月別アーカイブ: 2005年1月

スマトラ島沖地震津波被害ニュース<第12報>

*複数のMLに発信していますので、重複はご容赦下さい。
現地報告その4をお届けします。なお、村井、斉藤は4日の晩コロンボに戻り、
昨日5日は日本人関係者と情報交換したということです。本日6日深夜コロンボ
を発ち、明日7日の晩日本に戻ってきます。

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スマトラ沖地震津波 国別被害状況(2005年1月4日現在)

 スマトラ沖地震から発生9日目の今日、被害者数は拡大し、各国の被災地で衛生環境の悪化が深刻化している。ロイター通信によると、スマトラ沖地震と津波による死者数は3日現在14万人に達し、国別・地域別の死者数は以下のとおりである。(数字は各国の政府と公衆衛生当局の報告に基づいている。)
バングラデシュ: 2人
アフリカ東部(ケニア・セーシェル・ソマリア・タンザニア): 137人
インド: 14,872人
インドネシア: 94,081人
マレーシア: 74人
モルディブ: 74人
ミャンマー: 59人
スリランカ: 29,744人
タイ: 5,046人
合計: 144,089人


スリランカ

被害者の3割以上が子ども

情報源: 毎日新聞 朝刊3面
日付: 2005年1月4日
 毎日新聞によると、スリランカ東部のバティカロア県をユニセフ・スリランカ支部の担当者が調査した結果、死者のほぼ7割が児童だったと述べた。このケースの主な理由としては、子どもの人口比率が高いことの他に、子どもは波や漂流物に抵抗する力が大人より弱いこと、津波の襲来が日曜の朝から日中にかけてで、多くの子どもが海岸に出かけている時間帯だったということが挙げられる。
インド
 南インドで最大の被害が出たタミルナド州の街ナガパティナムでも、4000~5000人の犠牲者の3分の1以上が子どもだったとみられる。地元住民によると、原因の一つは子どもが学校に行かない日曜の朝に津波が発生した点であると指摘した。津波発生時、住民は陸に向かって逃げようとしたが、抵抗力のない子どもたちまず津波にのまれ、その次ぎには女性が波に消えたと言う。
* 著作権は情報源に帰属します。
* この情報はCODE事務局スタッフによる仮の概要です。



マレーシア

マレーシアがインドネシアの緊急支援のために飛行場を提供


原文URL: http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/6686f45896f15dbc852567ae00530132/95d2800c8aecd6ef49256f7e0022cdab?OpenDocument
情報源: Agence France-Presse
日付: 2005年1月3日
クアラルンプール,1月3日(AFP)
 マレーシアはインドネシアの北端アチェでの緊急支援活動のためにアメリカと国連に2つの空港を提供した。
 マレーシアは日曜に2歳の少女と57歳の女性が病院で死亡したため、死亡者数が68人に増えた。いまだ8人のマレーシア人が行方不明である。
 マレーシアは他の国より、地震の震源には近かったが、インドネシアのスマトラ島が防波堤になり、津波の被害は少なかった。しかし、National Union of Tamil School Teachers、将来また起こりうる災害に備えるために、地震や津波のような災害の教訓を学校で教えるように主張した。
* 著作権は情報源に帰属します。
* この情報はCODE事務局スタッフによる仮の概要訳です。

