西部ヘラート州で起こった激雨と洪水で、1,000家族以上が避難し、多くの居住地域や耕作地が被害を受けた。
アフガニスタン赤新月社(ARCS)によると、木曜日の洪水はGuzara地区と、州都ヘラート市の一部に被害をもたらした。家を失った家族に加えて、何千エーカーもの耕作地が完全につぶされた。
GuzaraのKul、Becharkhy、Shamaka村で「500以上の家族が家をなくし、約500件の家族ヘラート市で家を失った。」
と、ARCSの西部地域の会長であるNooruddin Ahmadiが、月曜日にHeratからIRINに対して述べた。災害は橋、学校、モスクも破壊した
と、Ahmadiは付け加えた。約8千万平方メートルの耕作地も破壊された。」と続けた。
被害を受けた家族たちは、食糧や食糧以外のものでは、主にテントを早急に必要としている、とARCSは言った。「彼らは近隣の村の家に避難しており、食糧、衣服、住居が必要だ。」とAhmadiは説明した。
災害緊急会議が、国連と政府共同調査団を、被災地に派遣することを決定したと、カブールの国連が報告した。「避難民の正確な数は現段階では出ていないが、もし人道的な援助が必要ならば、即時援助が可能である。」と、アフガニスタンの国連援助使節団(UNAMA)のスポークスマンであるAlmeida e Silva報道官がIRINに言った。
最新のARCSの報告によると、ニーズ調査が行われ、最も被害を受けた家族に食料や他の品物が火曜日に配給された。「私たちは、明日配給されるARCSの緊急対応に対し、他の援助団体がどのように貢献できるかを見るために、今日UNAMAとPRTs(アメリカ主導の市軍共同の地域復興チーム)と会合を行う。」とAhmadiが言った。
一方、UNAMAは、強風と雨あられをともなった1月15・16日の激しい雪で、カブールから北部の地域へ続く主要な人道支援のルートであるサラントンネルが閉鎖された、と報告した。「全ての国連の陸路移動は、サラン経由の行程と同様にShiber Pass (サランの東部)のルートも、更なる雪の可能性があるので、次の指令が出るまで一時的に延期した。マザールとクンドゥズの陸路移動はいずれの道を経由しても、現段階では不可能である。」と国連のスポークスマンは記している。
サラントンネルは、昨年の6月に始まった何ヶ月もの再建の後、12月28日に24時間の通行が、公式に再開された。
サランの道路とトンネルは、日曜日に小型自動車に対して再開され、フランスのNGO,ACTED(技術協力開発事業団)によると、片側車線通行となっている。アフガニスタンの公共事業省とともにサランの交通の安全を管理しているACTEDは、トンネルとトンネルからの道路の通常の動きはまもなく回復するだろう、と発表した。
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情報源:国連人道問題調整事務所 統合地域情報ネットワーク(UNOCHA IRIN)
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アフガニスタン・イラン:バム地震でのアフガン人生存者の帰還が続く
カブール(IRIN)―木曜日(1.15)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は12月末にイラン南西部の町バムで起きた壊滅的な地震で生き残った400人以上のアフガン人が火曜日に本国へ帰還したと述べた。
「11台のバス、5台のトラックと4台のトレーラーの車列が171人の男性と79人の女性と165人の子供を乗せて前日にバムを発ち、マリク(アフガニスタン西側イラン国境)でアフガニスタン国境を越えた。」UNHCRの報道官であるPeter Kesslerは木曜日にIRINに語った。ほとんどの人達はカブールでの不確実な未来に向かっていると報告された。
生存者の多くは地震によって傷を負い、またその多くは愛する人を失っていたとKesslerは言った。「両親と兄弟姉妹全てを地震で亡くした8歳の男の子は、おじの1人と一緒にアフガニスタンへ戻ってきていた。」
伝えられるところによると30,000人が亡くなったともいわれるこの壊滅的な地震によって何人のアフガン人が死亡したのか正確な数字はわからない、とUNHCRは言った。
しかしあの地震が起きた時、様々な調査から3,300人の登録されていたアフガンの難民がバムの地元住民の中で生活していたとされる。
