【中国四川省地震救援ニュース】No.134 第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.5

【異文化理解と国際協力 神戸大学3年 福田諒】

 9月1日0時25分に中国四川省の成都空港に到着した中国国際航空機からタラップに降りると、少し湿っぽく生暖かい風を感じた。成都の気温は25℃近く。中国南部の盆地に位置するが、標高が600メートルと高いため思ったほどは暑くない。空港に迎えに来てくださったCODE代表の吉椿さんと合流し、タクシーをつかまえて一路成都市内のゲストハウスに向かった。

 翌朝からゲストハウスを拠点として、2008年に起きた四川地震の被災地を中心に、精力的にフィールドワークを行った。倒壊した中学校をそのまま保存した映秀鎮やチャン族の歴史的な石積の村である桃坪、CODEが被災直後から支援に入っていた北川県の光明村、震災後にチャン族の観光地として新たに建設された吉娜など。現地ではCODEがこれまで築きあげてきたネットワークを通じて、たくさんの方にお会いしお話しを伺った。

 数あるエピソードの中で、私が最も印象に残っているものを紹介したい。私が現地の人々と本当の意味での文化交流の機会を逃してしまった話である。
私たちは研修の一環として、成都市内に本社を置く、NGO壁虎漫歩の方々にお会いした。NGO壁虎漫歩は、四川地震後に設立された、生命安全教育を推進する中国での災害NGOのパイオニアである。防災教育に関する意見交換の後、彼らは長く付き合いのある吉椿さんを始めとする旧友をもてなすために、成都で最もおいしいという火鍋の店に招待してくださった。後日談であるが、NGO壁虎漫歩の代表の張さんは、私たちをもてなすために北京での出張をわざわざ予定より切り上げて戻ってきていた。
夕食会が始まり、ビールや白酒といったお酒がふるまわれた。私は今年22歳で日本ではよく飲み会をするが、今回は単に気分が乗らなかったため固辞してしまった。そして、そのために張さんらと仲良くなる機会、深く交流する機会を逃してしまった。中国の人はお酒をガンガンに飲んで、腹を割って話し、相手との距離をぐっと縮める。日本でも飲み会を通して仲良くなることがあるが、中国ではその傾向がさらに強い。

 吉椿さんはじめ日本側の参加者でお酒を飲む人たちは、張さんたちと次々と杯を重ねて、ヒートアップ。話題が次々と展開し、盛んにコミュニケーションをとっているのに、飲まなかった私は、黙々と食事を続け、結局最後までお酒で盛り上がる輪に入ることができなかった。NGO壁虎漫歩の方々との交流は、その後も研修中に二度あったが、お酒を飲んだメンバーと飲まなかったメンバーとの親密度の差は明らかだった。

 今回私はお酒を飲まなかったために失敗してしまったが、逆に言えば、中国ではお酒を飲んでいれば、相手を仲間として受け入れてくれる。言葉が通じなくとも、自分が専門的な知識を持ち合わせていなくとも、共に飲むことで仲間意識が生まれ、さらに深く関わっていこうとなる。現地の人々の中に入っていく、つまり相手の文化、慣習にあわせてコミュニケーションを取ることで初めて、本当の意味での文化交流がなされるのではないかと思う。そして国際協力とはこうした文化交流を土台にして初めて成り立つことなのだとも思う。(CODEの活動は海外援助とも呼べるかもしれないが、現地で見たやり取りは、援助の言葉から連想する一方的なものではなく、お互いが学び合う、双方的なものであると感じたので、あえて国際協力という表現を用いた)

 後日、北川県の光明村を訪れた際、その考え方を再認識させられた。震災時にレンガ造りの家々が倒壊する中で、伝統的な工法で建造された木組みの住宅は倒壊しなかった。吉椿さんは現地の人との付き合いからそのことを知り、外部から新しい方法を持ち込むのではなく、耐震性が証明された現地の伝統的な工法での住宅再建を推薦、実際に何軒もの木造の住宅が建設された。震災直後の復旧期にも、人海戦術をとる人民解放軍ではなく、吉椿さんをはじめとするCODEの人たちの支援を村が重視したのも、交流を通じて村民のニーズを的確に把握していたからであった。
異文化理解と国際協力という、一見何の関係もない言葉が、実は深く結びついていたこと。そして、異文化理解なくして国際協力はありえないということ。この事実を知ったからには、次回交流する際には、現地の人とどうすれば仲良くなれるかを考えなければならないし、これから更に中国語を学び、中国という国や関わる地方のことについて、もっと知らなければと感じた。

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四川のNGOと                  倒壊した中学校(映秀)

