数千人の親切な隣人たち
情報源:Mercy Crops
2008.7.29
Qinjianrenjiaにある仮設キャンプの中に足を踏み入れると衝撃が胸に走った。キャンプ場で生活をしている人たちと共に過ごすことで心が温まった。
この仮設キャンプ場は、5月に起こった四川地震の被災者たちのために中国政府が建設したもので、Dujiangyanの災害を受けた街から離れたところにある。そのキャンプには街や周辺の村から13,000人もの人たちが来て生活している。地震が起こったとき、その場所は牧草地であった。2週間もしないうちに小さな町の仮設キャンプ場となり、道路やインフラが整備された。
標準中国語では、Qinjianrenjiaは‘繁栄している、勤勉な’という意味であり、また簡単には‘親切な’という意味もある。
キャンプ場内にある各住宅は、わずか20平方メートルで、4人が生活している。建物ごとに6つのこのようなアパートがある。そこには何百もの、このような小さくて粗末な家があり、私がその家の列を見下ろしたとき、そのキャンプの終わりが見えないくらいであった。
仮設住宅に住む家族は、彼らの村やアパートが再建されるまで、3~5年はここにすむことになるだろう。この事実と地震へのトラウマとの間で、我慢できなくなったり、この状況に発狂してしまうかもしれない。しかし、そのかわりに住民たちはここでの最高の生活を創り出しているのである。
家族たちは、小さな彼らの住居を快適なものにしようと大忙しで、家の外に花壇を作っている家族をみつけたりもしたし、他にも、周辺の道掃除を分担して行っている家族もいた。ここの住民たちはお互いに古い友人であるかのような振る舞いで、中にはそのキャンプ場に来る前から知り合いだったという人たちもいた。
Dujiangyanの街から来たルさんは、地震になにもかも破壊されて全てを失い、少なくとも40人ほどの彼女の隣人は命が助からなかった。その日、彼女は多くの生き残った隣人たちと同じ区画に住んでいた。
‘今の方が皆でいることが多い’と彼女は、10人以上集まってきた友人たちのなかで冗談まじりで言った。
近くで8歳のシンリュイちゃんが算数の問題を解いていた。これは休み中の宿題で、地震の結果、授業が中断してしまってからとても重要な宿題であった。Dujiangyanにあった彼女の家も、学校と同じく、地震で崩壊してしまった。たとえ私たちと話しているときでさえ、彼女はほとんど宿題から目を離そうとしなかった。
地元の女性組合と共に活動してきたマーシークロップスは、シンリュイちゃんのような子どもたちが地震のトラウマを乗り越え、この新しい状況を受け入れることができるように手助けをしている。子どもたちへの快適さ提供、前に進んでゆく力の後押しなど2つの若者に対するプログラムを供給して、ゲームなどよりも、地震での傷を癒す機会を与えることができるような活動を行っている。
ここQinjianrenjiaの子どもたちは私たちの周りに集まり、英語で挨拶しようと頑張っていた。8歳の男の子は、私たちにあめをくれたりもした。私たちが1粒取ろうとすると、何個か手のひらの中に飴を入れてくれた。彼の母親である33歳のデンチュアンさんは、四川の特別料理である豚肉料理の準備をし、‘この料理は皆を幸せにするのよ’と言った。おいしそうなにおいが近所の皆へと広がった。彼女は私たちを晩御飯に招待してくれたが、私たちは次の会議にいかなくてはならなかった。
このキャンプ場は必要性から離れて、この土地から始まった。しかし、それは、親切さ、気前の良さ、このキャンプ場をひとつのコミュニティーにした住民たちの共同制作である。