これらの最も新しいバムからのアフガン人の帰還者達以外に、ここ何週間で何百人ものアフガン人の生存者達が自力でアフガニスタンへ戻ってきた。彼らの多くは愛する人達の遺体と共に。
地震によって影響を受けた約300のアフガン人家族の帰還を支援したとUNHCRは1月2日に発表した。彼らの多くはこれまで最大の被災者数を出しているファラーという西部アフガンの地域に戻ったとUNHCRは述べた。
帰国するアフガン人から通常徴収していた一人当たり約4USドルの帰還料を、慣例に反して、イラン当局が放棄することに同意したと国連高等難民弁務官事務所は述べた。
「帰還する難民は通常の交通費補助に加えて50%の割増金を受け取った。」とUNHCRの報道官は述べた。
他の帰還の車列は数日のうちにバムを発つ予定になっており、UNHCRはバムに住んでいたアフガン難民から256のあらたな帰還要求を受け取ったと述べた。
Abdul Hafizという西部の町ヘラートの旅行代理業者は、彼が会った難民達は大変な精神的打撃を受けているようだったし、地震のためにとてもわずかな所持品しか持っていなかったとIRINに述べた。帰還者がカブール行きのバスに乗り換える時その何人かと話した彼はと言った。「彼らは愛する人を失ったという悲劇をとても悲しんでおり、どこへ行こうかというはっきりとした見通しを持っていないものも多くいた。」
今年これまでに1,000人以上のアフガン人がUNHCRとアフガン政府共同で促進している帰還事業によってイランから戻ってきている。
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ロヤジルガ(国民大会議)憲法決議へ
520名からなる国連監督のアフガニスタン憲法制定国民大会議(CLJ)は16日間に渡る討論と話し合いの後、火曜日の公開討論会で最終的な憲法草案を投票決議するよう求められた。
CLJの議長によると、そのCLJは50名毎の作業部会に分けられ、この5日間調停委員会が様々な意見を調整し、それらを最終草案に追加した。訂正と変更は草案の160うち約30条項になった。最終草案は再検討され、火曜日に秘密投票が行われる、とCLJ議長のSibghatullah Mujaddidi氏は述べた。
「代表者らは調停委員会が用意した最終草案を検討すべく時間を与えられた。そして、最低でも151名の代表者によって提案された場合のみ新たな変更が再審理される。」と彼は付け加えた。
この歴史的集会を見守る人々は、開会当初に比べて、ここ数日間は大きな討論は無い、と言う。しかし反抗勢力は未だに、議会が大統領の権力を制御するに足りる権力か、そしてイスラム教のより強力な役割の為に十分な権力が与えられるべきだ、と主張している。
日曜日に公表された妥協草案によれば、大統領に全ての主要な政策に関して議会に諮問し、主要な任命について議会に承認を求めるように強制することになる。
広大な支持にもかかわらず、何人かの代表者はその最終草案に満足していないように見えた。Jehadiの指導者らと司令官らは、裁判所の設立が最終草案に含まれるようにとの要望が妥協草案に含まれていなかったことを批判した。
「我々は皆調停委員会の期間中、憲法裁判所[Diwan-e Ali]を設置する事に合意していた。しかし今、それが草案の書面には存在しない。つまり我々の居ない所で何らかの変更があったということを意味する。」とBurhanuddin Rabbani元大統領とJamiat-e Islami[主にトルコ人、ウズベク人、タジク人のリーダーから成るイスラム教協会]のリーダーはCLJ会議でIRINに語った。
他の代表者らはその最終草案に満足しており、追加の話し合いは政治的利権の前進のためだ、と述べた。「重要な要素は広く議論されてきたし。ごく少数の追加的な懸念は深遠な政治的利権に根ざすものだ、と私は思う。」と何千人もの遊牧民を代表するMohammad Gol Kochi氏はIRINに語った。さらなる議論があるだろうが、会議が水曜日には終結するとの確信がある、彼は付け加えた。
502名の代表のうち20パーセントを占める女性は、最終草案に市民の平等権についての明らかな定義を見て全体的には満足していると言う。これはCLJ会議が始まる前までは草案の中に出てこなかった彼女たちにとって重要な要望の一つであった。最終草案は、全てのアフガニスタン市民は、明確に男性も女性も言及しているのだが、平等の権利と責任を持つとはっきりと述べている。「これは女性の大きな要求の一つであり、拒絶されたり変更されたりしないことを望みます。」と匿名を希望した女性CLJ代表者はIRINに語った。
