いた高齢の女性が物資をとりに来ました。話を聞くと地震で火傷して料理が作れないのでレトルト食品は助かりますとのことでした。40日近く包帯で固定していて、指が曲がらなくなり、リハビリもしないといけないそうです。
物資を取りに来た方の声です。
「半壊なのか???酷いけど。少しでも修理代が欲しい」
「片付けにはやはり多くの方のお力が必要です。前に進むために助けてください。お願いいたします。」
「片付け方がわからない」
「アイラップ、生野菜うれしいです」
「年金暮らしは老人は再建するお金もない」
「一部損壊だがなんとか家にいます。ただ職場が和倉なのでいつ再開するか目途がなく不安です」
「水が使用できるのを待っています。洗濯は他へ行ってしているので、早く水がほしいです」
「断水が続いており、食生活を整えるのことが難しくなっています。」
「家が傾いていて、隙間風で寒い。」
こんな声を聞きながら、支援活動につなげて行きます。
まだまだ支援が必要です。ボランティアも足りません!みなさんご支援よろしくお願いします。(増島) ... See MoreSee Less
1 month ago
能登半島地震の支援として、在宅避難の方を中心に支援物資の配布をしております。支援物資の募集をしておりますので、ぜひご協力よろしくお願いします! ... See MoreSee Less
1 month ago
約2万5000人が亡くなったトルコハタイ県は壊滅的な被害を出し、故郷を出た人も多い。故郷を想う気持ちは、トルコも能登も同じ。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 months ago
トルコ・シリア地震救援ニュースNo.74
「1年を経たトルコの被災地から②」
トルコ・シリア地震で亡くなった約5万9000人の半数が亡くなったのがハタイ県です。ハタイ県の中心地アンタキアのNGO.Yardim konvoyuのNuran Farina理事長から、1年を迎えた被災地からメッセージが来ましたので、紹介いたします。(吉椿)
2024年2月6日午前4時17分、1年前アンタキアを地震が襲いました。
その祈りのために今日はここに何千人もの人が集まっています。多くの方々がここの人たちです。亡くなった人の思い出を話しに、そしてこれからも起こる厳しい時間を共にするために。彼らの傷が癒えたとはいえません。ニーズはまだあります。地震後この1年で人々が困難を乗り越えたとは言えません。多くの人がアンタキアに返ってきていますが、まだまだ基本的ニーズが満たされていません。もちろん政府やNGOらの支援によって多くのニーズが満たされましたが、まだまだやらねばならにことが多くあります。仮設での仮の生活は続くでしょう。地震後当初は3年間で話をしていましたが、すべての人が適切な家屋に入るまでには5年はかかるでしょう。被災地すべてで大規模な建設工事が進められています。しかし多くの人々がまだ地震前のように家屋に住める状況にはなっていません。
今日は国歌から始まり、すべてのコミュニティの言葉で祈りがささげられました。ムスリム、キリスト教、別のキリスト教などです。そして亡くなった方を哀悼し花を捧げます。
今日はとても感傷的になる日です。そして私たちにはもっと支援が必要です。そして私たちはここに来てくれた神戸の仲間たちのことも覚えています。彼・彼女らならきっと私たちのこの悲しさを分かち合えるだろうし、彼らが経験したことがあるように、この間どのように私たちが過ごしてきたかもわかってもらえると信じています。感謝します。ありがとう。
Nuran Farina(Yardim konvoyu) ... See MoreSee Less
2 months ago
トルコ・シリア地震救援ニュースNo.73
「1年を経たトルコの被災地から①」
2023年2月6日4時17分(日本時間10時17分)、トルコ南部を震源としたM7.9の大地震が発生し、トルコ・シリア両国で5万9259人が犠牲になりました。
1年を経たこの日、トルコの被災各地では、4:17に多くの市民によってライトが一斉に照らされ、追悼が行なわれました。
トルコの被災地のNGOワーカーのEさんからメッセージが来ましたのでお伝えいたします。(吉椿)
Dear Yoshi, it's the one year anniversary of the great earthquake in Turkey. At the same time, there was a great earthquake in Japan. Both communities have great pain. Thank you very much to the Japanese people for sharing our pain. We will improve our new life together. Thank you very much for your contributions and efforts. We will continue our solidarity. best.
(訳)
親愛なるヨシさん.
今日はトルコの大地震から1年です。時を同じくして日本でも大きな地震が起きました。どちらのコミュニティも大きな痛みを抱えています。私たちの痛みを分かち合ってくれた日本の皆さんに感謝あたします。新しい暮らしをともに築いていきましょう。皆さんの貢献と尽力に心より感謝いたします。ともに連帯していきましょう! ... See MoreSee Less
2 months ago
石川県知事にも要望書を提出
ボランティアの受け入れに消極的です。20000人登録で100人が活動。稼働率0.5%!