スマトラ島沖地震津波被害ニュース<第10報>

*複数のMLに発信していますので、重複はご容赦下さい。
現地報告その2をお届けします。
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2005年1月1日
 朝YMCAへと行き、スタッフの方々にお会いする。今日は新年のためスタッフも
いつもよりは少なめということだった。最初に簡単な被害状況の説明を受けた。
被害は、昨日もシェルトンさんから聞いたように一部の北部を除いてはすべてが
被災地という状況。もっともひどい被害は南部と東部である。そして、今日はそ
の南部へと行くことになった。
しかし、道路がどこまで行けるかわからないが、行けるところまで行ってみよう
ということになり、車に乗り込む。そして1時間後被害が徐々に見えてくる。最初
の被災地マラトゥワに入る。そこからは被害の程度はあるもののすべてが流され
たというのはこういうことだったのかと理解できる。目の前が海のところで、片
づけをしている人々がいたので話しを聞いてみることにした。彼らは、突然波が
襲ってきた。それがなんだったのかも私たちはわからないし、後でそれが”ツナ
ミ”というものだったと知ったということだった。突然にすべてを失ったと話し
た。子どもを抱えた女性は私が一人で歩いているところに、この子の服を下さ
い。お金を下さいと言ってきた。彼女は被災者のすべてを代弁しているかのよう
に見えた。突然すべてのものを失った人々にとって、可能性のありえそうなこと
はすべて言ってみているという感じがした。私が「何ももっていないの。ごめん
なさい。」と言っても彼女にはわからない。本当に彼女たちを支援するというこ
とは何なのか、私たちに何ができるのかを考えさせられる。
ある地点では、多くの人が低地に水が貯まり池のようなものになっているところ
に集まっている。何かと聞くと「1回目の津波で、道路を走っていた観光バスが流
され、その上に2波が来て、バスの上に土が覆い被さる状態になり多くの方が亡く
なった。その遺体を今も探しているところだ」と言われた。車を降りて見に行こ
うとは思わなかったので、出てきたかはわからないが、見に行った人によればブ
ルドーザーで掘り返しているという状況で臭いがきついということだった。
最終的には4時間車で南部へ行き、アンバランゴダという地で折り返すことになっ
た。そこから先は道路が被害を受けているので、最南端に行くには違う道を使っ
て6時間走らなければいけないということだった。しかし、アンバランゴダまでも
私たちにとっては充分な衝撃で言葉を失う状況だったが、ここはまだ被害が少な
いところだという。
 コロンボへと戻り、夜にIMADR(イマダル)という反差別国際運動の理事をさ
れている女性にお会いし、情報交換をする。現在は緊急期のためとりあえず配れ
るものを配るという状況にある。しかし、今後中期的な復興に向けても考えてい
かねばならず、小さな漁村など壊滅的な被害を受けたところを支援したいという
話だった。
斉藤スリランカ日記~おしん親善大使~
 私たちの案内をしてくれた男性から「日本のテレビ番組を知ってるよ」と言わ
れ、なんていう番組かと聞くと「おしん」でした。イランでも「おしん」は本当
に有名でした。おしんというだけで、ひとつ会話が弾むと言ってもいいぐらいか
もしれません。しかし、私は「おしん」を実際に見たことはありません。有名な
おしん役の子どもが船に乗せられ、泉ピン子さんが泣き叫んでいるという場面ぐ
らいは知っていますが、後はまったくわかりません。しかし「おしん」のおかげ
で日本から来たというと「おしん」の世界の精神を持っている国だなと思われる
ようです。どのような精神だったんだろうと、海外に出る前には一度は「おし
ん」を見るべきだなと思いました。まさに「おしん」は親善大使と言ってもいい
でしょう。
スマトラ島沖地震津波救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「スマトラ沖地震津波支援」と明記してください。
募金全体の15%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
CODE海外災害援助市民センター
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通 2-1-10
tel +81(0)78-578-7744 fax +81(0)78-576-3693
e-mail:info@code-jp.org 
  URL http://www.code-jp.org/

スマトラ島沖地震津波被害ニュース<第9報>

 スリランカに入った第1次派遣隊より現地レポートが届きましたので、順次お届けします。なお、彼等は昨日(1/2)11時間かけてコロンボから東部のカルムナイに移動し、今日東部を視察する予定ですが、津波と一昨日起こった洪水のため道路が寸断されており、どこまで行けるかはわからないとのことでした。