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世界銀行が灌漑施設の復興を援助
2003.12.23 ワシントン発ー農業用水の安定供給を助ける為、世界銀行はアフガニスタン政府に対して4千万ドルのIDA(国際開発協会)無利息貸付を今日承認した。その融資は、アフガニスタンにある全5つの河川流域の中で優先的地域における国営灌漑システムの復興と、国の水源に関する情報基盤の改善を求める政府の緊急的な要望に対して応じたものである。
アフガニスタンの農家に直面している最大の課題は、いかにして貧しい自給農業経済を近代的でダイナミック、且つ持続可能で、食物を安全に供給することができて農業収入を生み、もろさを軽減し、生計の機会を広げるようなものに移行できるかということである。世界銀行による融資はアフガニスタン緊急灌漑復興プロジェクトをサポートすることにより、この移行に助力するおものである。
アフガニスタンでは、人口の4分の3以上が農村部に暮らし、主な生計手段として農業に依存している。しかしながら、アフガニスタンの地上と地下にある水源のうち約30パーセントしか使用されていない。そのほとんど全てが潅漑用水である。灌漑用に加え、灌漑システムは農村部の人間と家畜にとって飲用水源でもある。
「アフガニスタンの農業分野は長年ひどく苦しんできた。特にここ3年は深刻な干ばつに悩まされている。」と、世界銀行経済アドバイザー兼このプロジェクトのタスクマネージャーであるMohinder S.Mudahar氏は述べた。「近年の干ばつによる影響に加えて、灌漑システムは戦争の直接的、間接的影響によって深刻な被害と破壊を受け、地元の現在の力だけでは回復できない状態にある。確かに、アフガニスタンでは灌漑システムは食物生産、農業生産の拡大、そして開発にとって最も重要な要素の一つである。このプロジェクトは農業が直面している主な問題を改善すると期待されている。そしてその結果、地域の収入を向上し、貧困を軽減し、アフガニスタンにおける持続可能な農業と ダイナミックな農村経済への移行を加速化することになる。」
緊急灌漑復興プロジェクトは、アフガニスタンの5つの流域の中で最優先地における国営灌漑システムの復興に特に焦点を当てるように計画された世銀初のプロジェクトとなる。それは河川管理により現存する荒廃した灌漑システムと水天気象学ネットワークを再建する限定的な優先的投資である。また、確実に水を供給し、水源管理を改善し、農業の生産性を高め、農村の雇用をつくることによって農村の生活を向上させるだろう。
そのプロジェクトは州支局と地元農村を含む、灌漑水源環境省(MIWRE)によって施行される予定である。
緊急灌漑復興プロジェクトに対するIDA(国際開発協会)ローンの条件は、無利息で、0.75パーセントのサービス料、40年の支払い期間、10年の支払猶予期間である。
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ロヤジルガ代表者Sa'era Sharifのインタビュー
カブール、2003.12.19(IRNI)-憲法制定のための歴史的な国民大会議ロヤジルカは、首都のカブールで6日目に入るが、その500人のメンバーをもつ大評議会は、会議の本質的な議題、戦後の憲法の草案の決議に未だ達していない。
Sa’era SharifはKhowstの東部からの代表で、わずか100人の女性代表の一人である。IRINとのインタビューで、彼女はこの1週間の進行状況と、その会議に対する彼女の期待について見解を述べた。
質問:このような大きな歴史的な会議をどう思いますか?
回答:社会科学の研究員として、アフガニスタンの女性として、このような会議はひとつの挑戦です。女性がロヤジルカのメンバーの20%を占めるにも関わらず、私たちは暴力、超保守主義、非識字、出産に関わる女性の死亡率、他の多くの損失を被っている何百人という女性の明るい未来を確保するために、苦戦を強いられていることもチャレンジです。
私はロヤジルカの一員であること本当に誇りに思います。この会議には大きな歴史的な意義があるし、長年の悲痛と無秩序の後、アフガニスタン人は男性も女性も共に、少なくともある種の進歩を平和的手段で遂げるために集まったのですから。
質問:先週の動きをどう評価しますか?