県の災害ボランティアセンターの活動でないと高速道路の無料措置も受けられないし。
ボランティアのいいところは、自由さです。多様な視点で、多様な発想で、多様な解決策でやる、が登録-派遣方式で無くなります。
もっと普通の人のボランティアを信用しよう!
こちらもGoogleフォームで賛同者を募っています(最下段)。賛同よろしくお願いします。
2024年2月5日
石川県知事 馳浩様
要請文
今こそボランティアの力を発揮させてください
この度の地震で犠牲になった方々へ心からの哀悼を捧げます。また復興に向け日夜努力なさっている知事をはじめ、石川県職員の方に感謝申し上げます。
ところで能登半島地震が発生して1ヶ月が過ぎました。今なお多くの被災者が劣悪な環境の避難所および在宅などでの暮らしを強いられています。被災者を助けるため多くのボランティア団体がすでに現地に入っていますが、残念ながらその力を被災地全域に及ぼすだけの力はありません。
知事もその力を振り絞って救援方針をお決めになっていることと存じます。しかし石川県はこの大災害に対して当初ボランティアは遠慮してほしいとのコメントを出しました。いろいろな事情があるのでしょうが、その結果純粋に「なんとかしたい」「被災地の人を助けたい」と思う多くの人々の気持ちを被災者に届けることができなくなっています。ボランティアの事前登録が20,000人に達しているにもかかわらず、活動している数は100名程度と報道されています(2月4日段階)。現地へのアクセスや宿泊の問題が足かせになっていると言われていますが、現地で宿泊を要しないボランティアバスを出すよう全国に要請する、個人ボランティアには七尾駅からバスを出す(金沢駅より2時間短縮できる)などの工夫で多くのボランティアに活動してもらえるはずです。
日本にはまだ恒常的に被災者を助ける仕組みはなく、自衛隊の災害派遣や消防の緊急援助隊などその都度編成され支援しているのが実情です。しかし現地ではすでに多くのボランティア団体が過去の経験を活かし、それぞれのネットワークを駆使して現地で活動をしているのはご承知のことと思います。
ボランティア活動はきめ細やかな支援を各被災者に届ける毛細血管のような働きを果たすことが特徴です。しかしまだまだ日本の災害救援ボランティア活動の文化は一般化していません。そこでJVOADや震災がつなぐ全国ネットワークのような経験ある災害ボランティア団体の力を利用して多くのボランティアを現地に送り込む仕組みを早急に確立してほしいと要望いたします。これ以上災害関連死を出さないためにも、特に支援の進んでいない在宅避難者や、車中泊者への対応は急務です。
その解決のため次の点を要請いたします。
1、ボランティアが積極的に現地支援できる体制作りを、基礎自治体を中心として実施し、各市町と各市町社協やJVOADなどボランティア団体と調整し、早急に受け入れ体制の拡大に努めていただきたい。
2、全国の災害ボランティア団体への高速道路料金の全面的かつ早期無料化や、各団体への活動助成を実施して頂きたい。
3、避難所の運営と仮設住宅への入居支援にはコミュニティーのまとまりを活かしたやり方を実施していただきたい。
4、被災者への見守り体制は当事者を雇用するなどの形で行い、被災者を経済的に支える仕組みを構築していただきたい。
5、災害救助法を積極的に活用し、避難者の生活向上に活かしていただきたい。
6、被災経験のある自治体の知見やアドバイスを積極的に活かしていただきたい。
以上
申し入れ人
宇田川規夫(国際救急法研究所理事長) ・河内毅(中越防災安全機構) ・鈴木隆太(一般社団法人おもやい代表理事) ・秦好子(被災地の子どもを支援する神奈川市民の会事務局長)
・濱田政宏(座間災害ボランティアネットワーク代表) ・水澤元博(水澤電機株式会社代表取締役) ・村井雅清(被災地NGO協働センタ―顧問) ・矢野正広(とちぎボランティアネットワーク理事長、震災がつなぐ全国ネットワーク顧問) ・横田能洋(茨城NPOセンターコモンズ代表理事) ・吉田公男(郡山市議会議員、ハートネットふくしま理事長) ・吉椿雅道(CODE海外災害援助市民センター事務局長)
(あいうえお順)
石川県あて 賛同フォーム ... See MoreSee Less
2 months ago
ちょうど1年前のこの時間にトルコ・シリア地震が起き、両国で5万9000人の方が亡くなりました。黙祷。 ... See MoreSee Less
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2 weeks ago
2月に一緒に能登の被災地で活動したミャンマーの若者たちの事が記事になりました。
この若者たちは、3年前のクーデターで厳しい状況にある人たちを支えるために日本でも活動しています。
別れ際、片付けをお手伝いした家のお母さんは、ミャンマーの女性に「早く平和になるといいね。」と語りかけている姿がとても印象的でした。
災害とクーデターとは違うけど、厳しい状況に置かれた人たち同士で痛みを分かち合っている姿に目頭が熱くなりました。(吉椿)
