フィリピン台風:女性、子供、障害者等の要援護者への対応の必要性を呼びかけ

フィリピン台風:女性、子供、障害者等の要援護者への対応の必要性を呼びかけ
日付:2013年11月14日
情報源:Women’s Refugee Commission
超大型台風ハイヤンは11/8にフィリピンを直撃し、約11.3百万人に被害を及ぼし、80万人が住居を失った。2百万人分の食糧が不足し、30万人近くは妊娠中か産直後の女性である。直近の国勢調査によれば、100万人近くの19歳以下の子供達が、最も被害の大きかったタクロバン市及びレイテ州に住み、内20万人近くは少女(10-19歳)達で、健康・安全・福祉に関する彼等特有のリスクに面している。人道支援組織が被災コミュニティを支援する為に活動しているが、効果的で責任のある対応、つまり最も弱い立場にいる人々へも公平に目を向ける事が求められる。自然災害時、女性・少女達は他者より更に酷い被害を受けている。
2004年津波犠牲者の内、実に80%が女性・少女であった。自然災害による生活の損失の男女差は、災害前から存在する、女性の貧困・社会的地位により制限されている生き残る為の技術や警告を受け取る力、危害を避ける力、に直結している。
「自然災害から生還した女性と少女が直面する危機は、ショック、住居損失、性的暴力、搾取、医療サービスの崩壊、家族単位を含む経済的安定の損失であり、それらは短期/長期にわたる壊滅を引き起こす。」と、Women’s Refugee Commission性と生殖プログラムの代表であるSandra Krauseは語る。
女性・少女は心的外傷を受け性的暴力のリスクが大きくなり、望まない妊娠とHIVを含む性感染症を引き起こす。妊婦は安全に出産できる場所を失い、彼らの15%は難産となる。緊急産科や新生児治療が機能しない事は、母体と乳児に重大な影響を与える。
政府が試算した性と生殖に関する健康によると、凡そ95,270人の妊婦と190,540人の授乳中の女性が被災地にいる。内、4,660人の妊婦と8,990人の授乳中の女性は現在避難所にいる。
緊急対応の基準の下、女性と少女は優先的に性と生殖の為の医療サービスを受けるべきである。それは、緊急専門医と新生児治療医の推薦を受けた熟練の助産師と清潔な器具が用意された医療施設での安全な出産をすべきであり、性的暴力被害者への対応がされるべきである。
HIV感染を防ぐために必要なのは、輸血の為の全ての血液製剤が確実に検査され、コンドームがどこでも無料で配られ、医療提供者が感染症媒介防止に関する注意をしっかり実行する事である。
加えて、極めて重大なのは、功レトロウイルス薬使用者が薬を確保できる事、経口避妊薬が需要に足る事、症候性に対する処置が性感染症症状を現す人々に施される事、女性と少女が生理衛生用品を入手できる事、である。
緊急時において予防は必要である。女性と少女は、男女間暴力(身体への暴力・搾取、レイプ、児童婚を含む)において特に弱者である。台風ハイヤンの影響で、15~49歳までの出産年齢にある49,000人の女性が性的暴力を受けるリスクがある。
健常者への暴力に対して障害者への暴力は4~10倍多い事が明らかとされ、特に強制立ち退きに対する防御時における場合に関連する。
当局は速やかに、女性・少女・障害者・独身女性・孤児等社会的弱者が、避難所や生活必需品を得る際に被る性的暴力・虐待・搾取から保護されるよう、対策をとるべきである。
性的暴力には速やかな対応が非常に重要である。被害後3日以外の処置がHIVには有効であり、5日以外の処置は妊娠の可能性を下げる。
災害直後の生活で必要なのは、避難出来る場所、食料、水そして医療サービスである。また、可能な限り経済的機会を提供し経済的資産を守る事が重要である。
それは、収入を継続して得る為に最良の方法だからである。女性と少女に安全と実行可能な経済的機会を提供する事によって、彼らを性的搾取から守る事が出来る。救援時の全ての面に於いて、女性・男性・少女・少年それぞれ異なるニーズ・能力がある事を理解しそれぞれに合わせるべきであり、支援プログラムを策定する際に彼等は参加出来るべきであり、彼らの能力は支援提供時に活かされるべきである。
台風ハイヤン対策として、The Women’s Refugee Commissionは緊急支援事項上位10項目を改訂した。
原文URL
http://reliefweb.int/report/philippines/womens-refugee-commission-calls-philippines-typhoon-response-take-account#sthash.0Ct3sv4e.dpuf
訳:Y.Mさん