回答:私はイスラム前時代から現在まで、アフガニスタンでロヤジルカを研究しています。現在のロヤジルカにはかなりの重みがある。なぜならアフガニスタン人に負わせた30年間の戦闘に結びついた緊張と紛争にも関わらず、様々なグループが国の将来を決めるためにともにここに集まったから。しかしこの5日間で私が気づいたのは、多くの代表者が、立憲上の討論に不適切な論点を挙げていることです。代表者の中には、男性、女性に関わらず、自身の支持者を拡大するためにこの伝統的な会議を利用している。
質問:このロヤジルカにおける女性の代表は重要ですか?
回答:はい。私たちは責任を感じるべきです。なぜなら何十万人もの女性が、自分達の現在や将来に対して変化をもたらすことを私たちに期待しているからです。しかし多くの女性は国の統一や結束については関心がないようです。政治的な意識が欠如しています。一緒に座ってアフガニスタンの女性の問題について議論するよりは、ほとんどの人が、休憩時にグループでの外出や、カブールでの観光を楽しんでいる。
質問:憲法の草案について特別な懸念はありますか?
回答:私は憲法の草案に関して、全ての条文を研究しましたが、特に心配はありません。わずかな変更をすべきところはありますが、これらは民主的な雰囲気の中で討論されるべきであって、今週見ているような脅威や暴力の状況下ですべきではありません。
質問:この討議はこれまでの遅延を鑑みると、どのくらい続くと思いますか?
回答:もし会議がこのような状態で続くなら-つまり議題と関係のない論点を討議するのであれば、何週間もかかるでしょう。これは私たちにとって大きな挑戦です。なぜなら国連や国際的な団体の介入がなく、私たちはそれを自分たちで決定し、作り上げなければならないからです。私たちは成功しなければならない。私たちはこのことを認識し、過去の論争、不適切な党派的あるいは政治的な討議を忘れるべきです。
質問:何人かの代表団、主に軍閥指導者をロヤジルガにおける重要な地位を占めるよりは、むしろ裁判にかけられるべきだと批判したMalalai Juyaが脅され代表団から外されたことについてどう考えますか?
回答:私たちはこれについては黙っていませんでした。そして女性の代表者たちは、その女性の除名を妨げました。しかしアフガニスタンの人々は非常に苦しんできたし、女性は他の者たちよりも苦しんできた。従って、Malalaiは女性としてより苦しい困難を経験し、その会議の年配者たちはこれを理解するべきだった。
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国連人権高等弁務官事務所は2004年に5480万ドルを要請
ジュネーブ(国連情報サービス)―― 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は来年の活動と組織強化を続けるために5480万ドルの支援を求めている。
OHCHRの2004年度年次支援要請は12月8日ジュネーブで行われる国連加盟国の会合に公式に発表されるもので、人権委員会やその他の人権条約の准守を監視する委員会などの国連の人権関連諸機関の支援、地域や国のレベルでの活動、新たな人権侵害への対応、情報技術や職員の安全などのOHCHRの組織の強化、などの領域にわたっている。
前文において、人権高等弁務官代理のBertrand Ramcharanは、OHCHRの短い歴史のうちで最も困難な時期のひとつに今年度の要請が重なった、と言っている。
「我々の挑戦は危機に直面しても活動を維持してきたことであり、変化の時期にも進歩し続けることによってセルジオ[ヴィエイラ デ メロ]を追悼することである。それは組織を強化すること、焦点をより鋭くし優先事項を明確にし、組織を能率化し効率化すること、フィールドの方針を改善すること、内部の管理体制を改善すること、などに対する彼の取り組みを継続していくことである。これらの改革は、個々の重要な要素を統合させる総合的な人権プログラムを推進していくという、我々全体の目標に寄与する。」と高等弁務官代理は書いている。
これまでの拠出国の寛大な貢献に事務所は感謝しており、今後もこれらの支持や支援が続いていくことを期待しているとRamcharan氏は述べた。OHCHRは昨年の要請で決定した管理体制と活動の目的を達成するにおいて相当な進歩を遂げてきた。厳密な計画や分析や優先順位検討によって、来年度の非通常予算の要請額は2003年と比較して12パーセントの減少という結果がもたらされた。