12月31日
 12月26日、なんということか・・。去年のイラン南東部バム地震が起きたその1年後の同じ日にまた最悪な事態が起きてしまった。そして2年連続して、村井事務局長と被災地へ飛ぶこととなった。
 12月31日にスリランカ、コロンボに無事到着する。飛行機を降りると湿気の含んだ熱気が身体にまとわりつく。12月30日に日本を出発し、香港、シンガポールを経由するという長い道のりを経てついに到着。シンガポール発スリランカ行きは乗客よりも空席が多い。空港に到着すると、すぐに「外国からの救援団体はこちらへ」というプラカードを持った女性が立っていた。声をかけるとパスポートを集められどこかへ行ってしまった。私たちは空港の災害対策本部のようなところへ通され、団体名などを記入する。そして既にパスポートに入国印が押されたパスポートを持って女性が帰ってきて、どうぞと渡された。すばらしい対応で驚いた。空港を出てみると、思った以上に静かだった。インドの街を想像していただけに、空港も町中も人で溢れているのかと思っていたが、どちらかといえば閑散とした様子だった。援助団体も既にピークは終えているのか、私たちの他に一人の女性だけだった。空港には今回お世話になるYMCAのボランティアさんと運転手さんが迎えにきてくれた。車の中で津波被害について彼が行ってきた場所に基づいて話を聞く。被災地への道が被害を受けているので、相当移動に時間がかかりそうだということがわかった。明日には恐らく南部のほうには行けるだろう。
 車の中で彼がひどい被害はこの辺りと言って地図を指したのが一部の地域を除いたすべての海岸沿いだった。そして「”ツナミ”という言葉を私たちは知りもしらなかった。何が起こったのかと言われても、目の前にあるものを見て判断してくれとしかいいようがなかった。歴史の中には2000年ほど前に大きな波が襲ってきたと見たことはあるような気はするがそんなことは歴史の中のことだった。スリランカには地震や洪水などという自然災害は本当になかったんだ。これが初めて目にする自然災害だ。」と話された。彼は普段は銀行に勤めているが、今は緊急事態なのでYMCAボランティアとして手伝っている。2人の息子さんも被災地に行かれているということだった。
 スリランカのキリスト教信者は全体の約7%と言われている。空港からコロンボの街に入るまでにキリスト教に関連した像がたくさん道路沿いにあったので不思議に思い聞いてみるとそこの地域にキリスト教信者が固まって居住しているということだった。シェルトンさんは今は別の地域に住んでいるが生まれはそこの地域だった。
 そして、今日は宿泊所へと連れて行ってもらい明日YMCAで総主事の方々にお会いする予定となった。
斉藤スリランカ日記 ~スリランカと日本の歴史~
 私たち日本人にとって、スリランカと言えば”セイロンティー”として名高い紅茶でしょうか?そのほかは?日本がスリランカを第2次世界大戦の時に爆撃したことがあると知っている人はどれくらいいるでしょうか?と書いている私も全く知らなかったのですが、知ったのでここで紹介したいと思います。
 1951年9月に行われたサンフランシスコ対日講話会議にセイロン代表として出席したのがジャヤワルダナ大蔵大臣(当時)。ソ連が提案した日本への制限案に反対し、「軍隊の駐留による被害や我が国の重要な生産品である生ゴムの大量採取による損害は当然賠償されるべきである。しかし、その権利を行使するつもりはない。なぜなら、仏陀の”憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止むとの言葉を信じるからである。ソ連の修正条項に我々が同意できない理由は、制約をつければ日本が宗主権と平等と威厳を取り戻ることが不可能となるからである。」(「地球の歩き方」より一部抜粋)と演説し参加国に寛容の精神を求めたと言われています。スリランカ人の中ではとても有名な演説であるにも関わらず、助けてもらった日本人の私が知らないというのは、なんと恩知らずなことかと恥ずかしくなりました。
スマトラ島沖地震津波救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
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スマトラ島沖地震津波被害ニュース<第8報>

◆CODE第1次派遣隊スリランカ到着
12月30日に日本を出発した第1次派遣隊(村井・斉藤)は31日晩コロンボに到着しました。スリランカYMCA同盟の方にお世話になりながら、1月1日は南部の視察、1月2~4日は東部の視察に出かけます。
YMCAが予定している被災者支援プロジェクトは、地域コミュニティの中での被災者の自立支援(セメント作り、ミシンを提供しての縫製作業、、貧しい漁民のための網作り、家のコンクリートブロック作りの機材を地域に導入など)だそうです。トラウマケアについては日本の経験を伝えて欲しいと求められました。
また、IMADR(反差別国際運動)理事長のニマルカ・フェルナンドさん(在コロンボ)にもお会いして、いくつかのコミュニティを紹介していただいたので東部ではそこも訪問する予定です。(IMADRのアピールについてはHPを参照してください。http://www.imadr.org/japan/emergency_aid/index.html)
◆SEEDSよりインドでの支援活動の報告
スマトラ沖地震の震源地に近いアンダマン・ニコバル諸島(インド領)で支援活動に取り組むSEEDSの活動報告をCODEのHPのスマトラ沖地震津波の「国別被害状況」にアップしました。このコーナーは報じられることの少ない地域を中心に随時更新していきます。
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