フィリピン北部Samarの村人が語る、生命と経済を守ったマングローブの再生

フィリピン北部Samarの村人が語る、生命と経済を守ったマングローブの再生
情報源:国連開発計画
日付:2013/11/13
歴史的な記録として残る最大級の台風の結果、フィリピンの広大な地域が壊滅したが、マングローブの再生に取り組んでいる草の根的な構想は、災害の危険を減少させるための健全な生態系と環境保全の重要性を示している。
Trowel開発財団は北部Samarにおける地域密着型の組織である。台風Haiyanによってもっともひどい被害を受けた地域ではないとはいえ、ここでも深刻な影響を受けた。過去10年以上この構想は海洋生物の再生と地元の食料の安全を強化する手段として、悪化したマングローブの生態系の植林を行ってきた。
沿岸に木を植えることは、自然災害に対する天然の緩衝装置を構築することも意味している。それは地元経済の中心を占めている魚やカニの内陸部の養殖場を嵐の大波から守る手段となるということである。台風Haiyanの結果として、環境保全に対する地域社会投資への回帰は予言的に高まると明確に示している。
その組織とのEメールでの今日のやり取りによると、地域計画の場所への被害は最小限であったということだ。Trowel開発財団事務局長のLeonardo Rosarioは地元の村の復元力は生態系機能の回復によると言っている。「非合法な伐採からマングローブを守っていなかったとしたら、そして魚の養殖場を取り囲む地帯に木を植えていなかったら、貧しい漁民が作ってきたもの全てを巨大台風は破壊してしまっただろう。」
マングローブの植林活動と、カニ養殖において気候による打撃や環境による災害を減らす地元の方法を採用する取組みによって、この草の根的構想はUNDP(国連開発計画)の2010年度赤道賞を受賞した。
Trowel財団が地元の村と共に推進したtie-crab(結びカニ)養殖は、それぞれのカニをブイの付いた竹の棒に結び付けることを導入した、カニを太らせる技術である。もし養殖場の水があふれることがあれば―これは緩衝装置としてのマングローブを再び植えることの動機づけになる頻繁に起こる事態だが―カニはしっかりと棒に結び付けられていて、海に流出してしまわない。もし棒が洪水にのまれて折れるような時には、ブイが洪水の水の上に容易に見えているのでカニを取り戻すことができる。この取り組みによってこの組織は地元の漁業世帯の平均収入を2倍にした。
「たとえ強い波が来てもマングローブの森によって弱められて、結んだカニは影響を受けなかった。太ったカニは養殖場の中で無傷の状態で残っていた。カニ達は泥の中に穴を掘って潜っていたのだ。」とRosarioは書いている。木を植えることは命を救い、地元の経済の崩壊を救ったとRosarioははっきりと断言している。
「Taclobanの状況は一層悪かった。というのもこの地域は開けた海の近くに位置していて、海と陸とを隔てるマングローブの木という緩衝装置がない。そこには嵐の力を弱めるマングローブの森がなかったので、巨大台風が最大の力とスピードで陸地を襲った。」と彼は書いている。
健全で適切に機能している生態系は、人間の健康、安全、そして満足できる生活状態にとって絶対必要であるさまざまなサービスを提供する。Trowel財団の経験は自然資本への投資とそれを行う公共サービスの責務の有用性をたくさん物語っている。それは良好な環境への認識をもたらすだけでなく、良好な経済への認識もつくることになる。今回の場合でいえばマングローブの植林は命を救うだけでなく、地元のインフラへの打撃に対する緩衝装置となり、地元経済に対するかなり大きな損失の可能性を防ぐことにもなる。公共投資を検討している政府は注目すべきである。-開発と安全の点において環境の回復は最重要課題である。
「マングローブの森が沿岸地域の人々と生活を守っていることの重要性を政府が今すぐ認識することを私は望んでいる。」とRosarioはメッセージを締めくくっている。
原文URL:http://reliefweb.int/report/philippines/mangrove-restoration-saved-our-lives-and-our-economy-says-villager-northern-samar
参考:
・Trowel Development Foundation http://www.equatorinitiative.org/
・カニの種類-Mud Crab(和名ノコギリガザミ)、別名マングローブクラブ
・赤道賞-環境を保護しながら地域コミュニティを力づける行動をとっている草の根組織に対し国連主導のパートナーシップである赤道イニシアティブから授与される賞
訳:Y.Kさん

フィリピン台風 他団体の救援情報:CARE

台風Haiyan 被災地からの報告
情報源:CARE  http://we.care.org/blogs/22/483
日付:2013/11/11(現地時間19:00)
レイテ島に入っている支援団体CAREのブログ(英語)の概要を、ボランティアさんが訳して紹介して下さいました。被害の状況がありありと伝えられています。支援スタッフの言葉が次のように紹介されています。
「私達がOrmoc市の港にボートで到着すると、すべてのものが破壊されていた。ブリキの屋根の薄板は濡れた毛布のように木にぶら下がっていた。
沿岸のすべての家は完全に押し潰されていた。すべてが破壊されている。さらに内陸に入ると、約80%の家には屋根がない。約5%の家は完全に倒壊している。これらの家の大部分が木造住宅である。私達が見た人々は皆ハンマーや工具を手にして、家や屋根を直そうとしているように見えた。人々は通りから柱や木切れを拾い上げていた。金物屋や薬局には長い行列ができていた。私達も燃料を手に入れるのに2時間並んで待った。今までのところ、道路は大丈夫だが、どこへ行くのにも時間がかかる。
ある男性はこれから5人の子供達をどうやって食べさせていくか途方に暮れていた。また、ある少女は一生懸命本を乾かしていた。彼女の家は完全に壊れてしまっていたが、学校に行きたいからである。
人々はかなり必死になってきている。今しがた何人かの役人がやってきて、この地域で略奪が起きていると言っていた。人々は家族のために米を手に入れようとしている。住民は3日間食料が無く、家族に何か食べさせようとしている。できるだけ早くこの地域に食料と救援物資を届けることがとても重要である。Ormocには食料があった。私達は鶏や米を買うことができた。しかし食べ物の屋台や店には大行列ができていた。」