国連の通常予算以外の任意拠出金はOHCHRにとって特に重要である。なぜならそれらはOHCHRの全予算の3分の2以上を占めているからである。Kofi Annan事務総長は、2004年から2005年の期間にこの事務所のためのより多くの通常予算を国連総会に要請した。OHCHRは次の国連予算年には2710万ドルを得る。
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MSFはアフガニスタンのZHARE DASHTキャンプでの活動を停止
アフガニスタンでの援助要員に対する襲撃の増加という現在の状況の下では、人道援助の中立性は深刻と脅かされており、カンダハールの外で活動しているMSFのスタッフにとって容認できないレベルにまで危険となった。アフガニスタンで援助要員に対する最近の攻撃は許されないものであり、強く非難されなければならない。
MSF:カンダハール-援助要員に対する最近の襲撃をうけて、人道医療主義組織、国境なき医師団(MSF)は、南部アフガニスタン、カンダハール近郊のZhare Dashtキャンプでの活動を停止することを決定した。
MSFは4万人の避難民が住むZhare Dashtで、基礎的なヘルスケアを提供し、毎月平均7,500人の患者を診察してきた。最近MSFは大規模なジフテリアの発生に対応しなければならなかった。冬が近づくにつれて、肺炎などの器官系の感染が劇的に増加している。
Zhare Dashtのハイリスクの人口層にとって、器官の感染病は生命に関わる病状になりかねない。問診サービスの欠如に加え、MSFの撤退で、人口は、母子のヘルスケアや、子供や妊婦にとって不可欠な予防接種もなくなってしまった。MSFは栄養不足の子供たちに対する給食プログラムも運営していた。
Zhare Dashtキャンプは、カンダハールの町から約20km離れた砂漠にあり、自給自足の見通しはない。キャンプの居住者たちは完全に外部の援助から依存している。南部アフガニスタンでの援助要員に対する危険が増加し、その結果彼らのヘスルケアへのアクセスがなくなれば、これらの人々が更に苦しみ、危険に直面するのを放置することになるだろう。
MSFは現在、援助機関に対する襲撃増加の背景を鑑み、又紛争当事者たちの様々な思惑が混在する中で、南部アフガニスタンで避難民の援助をどのように続けるかを検討している。現在の状況の下で、人道活動の中立は深刻に脅かされており、カンダハールの外で活動しているMSFのスタッフにとっての危険性は、容認できないレベルにまで達している。アフガニスタンで援助団体に対する最近の攻撃は容認できず、最も強い言葉で非難されるに違いない。
独立した人道団体として、アフガニスタンにいるというMSFの決定は、人道主義活動の中核原理に基づいている。すなわち、紛争において中立を保ち、人々のニーズに基づいて無条件で援助を行うということである。政治からの独立は、私たちの活動の根本理念である。私たちのスタッフの安全や我々が必要な人々に援助を届けられるかどうかは、それにかかっている。
いくつかのNGOは、彼らの活動のための安全を提供するためにNATOの支持の下で軍事力の展開の拡大を要求してきた。しかしこのメッセージも、独立中立というNGOのイメージが崩れるのに貢献してきたかもしれない。
しかしながらMSFが要求するのは連合軍やNATOあるいは政府が援助要員の安全確保のために軍事行動を強化することではないと再度強調する。MSFが呼びかけているのは、私たちが必要としている人々に援助を行おうとする中で、援助要員の中立性と公平性を全ての紛争当事者たちが尊重することである。
MSFはカンダハールの町や他の場所で、活動を続けている。
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アフガニスタン復興:「人々は前進するために、幾度でも忍耐し努力する」
カブール、アフガニスタン-アフガニスタンの人々は、憲法草案の議論によって、今までわずかながらしか経験できなかった安定と希望をある程度で確保するだろうと慎重にも希望をもっている。アフガニスタンへの1週間の視察から戻ったばかりのチャーチ・ワールド・サービス(CWS)職員が言う。