www.tokyo-np.co.jp/article/311811?fbclid=IwAR0m3SvY-GpfyJQv8lojot3kbjiKld4HGkARZMTS6oHfXAZdmdbgwD... ... See MoreSee Less
「故郷を失うつらさは同じ」在日ミャンマー人らが能登で被災家屋の片付け 「痛み、分かち合いたい」:東京新聞 TOKYO Web
<連載 ミャンマーの声> 首都圏で暮らす在日ミャンマー人とクルド人らが、能登半島地震で被災した石川県七尾市や能登町を訪れ、家屋の片付け...2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.39
自主避難所から、自立避難所へーⅡ
この金蔵集落には、足湯ボランティアで被災地入りしている大学生たちと訪問した。自主避難所「金蔵集会所」にお邪魔して、短時間だったが自然の尊さを学ばせて頂いた。地震の前は100余名だったが、区長の井池さんが小学生の頃、人口は500名を超えていた。この地域には4カ寺(一時は5カ寺あった)あり、山岳仏教としてこの地を守った。奥能登で最大規模の木造寺、「正願寺」もこの地にある。
今回の地震では、金蔵で全壊した家はほとんどない。この地方の家の木には“能登ひば”の木が使われている。雪深い山で育った“ひば”を使うので、しなやかで、強い。雪の重さにも耐えられると。しかも、木を切るときには、切る前に木が立っている向きを見て、この木は家のここの柱に使うと決めてから切るそうだ。「新月に切った木は腐らない」と木こりさんから聞いたことがあるが、これも先人の知恵か。自然に逆らわない技だ。
ここでは地震後、毎朝お茶を飲みながら会議をし、お互い元気であることを確認し合っている。会議の後は、これからここに戻ってくる人たちのために、この集落を守っている人たちで在宅避難の様子を確認し、損傷の状況などもチェツクするそうだ。
前号のレポートで「金蔵米(きんぞうまい)」のことに触れた。金蔵には大きい川がないため、米作りに不可欠な水は雨水だ。今回の地震で亀裂が入っていないかなど点検しなければならないが、雨水を溜めた池が11か所ある。
加えて、金蔵米が美味しい秘密は米が育つ気温と日中の明るさだという。ここでは3月20日が最も寒く、9月1日が最も暑い。こればかりは自然の摂理に逆らえない。
米が育つには満月の灯りが最適らしい。日差しが強く、日が当たりすぎてもダメだと。米もしっかり寝る必要があるそうだ。満月の優しい灯りが美味しい米を育んでいる。夜は明るいと米も寝られない。人間も同じだ。これが“美味しい”所以だと区長は笑う。しかし、今年は地震で米作りができるかどうかはわからないので心配だ。
井池区長は、「60過ぎて村のありように口を出すところは、やがて潰れる。若い人が、中心になる村は潰れない!」と断言されていた。これはどの世界でも同じことが言えるだろう。金蔵に来ると人生訓も学べそうだ。金蔵には34歳のベルギー帰りの若者がいる。大丈夫だ!加えて、女性は3時半には自宅に帰す。日没になるまでに‥‥ということだそうだ。女性を大事にしているので、この村は潰れないだろう。
金蔵(かなくら)には、金蔵寺(こんぞうじ)があり、金蔵米(きんぞうまい)があり、昔は逆から読んで“埋蔵金(まいぞうきん)”という地酒もあったそうだ。(了)
―水津樹紀、楊颸羽(ヨウ シウ)、西受穂乃花、山村太一、村井雅清― ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.38
自主避難所から、自立避難所へ(金蔵編)―Ⅰ
以下に紹介する輪島市町野町金蔵(かなくら)、という集落の避難所は自主避難所になっている。3月6日、足湯活動の隙間の時間で訪ねてきた。
しかし、いろいろお話を聞いていると、ここは間違いなく「自立避難所」だ!自立とは、約30年前の阪神・淡路大震災で学んだ意味は、「自立は支え合いから」だった。もう一つ加えるならば、「自立とは、孤立させない人権運動だ」(当時朝日新聞論説委員の秦洋一さんの言葉)とも。
今回の能登半島地震では、発災後2か月を過ぎた頃には、どこからか「自立してもらうために、避難所を統廃合し自主避難所は閉鎖の方向に進める」と聞えてくる。ほんとうにそうなると明らかにこれは人権問題と言っても過言ではない。
さて、元旦に発生した能登半島地震は、山間部の多い過疎地域を襲い、山間部では大規模の山津波や土砂災害が発生し、沿岸部では一部では4メートル以上の隆起があり、漁業には甚大な被害をもたらした。一時は孤立した集落が24ヶ所3345人(1月8日時点)もあり、その多くは金沢市はじめ周辺の自治体に設置された2次避難所に移動した(させられたと思った被災者は少なくない)。
本レポートで紹介する金蔵集落からも100余名の人口のうち70名が2次避難所に避難された。この地震後に残っているのはわずか26名という。2ヶ月が過ぎて、未だ断水が続くも、井戸水でしのいでいる。他の山間部の集落では山が蓄えている自然の恵みを引いて賄っているところも少なくない。このまま減少が続くのかと思いきや、真逆の現象が起きている。2ヶ月後に20名までに減少していたのに、やがて1人戻り、2人戻りして26名(3月6日時点)になった。区長さん曰く、みんなが口を揃えて「金蔵に帰りたい」と言うそうだ。何故なのか?