不十分なコレラ対策で未だ脅かされるハイチの人々の命

不十分なコレラ対策で未だ脅かされるハイチの人々の命
情報源:MSF(国境なき医師団)
日付:2011年10月19日
ポルトー・フランス
ハイチで伝染病コレラが発生してから一年がたちますが、ハイチの多くの地域の人々は今なおコレラの脅威に晒されています。ヘルスケアサービスやコレラ蔓延を防ぐ手立てはいまだ確立していないと、国境なき医師団は警告しています。
ハイチ救援における国境なき医師団のリーダーであるRomain Gitenet氏は「ハイチ当局や国際援助関係者はコレラを治療し蔓延を防ぐためにさらなる行動を起こす必要がある」と述べています。「早急にヘルスケアを改善し、清潔な水を手に入れる術を提供し、適切な衛生環境を保証する必要があります。清潔な水や適切な衛生環境はコレラの蔓延を止めるために必要不可欠です。」
「国際社会がハイチを支援するために多額の金銭を寄付しているにもかかわらず、未だに毎週何千人ものハイチの人がコレラにかかり、また多くの人が亡くなっています。」
ハイチの厚生省によると、2010年10月に最初のコレラの患者が確認されて以来、46万5千人ものハイチの人々がコレラにかかり、6500人以上の人々が亡くなっているそうです。雨期が続いており、病気の蔓延を助長しています。
また、国境なき医師団は、ヘルスケアや水、公衆衛生に携わる国際組織がコレラと戦っているハイチから撤退する姿を目撃しています。しかし、依然として支援が重要な状況であり、緊急事態のままです。引き続き危険な状況であり、コレラの発生数も予測不能なほどに不安定な状態です。例をあげると、国境なき医師団は8月の第4週に281人の患者をポルトー・プランスで治療しているが、これが9月になると週当たり840人に劇的に増加しています。
ハイチでは今後何年にもわたってコレラは存在し続けるでしょう。最終的に、ハイチ当局がコレラ蔓延への対策の責任をとる必要があります。しかし、ハイチ当局はまだ全国的に有効な対策を打つことができていません。
国際援助関係者はコレラに対するケアへの緊急ニーズを十分に満たしつつ、ハイチ政府が迅速に医療施設に適切なコレラ治療を結びつけることや、予防計画を実施することへの支援をもっとするべきです。国境なき医師団は、国際援助関係者がサポートしているヘルスケア施設の管理業務を厚生省に移すために働きかけています。
同時に、あくまで焦点はハイチの人々の命を救うことに他なりません。Gitenet氏は「僻地では近くに経口再水和ポイントや治療施設がなかったり、ヘルスケア職員や福祉従事団体の職員を訓練することがされていなかったりするために、コレラ患者は脱水症状により死に続ける。これは容認しがたいことである。」と述べています。
コレラ及び感染症に対しての国境なき医師団の反応によると、コレラは主に汚染された水と食物、または人と人の接触を通して拡散する伝染病です。それは短期間で人を死に至らしめるものですが、もし適切な治療ができれば、対処するのは簡単です。さらに、清潔な水や定期的に手を洗う習慣、衛生的な食物の取扱いをすることで予防することも簡単です。しかし、農村地域や都市部のスラム街に住むハイチの人々の大多数は飲料用として適した水や適切な衛生環境、下水処理施設を利用することができません。
2010年の10月にコレラの流行が始まって以来、国境なき医師団は16万人ものコレラの患者を治療してきました。それは全国規模で報告されているものの35%になります。現在、国境なき医師団はポルトー・プランスのMartissant、カルフール、デルマ、Choscal、Drouilardの近隣、及び、Ouest、ノール、Artiboniteの一部でコレラの対策に努めています。
原文URL http://reliefweb.int/node/453867