「誰もがこれを前進する方法と見るだけでなく、「これがどのように私たちの役に立つの?」と。」と事態を静視しながら結果を待つ姿勢でいる。」と、11月1~11日の訪問から帰ったCWS国際緊急援助準局長であるDonna J. Derrが言った。
「多くの民家は過去の経験から、法律はしばしばどうでもいいもので、過去の問題を裁くために使われてこなかったことを知っている。」と、Derrは、現在討議され、来月のアフガニスタンの国民大会議、ロヤジルガで採択される憲法をめぐる問題について述べた。
ひとつには憲法は大統領を長とする、民主的に選ばれた政府を要求する。もし承認されれば、憲法によって2004年に総選挙が行われる可能性もある。
少なくとも首都カブールでは、日常生活が過去の活発さを取り戻しつつある中でこれらの変化は起きている。「アフガニスタンで、本質的な変化が起こっている。」と、前回1月にアフガニスタンを訪れたDerrが言った。
わずか3年前にアフガニスタンはひどい干ばつを経験していたことを指摘して、アフガニスタン人は「常に前向きだ」と彼女は言う。そして食糧品などの市場が活性化しているのは変化の一つの兆候である。
「私はいつも、アフガニスタン人の底力の強さに感動させられる。」と彼女は言った。「彼らは何度も不遇に耐え前進しようと奮闘している。」
未だに、国は継続的な治安の事件も含め、多くの問題に直面している。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が、東部と南部から30人の国際スタッフを撤退させることを発表し、フランス人職員がタリバン勢力によって日曜日(11月16日)殺害されたこれらの問題は今週注目された。
-ショマリでの住宅の再建、Hazarajat地方での教育の援助、カブールでの女性の雇用創出などのCWSのアフガニスタン復興プロジェクト-は、治安の悪さに直接影響されてこなかった。
実際、それぞれのプロジェクト分野は、拡大している。おそらく最大の変化は、過去2年間で15万4千以上のキルトを作った2千人近い女性に一時的な仕事を与えた、雇用創出のプロジェクトである。このプログラムの新しい取り組みは、女性たちがそれぞれの小さな商売を所有、経営することができるように、高度な識字能力、マーケティング、法的な権利の訓練である。
カブールの南にあるLogar州に住むNaziaは、CWSのプログラムで支援を受けた1人である。カブールでのCWSが支援している女性の雇用創出プロジェクトにかつて参加したNaziaは今、Logar地方のMoghul女性シュラ(合議体)のメンバーである。
Naziaは自分の年齢が定かではない。25歳くらいだと思っている。4人の子供を持った未亡人であるNaziaは、タリバンの時代に夫を殺されたあと彼女の家族とともに避難したパキスタンの難民キャンプで数年間暮らしていた。
彼女と子供たちは自分たちの新たな生活を始めることを望んで、故郷に戻ることを決めた。しかし彼らには戻る家がない。彼らの前の家は破壊されていた。だから彼女と子供たちは、最近Logar地方に戻るまで、カブールで過ごしていた。
現在親戚と一緒に暮らしながら、Naziaは家族のために必要な基本的な食料を得る助けとなるわずかな収入を得る方法として、カブールのプログラムに参加した。彼女とシュラのほかのメンバーたちは、仕立てる訓練や裁縫道具を提供され、地元で縫い物や仕立ての注文ができるようになった。
彼女と彼女の家族が耐え忍んできた困難な時代にも関わらず、Naziaが希望を持ち、将来の彼女の大望-子供たちに教育を、自分たちの家を、彼女自身の小さな商売を持つという希望-はかすむことがない。
彼女は言う。「エンシャラ」と。
国連支援の武装解除試行パクティアで進行中
月曜日、パクティア州南東の首都ガルデズで行われた武装解除の儀式に続いて、元戦闘員であるSpingul氏は、友人たちとともに、伝統的なパクティア式ダンスを披露した。
「任意で銃を差し出すことができて幸せだ。今や戦争は終わったのだから、銃は要らない。」と、アフガニスタンの新しい始まりという名のプログラム(ANBM)のDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)プロセスに参加する35歳の者は、GardezでIRINに話した。