それは自然の豊かさ、人々の優しさ…などがそこに暮らす人にしかわからないものがあるとしかいいようがない。「ここの米は、金蔵米(きんぞうまい)といい、最高に美味しい」と区長さんは嬉しそうに言う。
2次避難所には、90歳の男性がおられ、その彼が金蔵に戻ってこれるために、今残っている住民で介護体制を敷くために、日々会議をしている。一方、毎朝8時に顔を会わせ、誰がいるかを確認する。施設に入ったりさる方もおられるようなので、70人全員が戻ってくることは難しいかも知れないが、目標はそれに近い。<続く>
―水津樹紀、楊颸羽(ヨウ シウ)、山村太一、村井雅清― ... See MoreSee Less
3 weeks ago
来週3月12日(火)20:00〜
NHK「ハートネットTV」でトルコ・シリア地震や能登半島地震支援の様子が紹介されます。
... See MoreSee Less
一人ひとりの力を信じて 〜トルコ・能登半島地震 支援の現場から〜 - ハートネットTV
去年2月のトルコ地震と今年1月の能登半島地震。国境を超えて支援に奔走する神戸の災害ボランティア団体の吉椿雅道さん。「復興の主役は被災した人」を信条にトルコでは最大の被災地・ハタイ県で住民の声に耳を傾け...4 weeks ago
【急募】
能登半島地震の被災地での足湯ボランティア(大学生などの若者)を急募します!
足湯第3次足湯ボランティア隊
3月5日(火)~3月8日(金)に行くのですが
もう1枠だけ足りていません。
どなたか参加できる方はいませんか?
よろしくお願いいたします。
足湯第5次足湯ボランティア隊
3月22日~25日も全然人が足りておりません、
ご協力よろしくお願いいたします。
参加可能な方はCODE5まで連絡ください。 ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.37
能登半島地震から今日で2ヶ月が経ちました。被害家屋は7万5421棟にのぼり、いまだ1万1449人が避難生活を送り、断水は約1万8880棟で続いています。当センターが拠点を置く、七尾市では1万5283棟となり、4000棟で断水が続いています。上下水道の通率率は53%と報告されていますが、パイプなどの損傷により水が通せません。通水ができたと思ったら、家の中のトイレやお風呂が水浸しになったという人もいて、工事業者を待っている人がいます。こちらの拠点でも、まだ水が出ないので、簡易トイレや凝固剤、レトルト食品、紙皿などを求める人が多くいます。
同時に物資を配りながらみなさんの声を聞いています。
「これからの先のことが心配、あと片付け、家の解体等など、」
「子どもの預け先が時間短縮され、早めにお迎えに行かなければならないので、仕事量が減らさざるおえない状態です。」
全体的にも疲労がたまっている、食欲が減った、スーパーの総菜を食べている人などが多く、精神面でも落ち込み、不安が強い人が多いことが私たちのアンケートを見ても読み取れます。
物資を通して、みなさんの不安の軽減やニーズにお応えしながら活動を進めています。
またお借りしている小牧集会所では、足湯や炊き出し、マッサージ子どもの居場所づくりなどをボランティアの人たちに力を借りながら提供しています。
神奈川県からマッサージボランティア来てくれた望月さんのレポート紹介します。
今回は、yoga仲間からの支援物資とともに、友人を引きつれこころとからだのケアに。フォーハンドで一緒にほぐしたり、並んでお友達同士や母娘で受けてもらったり,マッサージを受けてもらうだけでなく、すぐそばにある手でできるタッチコミュニケーションをお伝えしたり、からだをゆるめるyogaや、おやすみ前のセルフケアをお伝えしてきました。 片付けが始まり、土嚢袋が重くて手が痛いと、前回氷のように冷たい手をされていた方は、すこし改善されていてホッ。(※1) 寝れない方にはヘッドマッサージのあとに呼吸法をお伝えしたり(※2)、アロマを使ったハンドケアでは、香りでリラックスできて、手だけでこんなに全身温まるんですね、笑顔を見せてくださいました。避難所で寒くて家族でくっついて暖をとって寝ていたら、ヘルニアが再発してしまった方や、こんなに自分が疲れているのを自覚できていなかったという方もいらっしゃいました。 また、避難所の統廃合のお話に心が揺れている方も。 「一体これからどうやって生きていったらいいんだろう。」(※3)「人生の終盤でこんなことが起こるなんて思ってもみなかった。でも、こうしていっしょに避難所で生活してきて、仲良くしてもらったり、ボランティアさんたちがきてくれたり、この歳でいろんなことを経験させてもらってる。」 お一人おひとり、歩幅は違えど、 ほんのひととき、「ふぅ〜。」と力を抜いてもらえるように、ポロリとつかえている言葉を吐き出してもらえるように、また伺います。 ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.36