ハイチ 増え続ける患者、減少する死者数 PAHO/WHOトップ 活動の増援を呼び掛ける

日付:2010年12月2日
情報元:Pan American Health Organization ;World Health Organization
ワシントンD.C  PAHO
ハイチではコレラ患者数が増え続けているが、コレラに罹る患者のうち死亡する者の割合は現在、減少していると今週発表された情報は伝えている。
10月下旬、コレラが流行りだした初めの数週間、亡くなる入院患者の割合は9パーセントと高いものだった。それがハイチ保健省の最新の報告では3.5パーセントに下がっている。
「向上しているのだよ。」全米保健機構/世界保健機関(以下PAHO/WHOと省略)の副次官Jon K. Andrus医師はこう語った。「依然、多くの人々が亡くなり、我々も多くの問題を抱えている。けれどハイチの医師たち、看護師たち、また地域のスタッフや各国の支援者たちの頑張りで多くの命が救われているのも現実なのだ。」
今週発表された情報によると10月下旬からコレラにかかって1800人以上が亡くなり、ハイチの全10県で少なくとも八万人が罹患している。しかし、Andrusと他の公衆衛生の専門家たちは発表された数は、事例報告の際の誤差のため実際のコレラ患者の数よりはるかに少なく見積もられていると考えている。
PAHO/WHOそれに米国疾病対策管理センター(CDC)が計画立案のため行う疫病モデリングでは初めの12ヶ月間でおよそ40万人の患者を、その半数ほどはコレラが流行る最初の三カ月に発生すると予想している。
Andrus医師はこうしたことから、取組みを拡大しなければと言う。「今やハイチにはコレラが蔓延し、現場はさらに患者が増える事を予想しておかなければならない状況なのだ。」
「今、ハイチでの一番の課題は今後数週間の対応を拡大することだ。特に、間もなくやってくる休暇シーズンには外部からの支援や補給諸々を集めるのが難しくなる。」
ハイチ保健省がPAHO/WHOや国連諸機関のサポートを受けて作成した支援拡大計画はコレラ治療センターを増設し、大衆教育を行い塩素錠剤や経口補水塩を支給することで家庭や地域レベルでのコレラ予防と治療を推進する取組みの拡大することを提案している。
この取組みだけでもさらに医師350人、看護師2000人、サポートスタッフ2200人がむこう三カ月、およそ三万人の地域医療従事者やボランティアスタッフへの訓練や追加の経口補水塩に浄水用錠剤の供給が必要となるだろう。Andrus医師は必要なものは進展し続ける状況次第で変わりうることを指摘していた。
その他に差し迫って必要なものとしては水分補給用点滴、抗生物質、塩素、遺体袋、個人用保護具、水袋や貯水タンク、コレラ用ベッド(訳者注:コレラ患者がトイレに行かず用を足せるように穴が空けられたベッド)にトイレ設置用建材などがある。
ハイチにおけるコレラによる影響は極めて深刻なもので、Andrus医師や他の専門家たちは大部分の人々が浄水や公衆衛生を簡単に手に入れられずにきたこと、これまでコレラという病気にさらされた経験が無く自然免疫を持ち合わせていないこと、効果的な治療が受けられる間に治療施設へ患者を連れていく事が困難なことが原因だと指摘している。
Andrus医師は「多くの患者が手遅れの状態で病院、診療所にやって来ていた。医療施設の数を増やし、人々に初期治療の必要性を教えた結果、死者の割合が減少してきたのだ。」と話した。「コレラが蔓延しているまっただ中では、最初に軟便に気づいたら経口補水塩を摂取し始めなければならないんだと知っている必要がある。そうすればもっと多くの命を救う事ができる。」
PAHO/WHOと国際社会はハイチの保健省が行う市民へのコレラ予防と処置の教育や、避難所に一般家庭、市場や学校、診療所、拘置所などの公衆の場の衛生状態改善への取り組みを支援してきた。こうした活動を拡大するため、PAHO/WHOは直ちに1000人の地域環境スタッフを採用することを提案した。
Andrus医師はまた、清潔な飲み水を確保する手段の拡大と廃棄物処理の改善が如何に重要であるかについても説いた。「PAHO/WHOはパートナーと共に水質の観測と水の確保手段の拡大のため活動しつづける。が、ハイチが資金調達し大規模な給水・下水処理施設を建設することは不可欠なことだ。」と言っていた。
文責:Sonia M.Mey Media/Press Knowledge Management and Communication PAHO/WHO
原文URL:ewliefweb.int
翻訳:M.S