「厳しい戦闘の世界に再び参加する必要がないことを願っている」と15年間戦闘に従事してきた彼は語った。動員解除され、社会復帰を遂げた今、大工となることを夢見ているとSpingul氏は話した。
「少なくとも私たちは生きるということの真の意味を知ることができるだろう」、満足げにうなずく友人たちにほほえみかけながら、彼は話した。
パクティア州の武装解除はアフガニスタン北東部の北東クンドゥズ州に続く2つめの試行である10月21日に、千人の元戦闘員が武装解除・動員解除され、現在は日本が数百万ドル拠出し国連が支援するキャンペーンを通じて、社会復帰を行っている。
ガルデズでは武器回収は11月9日に始まり、月曜日現在、合計595名が武装解除されたと国連は話す。「これまでは、我々は(ガルデズの)第3軍団第12師団、加えて他の諸大将(Gardezにおける軍分遺団の諸指揮官)のグループから兵士の武装解除を行ってきた。あと数日間続く。」と、ANBP報道官Jim Ociti はGardezでIRINに対し話した。
来年の初夏に始まる予定である-元戦闘員10万人の本格的な武装解除-の前に、クンドゥズ州やパクティア州に加えて、4ヶ所で行われることとなっている、とocitiは話した。「クンドゥズ、ガルデズ(パクティア)マザリシャリフ(バルヒ)、パルワン(カブールl)カンダハール、そしてバーミアンの合計6州で6千人が武装解除される予定である。」と彼は話し、問題の多い北部都市マザリシャリフが次のターゲットで来月中には武装解除が行われる、と付け加えた。
ガルデズの第三軍団の指揮官 Gen Monir Mohammad Ludin、その州における軍でトップの人物であるが、彼は次のようにIRINに話した。
パクティアはすでに南西部の他州より安全であったが、動員解除によってその治安は更に強化されると語った。
「私はこの州内において、さらなる紛争が生じるとは考えていない。人々は戦争にうんざりしている。」と、三等大将は話した。人民のジルガ(会議)は治安を維持してきたし、そして軍分遺団が武装解除となっても治安に穴があく恐れはないと主張した。
「第三軍団には4200人がおり、4つの師団と他の小規模な分遺団があった。全員本格的DDRの時に、武装解除され、社会復帰する」と大将は話した。現在設立中のアフガン国軍が将来、全分遺団を引き継ぐかもしれないと付け加えた。
ANBPによれば、火曜日、武装解除された兵士が動員解除し始める。その間、文民としての生活に戻る過程を助けるため、各人は食糧、文民としての衣服といくらかの財政的援助を受ける。その後、元兵士は社会復帰し始め、その過程で彼らは選択肢から選ぶことになる。
「私たちは一定範囲の選択肢を提供している。農業、地雷除去、商業、賃金労働、職業訓練のような他の諸産業などの選択があり、またアフガン国軍や国家警察に加わりたい者にはその選択もある。」と、Ocitiは説明した。
月曜日の儀式の一部として、兵士らはGardezでパレードに参加した。その行進には、FM Mohammad Qasem Fahim国防大臣ら国防省の補佐が数名、-DDR努力への主要な援助国-日本とカナダの軍関係者や、ANBPの高官らが、参加していた。
戦車や対航空機ミサイル、ロケット推進式手榴弾、AK-47型突撃銃(アソールトライフル)、軽機関銃などの数種類の重装・軽装兵器が、Gardezで兵士より回集されたとANBPは話した。
アフガニスタン:女性の、政治的権利の躍進
少なくとも64人の女性が、来月、国の憲法を形成する国民議会(ロヤジルガ)に参加する。
クリスチャン・サイエンス・モニターの記者、Ilene R. Prusherの報告
ロガール、アフガニスタン-ある晩、彼らはNafesa Bahaのドアに手紙を差し込んだ。それには「警告。もしあなたが、暫定政権に女性を選出するようなことを続けるのなら、あなたがターゲットになる。」
しかしBana氏は、やりとげなければならないと、戦いに挑むと決心した。このような脅しに直面して、彼女は今週新しい種類の選挙、女性の為だけの選挙を指揮した。来月カブールで開催されるかなり保守的なロガールで、二人の女性がロヤジルガ(アフガニスタンの憲法を形成しその将来を決定するであろう国民大会議)で、地域の代表として選ばれた。この木曜日でイスラム教の原理主義的な解釈から女性や少女たちに対し、家にとどまり、全身を覆うブルカを身につけるよう強要していたタリバン政権が崩壊してから、2年になった。2年の間に、このような制限はゆるくなったが、完全になくなってはいない。首都から1時間半南のこの州では、この厳重に警護された投票所に現れた全ての女性は、ブルカを身にまとっていた。もっとも彼女たちは投票所に入ったとたんポリエステルの青い覆いを、まとってはいたが。中には、選挙に参加するために家族に嘘をついてきた、という者もいた。