「私は捨てられないからそっと置いてる」。ボランティアの大学生と話していた時に彼女が言った言葉だ。
ここ小牧(中島町)では、家屋の片付けが本格化している。先日の三連休に関西から学生たち15名、関東からはミャンマーの留学生や技能実習生たち44名がボランティアに来てくれた。
この日、ミャンマーの若者たちとKさんのご自宅の片付けを行った。
Kさんは、段取りよくボランティアに指示をして、燃えるゴミや家財道具などを運び出し、あっと言う間に片付けられていく。
ある時、Kさんが「この部屋は触らないでね。後でゆっくり片付けたいから」とボソッとつぶやいた。
Kさんは長年暮らして来た家や物との思い出や家と向き合いながら、ゆっくりと整理したいんだと、ハッとさせられた。そして、同時に家を取り壊して再建はしないと決めた覚悟のようなものも感じた。
そんな話しをボランティアたちと話していたら、「片付けしていると生活が垣間見えて、僕たちには捨てられない」と感じている人も少なくなかった。
一つひとつの物や思い出と向き合う事で心を整理しようとしている被災者の人たちに丁寧に付き合っていく事が求められている。(吉椿) ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.35
被災地である七尾市中島町でも、避難所の統廃合が始まっている。
現在町内にある5か所の各避難所の人数が十数名に減ってきた事から中島地区コミュニティセンター豊川分館1か所に集約する事になった。
豊川分館には地震直後、近隣の住民の方々が多数避難していたが、今はほとんどの方が自宅に戻ったそうだ。
この日、豊川出身で大阪大学4年生のTさんと民生委員Yさんの案内でワカモノヂカラプロジェクト(兵庫県姫路市)の大学生たちと一緒に地域の高齢者のお宅を訪問させていただいた。
さすが民生委員のYさんは地域の高齢者の事情をよく知っていて、家の裏口に入って行って耳の遠い高齢者のいそうな部屋に向かって声をかけると、奥からゆっくり杖をついて出てこられる。皆さん、Yさんの顔を見ると嬉しそうに話し出す。
だが、「私は身体が動かないから愛知から弟が来て家の片付けをやってもらっているの」「水汲みして体がしんどいわ」、「剥がれ落ちた壁を息子たちが片付けてくれたのよ」、「息子が連休で金沢から戻って来て片付けてくれてるの」などの声も聞こえてくる。
高齢者の人たちは、地震後の様々な対応を家族や身内で何とか乗り越えようとしている。
YさんやTさんのような地元の方と一緒に一軒一軒歩いてアウトリーチしていかないと被災した人たちの姿は見えてこない。(吉椿) ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.34
中島地区コミュニティセンター西岸分館(小牧)でワカモノヂカラプロジェクト(兵庫県姫路市)の学生さん達と足湯ボランティアを行った。
足湯に一番に最初に来たKさん(80代)は、ここ小牧で生まれ育った。大正時代から三代続くお店を奥さんと営んできたそうだ。
自宅の話しになると、おもむろに封筒を見ろと無言で手渡された。中を見ると「大規模損壊)」と書かれた罹災証明書だった。
「家は潰して再建はしない。店はもうやらないわ。」と淡々と語る。
その後、「金沢に小さな家があるからそっちに住むかな。病気があって病院も近いしな・・・」とつぶやく。
そんなKさんに、僕たちがこの十数年お熊甲祭に参加させてもらっている事を伝えると、そこからこの中島町の歴史や文化を饒舌に語り始めた。
「昔はなあ、小牧より外(そで)の方が賑やかだったんだぞ。」、「江戸時代はなあ、能登島が罪人の流刑地で、その影響かあっちには沢山お寺があるんだ。」など。
そして最後に「本当はな、娘夫婦が定年で帰って来る時のために家を残したかったんだがな。」やはり故郷を離れたくないんだろうな。(吉椿) ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.33
寒暖差を繰り返し、春の気配を感じる被災地では、少しずつではありますが、家屋の片付けが始まっています。当センターでは七尾市中島町小牧地区を中心に片付け作業を始めています。
この地域のみなさんはとても奥ゆかしく片付けに入るときに、ボランティアが入りやすいようにと片付けをしようとしてくれます。「段取りをしてから」というのが口癖です。その「段取り」が私たちの仕事でもあるのですが・・・。大阪大学で現在当センターの学生スタッフの三宅奈央さん(詳細は後ほど)らがボランティアが少しずつ毎日家の周りの片付け、一週間くらいしてやっと家の中に入れてくれるようになりました。週末になると大阪大学や神戸大学、福知山大学などの学生さんがたくさん来てくれるようになり、みるみると家の中が片付いていきました。たくさんの学生さんの姿を見て「一人ではどうにもならなかったけれど、こうしてみなさんに助けてもらってほんと助かるわ」と涙が頬をつたいました。