ハイチにおける水の恐怖

情報源:International Medical Corps(IMC)
日付:2010/11/8
Crystal Wells広報官より
レオガン、ハイチ-Thelervilts(人名)は質素ではあるが快適な家を海辺に持っていた。1月12日にマグニチュード7.0の地震がおきて彼の家はコンクリートの骨組みと鉄筋だけに破壊されてしまった。彼は廃材を集めて新しい店を一から建て直し、防水シートと木で家を修理した。
9ヶ月経った今、彼の壊れた家はまたもや破壊されてしまった。今回は11月5日と6日に島を打ちのめしたハリケーン・トーマスのもたらした洪水によってだった。今では泥が家の床を覆い、ギザギザになった踏み石だけが濁った水のなかで彼の家への道を点々と指していた。
彼は角にある泥のついたいくつもの土嚢を指し示して言った。「私は家を守ろうとしたが、水が土嚢を流してしまった。」
私はThelerviltsにレオガン(地名)の半分がほとんど水浸しになった日のちょうど翌日に会った。1月の地震の震源地だったレオガンはハリケーン・トーマスでも最もひどく被災した地域だった。地元の病院は避難しなければならず、2,000人の人たちがより高い場所へ移らなければならなかった。Thelerviltsとその妻子が住むレオガンの小さな町のCadaではIMCの緊急対応チームが土曜日(6日)に訪れた時でも洪水の水はいまだにひいていなかった。住民達は膝の高さまでの水の中を歩き、低木の茂みに持ち物を掛けて乾かしていた。
「私は幸運だった。隣人の多くはベッドを出たら水の中に足を突っ込むことになっていたのだ。」とThelerviltsは言った。
ハリケーン・トーマスの直後に、IMCはレオガンのCadaやひどい被害を受けたポルトープランス、Nippes, Petit Goaveなどの他の場所へ医療、栄養、水、公衆衛生の専門家からなる調査チームを送った。チームは衛生キットや毛布を配給し、コレラのような水による病気の発生を防ぐためには、水に浸かった地域に持ち運びのできる水と汚物の処理設備がとても必要であると確認した。
水についてはThelerviltsも一番心配している。「誰かに洪水を止めてもらいたい。私がやりたいけど私にはその手だてがない。」
北部でコレラの発生が猛威を振るっていることがThelerviltsの心配の理由である。コレラが最初に発生し始めたArtiboniteでトーマスの後にコレラが急増していたのだ。Gonaivesの Robateau病院へ住民達は治療を求めて殺到しており、さらにPort au Paix近くの北西部では今新たな発生が報告されていた。最近の患者急増がハリケーントーマスと直接関連しているかどうかは結び付けにくいが、洪水と嵐の後の肉体的なダメージは対応を困難にしている。多くの地域ではよりアクセスが不便になり、洪水によって食料や水源が汚染された可能性がある。
IMCはハイチのコレラの新たな発生への対応を続けている。コレラ対応チームがRobateau病院を支援するためコレラ対策センター(CTC)を立ち上げ、北西部の発生にも対応を展開している。Gonaivesの新しいCTCは最初の発生が伝えられてから7番目のCTCになる。トーマスの後、IMCのコレラ対応チームは川を渡って、コレラ患者へ薬や生活必需品を運んだ。
Thelerviltsがレオガンで恐れているのは、水が病気を拡大させることだ。彼は小さな子供が泥でできた島に座っているのを指して言った。「あの赤ちゃんを見てください。ここではみんなが水によってひどい病気になってしまうと思う。」
Thelerviltsは、自分の家族は自分の店で売っているボトル入りの水しか飲まないと断言した。しかしすべての人がボトル入りの水だけを飲むという手だてを持っているわけではなく、Cadaや、レオガンなど他の水に浸かった地域の多くではほとんど皆、風呂や料理や洗濯に、おそらく今は汚染されているであろういつもの水源を使うしかない。まるで彼の心配を裏付けるかのように、1人の男が水の中を歩いてThelerviltsの家のすぐ近くの井戸にやってきて、茶色の水の中にバケツを入れて水を汲んだ。その水をどうするのかと聞いたら、彼は「風呂だ」と答えた。
原文URL:reliefweb.int

インドネシア状況レポート 

情報源:Presbyterian Disaster Assistance(PDA)
※米国ケンタッキー州に本部を置くキリスト教系支援団体
日付:2010/11/4
2010年11月3日ムラピ山が再び噴火し、巨大な灰の雲が空に噴出した。インドネシアのジャワ中部地域で10月25日に始まったムラピ山の噴火では約7万人の人々が避難していた。
複数の国連機関の調査によると、国内避難者(IPDS)は75のキャンプに広がり、そのうちの9つが山から25㎞以内にあるジョグジャカルタ市内にある。5万人以上の人々が暮らしている残りのキャンプはジャワ中部から遠く離れたところにある。
全般的に見れば、政府の火山早期警戒システムはうまく機能しているように思われると、国連人道問題調整事務所(OCHA)の指揮官代理のKnarik Kamalyanは言った。
建物への被害は少なく、病院や食料マーケットは機能していると調査では示されたが、つい最近の噴火によって新たに38名の死者が記録され、28名のけが人が確認された。
PDAが支援しているACT AllianceのパートナーであるYakkum Emergency Unit(YEU)は、噴火被害にあった人々への医療支援を提供している。YEUと他のACT Allianceのパートナーはムラピ山の更なる変化をモニターして、人々が噴火の熱、ほこり、溶岩などから逃れられる避難所を建設している。
地震と津波
嵐と高波はいまだに津波に対する救援の妨げとなっている。PDAのパートナーでACT Allianceの共同メンバーであるChurch World Service(CWS)はパダンから津波に襲われたパガイ島まで13時間かけてボートに乗っていったが、それは普段の2倍以上の時間がかかるものだった。CWSは南パガイと北パガイの最も被害の大きい地域に最初に到着した組織だった。
先週インドネシアのムンタワイ諸島を危機が襲ってきた時には、十代の若者達が救援にやってきた。
最初の波はひざの高さだった。次に来た波と比べればそれは水の滴り程度のものだった。2番目の波は1.5mに急上昇した。3番目の波は3~4mの間の高さの巨大な壁となり、少なくとも450人の死者を出した。
父親が「津波だ」と叫んだ時、高校教師であるYeniはどうしたらいいかわかっていた。2008年、彼女はインドネシアのムンタワイ諸島のシカカップという町でどのように災害に備えるかを生徒達に教えていた。6ヶ月間にわたり、もし最悪の事態が起こった時必要となるであろう応急処置と捜索・救援技術の訓練を彼女は行った。地震と津波が起きたとき、ムンタワイのプロテスタントキリスト教教会中学校の生徒達は、周囲の混沌と恐怖を気に留めることなく、彼女の教えたことをそのまま実行に移した。
津波の翌日、生徒のHerlina, Deformalis, Parluhutanは管理事務所の指揮所に行き、Yeniと仲間のBerniとの間で調整を行った。三人の生徒達は住民を助けて家から瓦礫を取り除き、一時避難所へ移る手助けをした。
次の日、三人の生徒達はパダン市から来ていた捜索・救援隊を手伝って人々を町から高い所へ避難させた。翌日早くにはBeubukku村から住民を移動させた。それからも人々をより高い場所や避難所へ連れて行く活動をずっとしている。
PDAの地元のパートナーであるACT AllianceのメンバーのYayasan Tanggul Bencana di Indonesia(YTBI)によって行われたプログラムへの称賛の声が、はるばるパキスタンからも届いた。イスラマバードのLaksmita Novieraは、ムンタワイ学校トレーニングプログラムの元プログラムリーダーである。彼女は生徒達が活動しているところを写した写真を見たとき、「彼らに何が起きたのかを想像したら身震いがします。私達の活動が本当に役に立ったことを神に感謝します。」と言った。
PDAの地元のパートナーやACT Allianceのメンバーによる他の救援活動としては、ムンタワイ諸島への移動医療サービスの提供や、救急医や看護士の配置、地域の保健所や教会の避難、食料のパック、ベビーフードのパック、プラスチックシート、毛布、プラスチック合羽、生理用品や下着などの配給などがある。赤ちゃんへの愛情キットというCWSからの物資も配った。
これらの情報はYTBI, IRIN, ACT Alliance, CWSから得たものである。
原文URL:reliefweb.int