【中国四川省地震救援ニュース】No.133 第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.4

【CODE四川スタディーツアー2016年 感想 米川安寿】

今回のスタディーツアーに、私は人と防災未来センター(21世紀研究機構)の研究員として最年長で参加しました。普段は京都に暮らしていますが、偶然の縁に導かれ、2015年4月から21世紀機構で働くことになり、4月1日から神戸で週2回、勤務しています。ところが直後の4月25日、ネパール地震が発生しました。ネパール生まれだった私にとって、このタイミングで防災の研究所で働くことになったことは偶然とは思えず、「いったい何の関係で防災の研究所で働くことになったのだろうか」と悩み続けることになりました。というのも、私が担当したのは「少子高齢化対策」の研究であり、周囲にいる防災の専門家たちがネパール地震で慌ただしく動く中、私の担当研究は地震や防災に関与することが出来ず、自分の故郷で起こった地震に対応して、専門家たちを眺めるばかりだったのです。
そんな私自身は、神戸で働く以外の日々は、海外の養蜂家とともに、豊かな森の植生の保全活動を行う蜂蜜専門店ハニールネッサンスを運営しています。地震後は、自らの事業活動内で被災地の森の先住民の支援を行っていました。それまで防災は必ずしも意識している分野ではありませんでしたが、これをきっかけに「森の保全は防災ともいえるのでは?」という思いも沸き起こるようになりました。そして今回、不確かだった自分と防災との繋がりを発見したいと考えスタディーツアーに参加することとなりました。

元々防災に対する活動経験や専門知識はなかったのですが、スタディーツアーに参加した結果、大変大きな収穫がありました。それは、「一週間、防災分野の研修にどっぷり浸かる」ことによって、自分自身の中に「防災分野と関わっている感覚」が生まれていたことでした。ネパール地震発生直後から、防災の専門家たちがバタつくのを眺めていたときは、むしろ自分と防災は関係がないという一種の虚しさに耐えるばかりで、心に溝が出来ていました。しかし一週間、参加者メンバーとともに被災地を巡り、四川の人々に出会い、話を聞く中で、気が付かぬうちに、自分自身の世界観の中に、大きく防災という文字が生まれていました。吉椿事務局長は「防災という言葉に拘らなくても、日々の出会いと生活を大切にするということ自体が大きな意味をもつ」とおっしゃっていましたが、人と防災未来センターという場で防災の専門的研究活動を目撃し続けてきた関係からも「防災」と自分自身との関係は発見したい事でもあり、テーマとしてこだわっていた点でもありました。今回のスタディーツアーでは、何も知らなくても一週間じっくりとその世界に浸ることにより、新しい世界感が身近になっていくことを知りました。今後も、こうして何も知らなくてもツアーやCODEの活動に参加する人が増えればいいなと思います。私は、帰国してすぐに、人と防災未来センターへ行き、以前とは違う、理解を伴った親しみをもって研究スタッフの人々と新たな交流を始めています。ありがとうございました。

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光明村で被災当時の話を聴く            光明村村民と交流

【中国四川省地震救援ニュース】No.132 第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.3

【自分と向き合う 神戸学院大学4回生 今中 麻里愛】

 私がこの研修で目標としてきたことは2つあります。
 1つ目は「自分と向き合う  こと」です。私は阪神・淡路大震災の日に生まれたので、たくさんの方に助けていただきました。なので“今度は私が助ける番だ”という想いを持っていたのですが、被災現場を目にすることが怖く、いつも被災地へ行くことから逃げていました。今回、四川研修のお話を頂いた時も気持ちでは「行きたいです」と言ったものの、頭で考えるとだんだんと怖くなり、パスポートを取る直前まで悩んでいました。このように被災地と向き合う勇気がなく、いつも引いてしまう自分と向き合い、変えていきたいと思いこの研修に参加しました。研修を終えて一番感じていることは、現場に行くことの大切さです。「私なんかに何もできない」などと考える前に、現場に行って被災した方と直接話をすること、被災地を直接見るということに意味があると感じました。被災地へ行くとこから逃げていた私は、被災地を写真でしか知りませんでした。実際に北川県城や学校の地震遺跡を目にしたときはやはり恐怖を感じましたが、同時に違和感がありました。自分が歩いている道は新たに舗装され妙に整っており、建物の周りには地震なんてなかったかのように草木が生えており、8年という時間の流れを感じました。それに対し学校や建物は8年前の地震が起こったその瞬間から時が止まっており、この違和感が恐怖に変わりました。遺跡として残すために今にも崩れそうな建物に新たに外側から柱を加え補強されている光景が信じられず、補強してまでこの建物を残す意味や、この遺跡は何を伝えようとしているのかが分かりませんでした。レポートを書いている今でも自分なりの答えは見つけられていません。しかしこの辛さは、被災地から逃げていた自分と向き合い被災地を目にしたからこそ感じることができたと思うので、最後まで向き合い必ず答えを見つけ出します。