その後は、周りの人も私のうちもお手伝いしてほしいという声を頂いています。
倒れた家具や割れた食器、散乱した家財道具を前に、なすすべもなく不安だけしかない被災者のみなさん。少しずつ片付く家の様子に「もしかしたらまた住めるようになるかもしれない」、「捨てるしかなかった思い出の品の数々をまたとっておこう」と思う気持ちなどが芽生えたりと、少しずつ前を向いて歩きだせます。いつも行くガソリンスタンドの男性が「ゴミを出してもらって元気でたよ!」と言ってくれました。
ボランティアが少ないながらも少しずつ前に進んでいます。
毎日物資も届いています。「気持ちばかりですが、お見舞い申し上げます。被災されている女性に届きますように。スタッフの皆様ありがとうございます。」というメッセージを頂きました。ありがとうございます!
引き続きよろしくお願いいたします。 ... See MoreSee Less
1 month ago
間もなくウクライナ侵攻から2年です。神戸三宮で追悼集会が開催されます。お近くの方はご参加下さい。
2月24日16:30-18:30
「平和のために共に」
サンキタ広場(阪急三宮駅北側)
ロシア侵攻から2年の日
ウクライナ避難者が平和への祈りを捧げ、スピーチをします
主催 一般社団法人芸術の森
共催 528株式会社
後援 在日ウクライナ大使館 兵庫県国際課 神戸市国際課
お問合せ07054333432 ... See MoreSee Less
1 month ago
学生足湯隊の活動が読売テレビで放送されました。
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【足湯ボランティア】足湯の会話で必要な支援を聞き取り 阪神・淡路で生まれた取り組み
【2024.2.20OA】七尾市にある集会所で行われたのは、阪神・淡路大震災をきっかけに生まれた「足湯のボランティア」です。この動画の記事を読む>https://news.ntv.co.jp/n/ktk/category/life/kte1b35858159d43e1a72b39c60187e152被災者に束の間...1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.32
毎日たくさんの人たちに支えられています。佐賀県からは(一社)おもいやいのメンバーがいつも拠点で活動を一緒にこなしてくれています。先日は谷永さんが毎日避難所の炊き出しをしてくれました。他にも阪神・淡路大震災のメンバーが親子で来て、家屋の片付けを手伝ってくれたり、障害者支援をしていた仲間が駆けつけてくれました。
神奈川県からいつもマッサージに駆けつけてくれるMさん、ソフトな語りかけで被災者、ボランティアのみなさんの心と体を解きほぐしてくれます。西日本豪雨の被災地からは坂町の社会福祉協議会から軽トラックの貸し出しを受け、12時間も運転してきてくれたKさん、熊本地震をきっかけにつながったYさんは西原村から名産のシルクスィートとお米と焼き芋の機械を持ってくれました。
先日は、壮年団の人たちが、お正月にお雑煮を食べられなかったので、みなさんにお餅をふるまおうと、お餅つきをしてくれました。あっつあっつのつきたてのお餅にほっぺたが落ちそうになりました(笑)
他にも京都のパエリアレストラン「バラッカ」さんがパエリアの炊き出しを、香川県からは讃岐うどんを届けてくれました。被災者のみなさん心のこもった美味しい料理に舌鼓をうちました。
みなさんありがとうございます。
そんないま、被災地では避難所の統廃合が進みつつあります。せっかく仲良くなり、気心知れた頃に環境が変わることは、とてもストレスになります。避難所にも「暮らし」があるのです。「暮らしに仮はない」と阪神・淡路大震災で学んだ言葉。住み慣れた避難所閉鎖の話を聞いて、壊れかけた家に帰ることを決めた人もいます。余震があるたびに不安で、毎日眠れずに過ごしている人たち、家族関係にも微妙な影を落としはじめています。
また当センターの拠点では、在宅避難者の方に物資をお配りしています。お隣の地域で活動している災害NGO結や、先日は福岡からグリーンコープさんが食料品などの物資をトラックいっぱいに届けてくれました。物資を並べるのが早いか、あっという間に在庫がなくなります。昨日は、片手に包帯を巻いた高齢の女性が物資をとりに来ました。話を聞くと地震で火傷して料理が作れないのでレトルト食品は助かりますとのことでした。40日近く包帯で固定していて、指が曲がらなくなり、リハビリもしないといけないそうです。
物資を取りに来た方の声です。