ハイチ、強烈なハリケーン直後の救援活動

日付:2010年9月27日
情報源:国連児童基金(UNICEF)
ハイチ、ポルトープランス。
激しい暴風が9月24日にハイチを通過し、こども3人を含む5人の犠牲者と多数の負傷者が出た。
1月に起きた地震被災者が住む避難所に設置された数千もの仮設住居がぼろぼろに切り裂かれ、鉄砲水に押し流されて、ハイチ人の生活にさらに壊滅的な影響を及ぼした。
迅速な対応
暴風による被害に対してユニセフは素早く行動を起こし、毛布やテントに医療キットを配給した。
およそ二千世帯が暮らすCarraduexの避難所で夫や3人のこどもたちと生活する34歳の母親、Caroline Noelは「ここの状況はとてもひどいですよ。」と語った。
Noel夫人はユニセフが配給する毛布を求めて、暴風の被害を受けた人々であふれる3列のうち1列に並んでいた。
「地震の後何もかも失ってしまって、避難所へ移る他なかったの。」そう思い出しながら語るNoel夫人は4月に他の避難所からCarraduex避難所へ移ってきた。「もうすでに地震で全てを失ったというのに、また何もかも無くなっちゃったの」。
ボロボロになった首都にある他のキャンプ同様にCarradeux避難所も今や光景の一部となっている。人々は椅子や、8カ月間住居としていたテントの残骸脇の地面に座り込んでいた。
第二の悲劇
テントが無くなってしまって、夫人は少なくとも家族のため代わりの住居を早急に探さねばならない。ノエル一家は一時的に、既に6人の人々が暮らす近所の小さなテントで共同生活を送っている。
避難所の生活環境は暴風の前でさえ厳しかった。「十分な食べ物が無くて、それでもなんとかこどもたちに食べさせていかないといけないの。ありがたい事に助けてくれる友人も家族もいるわ。」とノエル夫人は話してくれた。
ポルトープランスのPetionville Golfキャンプにある避難所診療所では、暴風で壊れる前は、外来医療サービスを週に約1200人の患者に提供していた。ユニセフは診療所を再建し、医療キットを配給している。
「今回、初めてユニセフとともに活動していますが、医療サービスを復旧するに際の彼らの能率的な支援に感銘を受けました。」そう語ったのは避難所を運営するJenkins-Penn Haitian Relief Organizationの地域部長、Alastair Lamb氏である。
まだまだ残る課題
ユニセフは、72平方メートルのテントを2セットと6つのレクリエーションキットをパートナーであるAmerican Refugee CommitteeがTerrain Acraで運営する避難所にも送っている。ポルトープランスでは一万枚の毛布、1350個の医療キット、400世帯分のテントそれに多くの蚊帳やバケツが配給された。
「ほんの半時間の暴風雨でこのようなことになったのです。」とCarradeuxを訪れたユニセフのハイチ代表、Francoise Grullos-Ackermanは話す。
彼女は「このことからユニセフは予防と災害リスクの削減にあらゆるパートナーの方々と取り組む必要がある事が明確となった。」と付け加え、「ハリケーンの季節が今も近づいています、ですから私たちはともに全力でここにいる人々をもっと頑丈な建物に移すようあらゆる努力をせねばなりません。こどもたちの中には9カ月の間に二度、家族や親類を失った者もおります。とてもショックな事です。」
原文URL:reliefweb.int

