(上)幼稚園にもまけないぞう (中)クマーラさんもお手伝い (下)真っ先にロッシャンへ |
「TSUNAMI教育プログラム」4
この物語の最後に、「ぞう」にちなんで、「まけないぞう」の説明がされた。「KOBE」「MAKENAIZOO」とシンハラ語に書かれた「まけないぞう」の写真を見せながら、チャトランギーが、「このぞうさんは今年で12歳になります。KOBEというクキの生まれ故郷で誕生しました。このぞうさんも皆と同じ、痛みと哀しみを知っています。なぜなら、12年前に、KOBEで地面が大きく揺れ、多くの方が亡くなったのです。そんな中で生まれたぞうさんだからです。ぞうさんは皆に、災害にも負けない心と幸せを運びたいと思い、KOBEからタララへやってきました。皆でかわいがってあげて下さいね。」と言いながら、KOBEから持参した「まけないぞう」を広げて見せた。「見せて!見せて!」と、あちらこちらから園児らの手がのびた時、「まけないぞう」が「パオ~♪」って喜びの声を上げたように聞こえた。その後、先生が「まけないぞう」をツリーに飾った時も、「まけないぞう」が、「KOBEからのメッセージはしっかり伝わったよ、そして伝え続けるよ」って言ってくれているような気がした。一枚のタオルから、一頭のぞうが生まれ、そこからKIZUNAが広がり続ける。タララ村から世界へ広がることを真に願う。
本日最後のプログラムとして、お絵描きの時間となった。「稲村の火の物語」、「TSUNAMI物語」を聞いて、好きな絵を描くというものだ。園児らにとって、「ぞうさん」の方が描きやすかったのか、親しみがあるのか、殆どの子どもたちが「ぞうさん」の絵を描いていた。この時間になって、TUKTUKドライバーのクマーラさんが幼稚園に顔をだした。「ちょっと見に来たんだ」と一言いうなり、ある園児のお絵描きを手伝いだした。勿論、私は何も言っていない。スリランカに来てよく思うことであるが、日本では、何かお手伝いなどする場合、「手伝いましょうか?」とか聞くのを耳にするが、スリランカでは、手伝うという行為そのものは、例えば、火が近づいた時に手を反射的に離すような感じで、困っている人がいると、手を差し出すというのが反射行動の一つとなっているのではないのかと感じる。なぜなら余りにも自然で日常の生活の一部のように、「手伝う」という行為がなされるからである。
それぞれが想い、想いの絵を描き終わると、例の泣いていた園児がキョロキョロと誰かを探していた。誰を探しているのかと思っていたら、ロッシャンを見つけしだい、すぐに彼の側に駆け寄った。(写真)そして、「見て、この絵、僕が描いたんだ。お家へ持って帰っていい?」と聞いた。「ラッサナイ(綺麗)!もちろんお家に持って帰っていいよ!」って答えていたロッシャン。そして、その光景を見ていた私の方を振り返り、大きな、大きな笑みと目を輝かせながら、その絵を見せた。この笑みが、この目の輝きが私達の活動を支えてくれている。毎回、プログラムが終わる度にそう思う。ふと、TUKTUKドライバーのクマーラさんに目をやると、彼は園児に靴を履かせていた。彼の背中に手を回してしがみついている園児の姿とクマーラさんの優しさが朝の光が刺し込む幼稚園を更に輝かせていた。