「半壊なのか???酷いけど。少しでも修理代が欲しい」
「片付けにはやはり多くの方のお力が必要です。前に進むために助けてください。お願いいたします。」
「片付け方がわからない」
「アイラップ、生野菜うれしいです」
「年金暮らしは老人は再建するお金もない」
「一部損壊だがなんとか家にいます。ただ職場が和倉なのでいつ再開するか目途がなく不安です」
「水が使用できるのを待っています。洗濯は他へ行ってしているので、早く水がほしいです」
「断水が続いており、食生活を整えるのことが難しくなっています。」
「家が傾いていて、隙間風で寒い。」
こんな声を聞きながら、支援活動につなげて行きます。
まだまだ支援が必要です。ボランティアも足りません!みなさんご支援よろしくお願いします。(増島) ... See MoreSee Less
1 month ago
能登半島地震の支援として、在宅避難の方を中心に支援物資の配布をしております。支援物資の募集をしておりますので、ぜひご協力よろしくお願いします! ... See MoreSee Less
1 month ago
約2万5000人が亡くなったトルコハタイ県は壊滅的な被害を出し、故郷を出た人も多い。故郷を想う気持ちは、トルコも能登も同じ。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 months ago
トルコ・シリア地震救援ニュースNo.74
「1年を経たトルコの被災地から②」
トルコ・シリア地震で亡くなった約5万9000人の半数が亡くなったのがハタイ県です。ハタイ県の中心地アンタキアのNGO.Yardim konvoyuのNuran Farina理事長から、1年を迎えた被災地からメッセージが来ましたので、紹介いたします。(吉椿)
2024年2月6日午前4時17分、1年前アンタキアを地震が襲いました。
その祈りのために今日はここに何千人もの人が集まっています。多くの方々がここの人たちです。亡くなった人の思い出を話しに、そしてこれからも起こる厳しい時間を共にするために。彼らの傷が癒えたとはいえません。ニーズはまだあります。地震後この1年で人々が困難を乗り越えたとは言えません。多くの人がアンタキアに返ってきていますが、まだまだ基本的ニーズが満たされていません。もちろん政府やNGOらの支援によって多くのニーズが満たされましたが、まだまだやらねばならにことが多くあります。仮設での仮の生活は続くでしょう。地震後当初は3年間で話をしていましたが、すべての人が適切な家屋に入るまでには5年はかかるでしょう。被災地すべてで大規模な建設工事が進められています。しかし多くの人々がまだ地震前のように家屋に住める状況にはなっていません。
今日は国歌から始まり、すべてのコミュニティの言葉で祈りがささげられました。ムスリム、キリスト教、別のキリスト教などです。そして亡くなった方を哀悼し花を捧げます。
今日はとても感傷的になる日です。そして私たちにはもっと支援が必要です。そして私たちはここに来てくれた神戸の仲間たちのことも覚えています。彼・彼女らならきっと私たちのこの悲しさを分かち合えるだろうし、彼らが経験したことがあるように、この間どのように私たちが過ごしてきたかもわかってもらえると信じています。感謝します。ありがとう。
Nuran Farina(Yardim konvoyu) ... See MoreSee Less
2 months ago
トルコ・シリア地震救援ニュースNo.73
「1年を経たトルコの被災地から①」
2023年2月6日4時17分(日本時間10時17分)、トルコ南部を震源としたM7.9の大地震が発生し、トルコ・シリア両国で5万9259人が犠牲になりました。
1年を経たこの日、トルコの被災各地では、4:17に多くの市民によってライトが一斉に照らされ、追悼が行なわれました。
トルコの被災地のNGOワーカーのEさんからメッセージが来ましたのでお伝えいたします。(吉椿)
Dear Yoshi, it's the one year anniversary of the great earthquake in Turkey. At the same time, there was a great earthquake in Japan. Both communities have great pain. Thank you very much to the Japanese people for sharing our pain. We will improve our new life together. Thank you very much for your contributions and efforts. We will continue our solidarity. best.
(訳)
親愛なるヨシさん.