ハイチ復興への長い道のり

情報源:CWS(Chris Herlinger)
日付:2010/7/28
コミュニティを基盤としたグループのメンバーは、1 月12日の地震によって住むところがなくなった人々への食料支援のプログラムをハイチの北部で始めた。南部の海沿いの町Jacmelでは被災者のグループが結束して地元の教会の敷地へ移っていった。そしてポルトープランスでは地震の12日後男子を出産した女性がこれからどうしたらいいのか悩んでいた。
これらの人たちは私が地震の直後1月と2月に出会ったハイチの人々である。そして私が最近ハイチへ戻った時、彼らを探そうとすることと数ヶ月の間でどれくらい多くのことがハイチにおいて変化したかを比べることは適切なことと思われた。
彼らはどうしているのだろう?何をしているのだろう?彼らの将来に向けてのプランは何だろう?
ここに書くのは最近のハイチでの視察に基づく最新情報である。
1)Artiboniteの北部の県にあるPetite Riviereでは、CWSと長い間パートナーであったChurch World Service Chretien d’Haitiを含めたACT Allianceと連携するコミュニティのメンバーが食料支援のプログラムを続けていた。そのプログラムは、ハイチの地方部において情報と連帯とコミュニティ支援の重要な発信元である、いくつかの地元ラジオ局を拠点としていた。
しかし食料支援プログラムは縮小していた。当初、最高で8,000人最低でも3,000人との範囲と推測されるポルトープランスからの移住者のうちの一部だけしか、今Petite Riviere de l’Artiboniteに留まっていないからである。(キャッシュフォアワークのような)人道支援をより受けやすく、地震後も多くの家族が残っていた首都へ多くの人達は戻っていった。
2月にはコミュニティベースの場所で1日約500食が出されていたが、今そのプログラムはPetite Riviereでは週に2,3回に縮小されていた。
地元のラジオ局のひとつであるRadio Familyを最近再訪した日に、このプログラムに参加しているコミュニティのメンバーは、参加者の減少がこのプログラムの縮小の原因のひとつだと言った。他の理由としては、同じレベルでコミュニティの支援を維持するのがただただ難しかったということだった。特にPetite Riviere自体が住民のための十分な食料を確保するのに長い間苦しんでいる状態にあったからである。
「私達はここで大変多くの食料を必要としている。」と教師であり、ジャーナリストでもあるSama Odmarcは語った。
米作地帯であるこの地方は、アメリカ合衆国からの米の輸入が地元の農家を圧迫してきたということも含めた問題を何年もの間かかえていたと、Odmarcとその他の人達は説明した。農家は肥料のような基本的なものを買うための払込金を確保するという問題にも直面していた。払込金自体がとても犠牲の大きいものである。「収穫前に彼らはローンを返済しなければならない。米、コーンミール、サツマイモ、雑穀などに集中している地元の食料は栄養が十分でないので、収穫物を多様化することが必要とされるのだが、それに対する何らかの十分な対策が行われていない。」と元農学者であるNicolas Altidorは言った。
Petite Riviereで必要とされる事柄には肥料や妥当な払込金という形で農家を支援することがある。これらのことがなければ、切迫した状況が人々を地方からすでに超過密状態になっているポルトープランスへ追いやり続けるだろう。人々は本当はポルトープランスにいたいと思っているわけではない。しかしこの地方部とは違ってやはりそこではお金が得られるという感じがするのである、とAltidorは言った。
2)Jacmelの南部の沿岸部の市では、ACT AllianceのメンバーのDiakonie Katastrophenhilfeと地元のパートナーのメンバーはいくつかの避難キャンプを開設し運営していた。家を修繕したり建て直したりする注目すべき取り組みも進行中だった。注目度は低く小さい取り組みだが初期段階での尽力は、避難キャンプに移りたくないいわゆる連帯グループの支援をすることだった。
連帯グループのひとつはJacmelのWesleyan メソジスト教会の敷地の周辺に留まって地元のACTのパートナーから初期の支援を受けていた。2月にここを見た時は、防水シートやキャンバスはぼろぼろに裂けて破れているようにみえた。そしてそのエリアはもっと正式に組織された非難キャンプに比べたら少なく見積もっても無秩序に思われた。しかし最近見たところでは教会の敷地は前よりきちんとしていた。学校のテントでは授業が行われており、(地元Jacmelの有力者から寄付された)住民を雨風から守るちゃんとしたテントに使い古された以前のものが取り替えられていた。
しかしコミュニティの生活は不安定なままだった。
「この場所にいる人達の数は400人から150人へ減った。多くの人達は一人でやっていくほうがよいと決めたり、家に戻ったり他の場所へ移っていったりした」とこのコミュニティのメンバーのひとりであるFrancilaire Jeudiは私に語った。
「ここを維持していくのは難しかった。」とこの連帯グループの維持について彼は語った。理由のひとつとして、支援活動においてはよくあることだが”緊急時”の初期段階における食料支援は終了したことがいえる。(トロントを拠点としたGlobe and Mailの7月11日の報告でも、コミュニティは異なったグループにばらばらに分裂し、その分裂したグループの多くは連帯コミュニティの指導力に不満を持っていたとしている。これらの不満を持つ人々は結局は教会の敷地を離れ、今は他の場所の路上で暮らしている。)   
訳注:Globe and Mail カナダのニュースメディア
学校のクラスはより多くのコミュニティに広がっていて、教会の敷地に暮らしている連帯グループからも15人の子供達が授業に参加しているとJeudiは強調した。
長期間にわたる懸案事項は残っているとJeudiは言った。それには食料の心配や仕事の必要などが含まれている。連帯コミュニティの中でもキャッシュフォアワークの支援を受けている人達もいるが、そうでない人もいて、何とか生きていくのがやっとであった。
彼もまだ仕事を探している人のうちの一人である。「働かなくてはいけない。」とJeudiは言った。
3)ポルトープランスの隣のBelairで、私はMarie Sylsalveを探そうとした。彼女は息子のMcAnleyを地震の12日後に出産した。彼女は夫のAndreを見つけることができなかった。夫婦の家は崩れ、Sylsalveは夫が地震でなくなったと思っていた。彼女は壁が夫の上に倒れたのを見たのだ。私が1月の終わりに会った時、彼女は露天商として働きながらポルトープランスの隣のBelairの避難キャンプで暮らしていた。彼女は彼女自身と生まれたばかりの息子と三人の他の子供達とどうやっていくのが一番よいかを考えていた。
この避難キャンプはACT Allianceの人道的支援で支えられ、ブラジルの組織のViva Rioとのつながりがあったのだが、今は、ノルウェー教会の援助組織を含むポルトープランスのACTのメンバーの支援を受けていた。
最近訪ねた時、Sylsalveと他の人達が暮らしていたテントはなくなっていた。Viva RioのスタッフのBerdine Edmondは、おそらくSylsalveと彼女の子供達をも含む400家族は地震から約三ヶ月間4月10日まではここにいたと言った。
Viva Rioは子供達向けのプログラムのために場所を作り直す必要があるとそこにいた家族に言った。「ほとんどの人は以前住んでいたところに戻ったか他のキャンプへ移ったかした」とEdmondは言った。一時的な住民とACTの支援するNGOの間には協力や信頼の関係があったし、ここにいるのは一時的だいうことをいつもはっきりさせていたViva Rioとのよい関係は続いていた、と彼は言及した。しかしViva Rioと住民達のあいだに築かれた関係は一時的なものではなかったのだ。 例えば、一時的な住民の多くはViva Rioの小児科健康プログラムにまだ登録しており、そのなかにはMarie Sylsalveと彼女の息子のMcAnleyも含まれていた。
(以下省略)
原文サイト:reliefweb.int