ロガール州の憲法制定のためのロヤジルガの女性部門を率いるBahaは、地元の軍事司令官にその脅迫状を持っていったと言っている。彼は彼女にカラシニコフ銃を与え、送り返した。
「私は夜家の周りをパトロールし、安全のためにそれを携帯します。」とBahaは、深い褐色の肌に対して目立つ歯を見せてにっこり笑いながら言う。「私は、たとえ彼らが私を殺そうとしても、これを何としても続けます。」
重要な指標
女性がロヤジルガに選ばれることに直面する明らかな困難を回避することをロヤジルガが女性だけの選挙で女性だけに投票させるという考えを基としている。12月10日に召集されるロヤジルガでは、アフガニスタンの将来の政府や裁判のシステムがどうあるべきかを決定する意義があるという意味で、真の政権交代の重要な指標となる。
先週公表された憲法の草案は、イスラム社会と民主主義の間の調和を見出そうとしたものであるが、女性たちがよりよい地位を得ることを保証するところまではいかない、と人権派は言っている。
「新憲法では、男性はまだ4人の妻を持つことが認められているが、私たちはそれを禁止にしたい。」と、前回のロヤジルガへの代表団であったNijiba Saidは、一部の女性たちが変えたいと思っている問題のひとつとして挙げた。
他には、離婚や相続といった問題に関する平等の権利がある。
500議席のうち少なくとも64議席は、女性のために確保されており、アフガニスタンの32州から女性が2人ずつ選出されることになる。しかし女性は、一般の選挙でも選ばれる可能性があり、更にハミッド・カルザイ大統領によって、50議席指名される。女性は半遊牧のKuchis族や在パキスタン・イラン難民のような少数派のために確保されている、他のカテゴリーでも選出される可能性もあり、100人近い女性たちが参加できるかもしれないという期待が女性グループの間であがっている。
狭い参加層
といっても出馬するものは、むしろ社会の極わずかな人口層である。ロヤジルガに選出されるのは識字者だけかもしれないし、とするとそれはアフガニスタンの女性の約10%に過ぎない。
選挙に登録をすることを依頼された女性は、非政府組織の援助団体のリーダー、あるいは学校の先生や校長だった。彼女らの間でさえ、参加するのに苦労した者や、夫に告げずにその問題を避けた者もいた。
「私はカブールでロヤジルガに参加したい。でも私の家族が許さない。」と、3年生の先生であるRosia Abassyは言う。「彼らは今日ここに私が来るのを許してくれたので、今朝学校に教えに行くふりをした。」
当地の選挙には予想を下回る約60人の女性が参加しただけだった。視察に来た国連の職員によると、200人以上いた州もいくつかあったという。
しかし、タリバン勢力やその他の原理主義のグループが勢力を回復していると言われている地域ほど、女性たちが投票するのは難しい。
はるか南東部のパシュトゥン民族が多数を占めるパクティカ州では、「ここでは、選挙に登録している女性は一人もいない。」と、アフガニスタン全土での女性のための選挙参加をすべて調査しているFirouza Nawabiは言う。「ここでは11月3日に選挙を行う予定だったが、女性は一人も参加しなかった。」
他の地域でも問題が起こっている。委員たちはまだ、カブールの北部のパルワン州で有効な選挙を行うために奮闘している。タリバン勢力の打倒をアメリカが支援した北部連合市民軍の中核地であるパンジシール地区からの女性は、先週の土曜日の選挙には誰も来なかった。
「モスクでムッラーが、女性は選挙に参加できないと宣告したのです。」と、じゅうたんの上に集まった女性に選挙の基本原則について説明する前に、Nawabiはため息をついた。
彼女たちはまだ祝賀のキスをしている中、ブルカがかばんから取り出され、すばやく頭からすっぽりと再び着用された。投票者たちはブルカをはためかせながら、家に帰って行った。
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