今日はトルコの大地震から1年です。時を同じくして日本でも大きな地震が起きました。どちらのコミュニティも大きな痛みを抱えています。私たちの痛みを分かち合ってくれた日本の皆さんに感謝あたします。新しい暮らしをともに築いていきましょう。皆さんの貢献と尽力に心より感謝いたします。ともに連帯していきましょう! ... See MoreSee Less
2 months ago
石川県知事にも要望書を提出
ボランティアの受け入れに消極的です。20000人登録で100人が活動。稼働率0.5%!
県の災害ボランティアセンターの活動でないと高速道路の無料措置も受けられないし。
ボランティアのいいところは、自由さです。多様な視点で、多様な発想で、多様な解決策でやる、が登録-派遣方式で無くなります。
もっと普通の人のボランティアを信用しよう!
こちらもGoogleフォームで賛同者を募っています(最下段)。賛同よろしくお願いします。
2024年2月5日
石川県知事 馳浩様
要請文
今こそボランティアの力を発揮させてください
この度の地震で犠牲になった方々へ心からの哀悼を捧げます。また復興に向け日夜努力なさっている知事をはじめ、石川県職員の方に感謝申し上げます。
ところで能登半島地震が発生して1ヶ月が過ぎました。今なお多くの被災者が劣悪な環境の避難所および在宅などでの暮らしを強いられています。被災者を助けるため多くのボランティア団体がすでに現地に入っていますが、残念ながらその力を被災地全域に及ぼすだけの力はありません。
知事もその力を振り絞って救援方針をお決めになっていることと存じます。しかし石川県はこの大災害に対して当初ボランティアは遠慮してほしいとのコメントを出しました。いろいろな事情があるのでしょうが、その結果純粋に「なんとかしたい」「被災地の人を助けたい」と思う多くの人々の気持ちを被災者に届けることができなくなっています。ボランティアの事前登録が20,000人に達しているにもかかわらず、活動している数は100名程度と報道されています(2月4日段階)。現地へのアクセスや宿泊の問題が足かせになっていると言われていますが、現地で宿泊を要しないボランティアバスを出すよう全国に要請する、個人ボランティアには七尾駅からバスを出す(金沢駅より2時間短縮できる)などの工夫で多くのボランティアに活動してもらえるはずです。
日本にはまだ恒常的に被災者を助ける仕組みはなく、自衛隊の災害派遣や消防の緊急援助隊などその都度編成され支援しているのが実情です。しかし現地ではすでに多くのボランティア団体が過去の経験を活かし、それぞれのネットワークを駆使して現地で活動をしているのはご承知のことと思います。
ボランティア活動はきめ細やかな支援を各被災者に届ける毛細血管のような働きを果たすことが特徴です。しかしまだまだ日本の災害救援ボランティア活動の文化は一般化していません。そこでJVOADや震災がつなぐ全国ネットワークのような経験ある災害ボランティア団体の力を利用して多くのボランティアを現地に送り込む仕組みを早急に確立してほしいと要望いたします。これ以上災害関連死を出さないためにも、特に支援の進んでいない在宅避難者や、車中泊者への対応は急務です。
その解決のため次の点を要請いたします。
1、ボランティアが積極的に現地支援できる体制作りを、基礎自治体を中心として実施し、各市町と各市町社協やJVOADなどボランティア団体と調整し、早急に受け入れ体制の拡大に努めていただきたい。
2、全国の災害ボランティア団体への高速道路料金の全面的かつ早期無料化や、各団体への活動助成を実施して頂きたい。
3、避難所の運営と仮設住宅への入居支援にはコミュニティーのまとまりを活かしたやり方を実施していただきたい。
4、被災者への見守り体制は当事者を雇用するなどの形で行い、被災者を経済的に支える仕組みを構築していただきたい。
5、災害救助法を積極的に活用し、避難者の生活向上に活かしていただきたい。
6、被災経験のある自治体の知見やアドバイスを積極的に活かしていただきたい。
以上
申し入れ人
宇田川規夫(国際救急法研究所理事長) ・河内毅(中越防災安全機構) ・鈴木隆太(一般社団法人おもやい代表理事) ・秦好子(被災地の子どもを支援する神奈川市民の会事務局長)
・濱田政宏(座間災害ボランティアネットワーク代表) ・水澤元博(水澤電機株式会社代表取締役) ・村井雅清(被災地NGO協働センタ―顧問) ・矢野正広(とちぎボランティアネットワーク理事長、震災がつなぐ全国ネットワーク顧問) ・横田能洋(茨城NPOセンターコモンズ代表理事) ・吉田公男(郡山市議会議員、ハートネットふくしま理事長) ・吉椿雅道(CODE海外災害援助市民センター事務局長)
(あいうえお順)
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2 months ago
ちょうど1年前のこの時間にトルコ・シリア地震が起き、両国で5万9000人の方が亡くなりました。黙祷。 ... See MoreSee Less