安全な家?サンマルクの仮設住宅とハリケーン

情報源:IFRC
日付:2010/8/13
「これで娘に何かいいものを買ってやれるよ。」Junior Joseph Marcは800グールド(20USドル)を数えて微笑みながら言った。彼はやがて自分が住めるようになる家を建てるという3日間の労働によってそのお金を稼いだのだ。
国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)は、ポルトープランスの北95kmのところにあるサンマルクの村に15棟の暫定的な避難住居の外部構造を完成させた。床張りはもうすぐ終わり、いつでも正当な所有者に引き渡される準備ができている。
土地は地震以降34家族の緊急宿泊施設を提供していた小さなNGOからIFRCが使えるように用意されたものだった。
Marcのような受益者と認められた人々は住居の建設に参加するよう誘われた。IFRCの避難住宅の専門家や地元の大工や職人達と一緒に働くことによって、参加者達は新しく役に立つ技術を身につける機会を得ることになる。
「私はこの家の仕事をするまでは建築のことは何も知らなかった。見習いとして働いて、経験を積んだ大工さんから多くのことを学ぶことができた。」とMarcは言った。
Marcの両親は地震の前に亡くなっていた。彼と弟は名付け親に面倒を見てもらっていたが、その名付け親は地震で亡くなってしまった。その時、Marcは電気技師になるために私立の技術専門学校であるサンマルク技術者協会で勉強していた。しかし名付け親の死によって彼は勉強をやめざるをえず、地元のNGOのもとで生活するというしばらくの間の居場所を見つけた。
「これが終わったら弟といとこは私と一緒にここに住むことになる。これは私が持つ初めての自分の家と呼べる家になる。」とMarcは言った。
Jean-Claude Theophileは大工で、IFRCのサンマルクでの仮設住宅建設の統括責任者である。
「我々は地中深く打ち込んだ頑丈な木製の柱を使っている。そして圧縮された土や粗石で基礎部分を埋める。」と彼は説明した。
「骨組みの結合部は風対策として強化した。そして屋根と主要構造をハリケーン用のストラップを使って動かないように結合する。ドアには二重のストラップを使う。その結合部はもっとも弱いところなので強化しなければならない。一時的な壁として使っていたプラスチックシートは、最終的にはより耐久性のある木製パネルに数週間のうちに取り替えられるだろう。」
IFRCの仮設住宅はすべてカテゴリー1のハリケーンの風に耐えるよう設計されている。しかしハリケーンの避難所としては設計されていない。ハイチにおいてここ最近数年のハリケーンによってもたらされる被害の多くは洪水や地すべりによるものである。ハリケーンの場合には、居住者は暫定住宅に避難し地元の防災専門家の出す指示に従うようアドバイスされている。
原文サイト:reliefweb.int