子どもたちにもっとおもちゃを!
情報源:Amity
2008.07.30
ジウロング学校では地震で壊されていない出入り口を見つけるのは不可能であろう。5月12日に殺人的な地震が四川を襲ったときには、ほとんどがなぎ倒され、瓦礫の中に立つわずかな教室だけがその学校で残った。学長であるLiさんは、校長がいまだ病院に入院しているなかで、学校近くのテントでアミティーと会った。
Liさんは、地震で、先生や子どもたちに起こったことを思い出しながら泣き始めた。‘何百人もの子どもやスタッフがあの地震で亡くなり、学校もいまや瓦礫の山である。子どもたちやスタッフに関する今までの情報も失ってしまい、あの地震から数日経った今も誰が地震で亡くなってしまったのかさえわからない。私たちは、生き残ったスタッフと先生たちを10このグループに分け、近くの村まで行き、私たちの学校に登校していた子どもで行方不明となっている子どもたちはいないか調べている。子どもを失った親の中には、大声で泣き出してしまう方もいる。この深い悲しみのなか、子どもたちの親の中には、なぜお前が私の子どもの代わりに死ななかったのか。と言う方もいる。私は、その言葉を聞いたとき、誰かが私の心を捻じ曲げているように感じた。私はなぜ私が子どもたちに代わりに死ななかったのだろうか’と、Liさんは話した。
ジウロング学校には、初等教育、村学校と幼稚園があり、900人以上の生徒とスタッフがいた。学校があるジウロングは、ロングメン山に沿う形である。地震が、山脈を引き裂いたとき、ジウロングのインフラ設備は破壊され、街や学校は大きなダメージを受けた。
Liさんによると、学校のスタッフは、死者の身元確認に奔走しており、救援に行く時間がないという。‘2,3日前、私たちは他の病院に運び込まれた先生を探していた。私たちにできることは、2人の先生を近くの病院や救援所へ送り、その先生を見つけることができるか運にかけてみることだけだった。2人の先生たちが目的地に着くと、彼らは、運びこまれた先生の親族がいないかと彼の名前を叫び続けた。数箇所回った後、私たちはついに彼を探し当てた。これが、地震の混乱のなかで私たちが、行方知れずとなった同僚を探しす方法です’と語った。
加えて、学校のスタッフが心配しなければならない問題は他にもある。仮設教室はもうすぐ完成間近で、子どもたちも授業を受ける準備は整っているが、学校設備がいまだ十分ではないとLiさんが指摘した。‘私が今できる唯一のことは、ボランティアたちにより多くの学校設備提供を呼びかけることで、もしそれが実現しなければ、いくら仮設教室が完成しても授業を行うことができない’
Liさんの努力は実り、野外活動用の設備や何台かのコンピュータを受け取ることが出来た。しかし、まだ幼稚園教育用の設備は十分でない。‘私たちは240人ほどの生徒を抱えており、彼らが学校に復帰したときは仮設教室に通うようになる。しかし、多くの子どもたちは、今回の地震で心に傷をおい、学校に来ることを拒否している。私たちのスタッフの中には、このような子どもたちが地震でおった傷から立ち直れるように活動しているものもいます’
Liさんは、こどもたちが学校に帰ってくるという自信を持っているが、いまだ幼稚園生に十分なおもちゃが揃っていないことを懸念している。‘もし、こどもたちの親がかれらの学校復帰に同意してくれるなら、私は、こどもたちによい教育環境と悲しい地震の記憶を拭い去るような助けやかれらに喜びを与えるような環境を提供したい’と言った。