 2つ目は「自分勝手に抱いている偏見や誤解をなくすこと」です。私は海外へ行ったことがなかったので海外へ対するイメージはテレビや新聞などメディアの情報のみでした。しかしCODEの食と国際協力に何度か参加しているうちに、意識はしていなくても自分勝手にこの国はこうだと頭の中で決め付けていることに気が付きました。中国も反日のイメージや日中関係の問題などからあまり良い印象を持っていませんでしたが、実際に中国へ行って現地の人と交流したことで自分は間違っていたのだと気付き情けなくなりました。一番印象に残っているのはチャン族の村でちょう楼を案内して下さったお父さんが言った「日本人は家族だよ」という言葉です。突然訪れた私たちを暖かく迎え入れ、ちょう楼の仕組みや歴史、建築の仕方などをとても嬉しそうに話してくれました。恐らく今までちょう楼について何度も何度も同じ説明をしているはずですが、説明している姿はどこか誇らしげで自分たちの歴史や技術を見て欲しいとさえ感じました。その他にも私たちのために予定を変更してまで来てくださった方や光明村での交流会で人の暖かさを強く感じました。この暖かさや信頼関係は地震直後からずっと被災者に寄り添っている吉椿さんや昨年訪れた先輩たちによって積み重なり、築かれたもので、今回私たちが交流したことによって、また積み重なり次に繋がっていくのかと思うと、この輪の一部になれたことがとても誇らしいです。
また現地の社会企業「壁虎漫歩」の取り組みは画期的で気付かされることが多かったです。教材を提供するのではなく自分たちが学校へ行って教えるという仕組みで、教えている人たちも20代の若い方が多く、防災意識の高さを感じました。若いスタッフは皆、仕事に“達成感”があると語っており、同じ年代の方々が活躍している姿に刺激を受けました。

最後に、今回の研修を受けていなければずっと自分と向き合うことから逃げていたと思います。今考えると、被災地を見ることが怖いから行けないというより、被災地を見た自分と向き合い乗り越えることに恐れていました。恐れて行かなければ、怖い思いはしなくて良いかもしれませんが、何も学ぶことはできないし成長もできません。研修中に辛い思いも怖い思いもありましたが、それ以上に得たことの方が多く、行けたことが自信に繋がり次へのステップとなりました。未来基金に協力をしてくださった方々、自分と向き合うきっかけを作って下さったCODEの方々、私たちを迎え入れて下さった現地の方々などたくさんの方の支えがあり研修に参加することができました。本当にありがとうございました。この研修で終わるのではなく、研修によって得たこと、感じたことを伝えていき次の輪へと繋げていきたいです。

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 帰国して昨年のインターンシップの期間のノートを見ました。一番大きく書いてあったのは吉椿さんが言った「人間はすぐ隣の人は気になるけど遠い人は気にならない。その輪が広がるともっと良い国になる」という言葉でした。当時とても共感し強調してノートに書いていたのですが、今回の研修でこの言葉が腑に落ちました。最初の研修で言っていたように日本の地震に全く興味のなかった村の人たちが四川地震を経験したことによって東北の支援をしてくれたという支え合いの連鎖が目に見えてわかりました。今日、吉椿さんのお話を聞いて、行動一つやちょっとした心遣いが積み重なり良い関係を築いていくということを学び、研修期間の吉椿さんの行動を改めて考えました。光明村に行った時の出会う人出会う人の名前を自分から積極的に呼び交流している姿がとても印象的でした。光明村の人々もとても嬉しそうで、この小さな積み重ねが、また次に来た時に繋がっていくのだと感じました。これからもたくさんのことを吉椿さんの背中から学んでいこうと思っています。
あと、上海のミーティングで泣いてしまったのは、思っていたことや溜めていた感情を吐き出せたというのもあったのですが、振り返っているうちに自分と向き合うことはできたが、引いてしまう自分を変えられなかった、被災地と向き合った結果、自分が感じた違和感の答えを見つけることができなかったということに気付き悔しくなりました。

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チャン族の村(1300年)を訪問                                         チャン族のちょう楼で

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地震遺跡で黙祷

【中国四川省地震救援ニュース】No.131 第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.2

【四川研修の感想 上野智彦】

 四川には昨年の第1回日中NGOボランティア研修交流以来約1年半ぶりに訪れる事となりました。今回の研修では多くの人に再会もしました。光明村のみなさん、通訳のSさん、NGO備災センターのTさん、成都在住日本人のIさんなど久々の再会であっても私のことを覚えてくれている、今まで関係を積み重ねていくことができているということに大きな感動を覚えました。それまで日本に関わりのなかった光明村の方々が東日本大震災の際に日本を支援してくれたように、中国のみなさんとの関わりを深くしていく中で自分のこととして捉える気持ちがどんどん大きくなっています。現地との関係づくりを再認識する機会となりました。

今回、四川のフィールドを廻る中で前回とは違う視点から被災地を見ていこうと決めていました。前回、四川を訪れた際には中国の復興の課題をメインに視察をしていました。多くの課題を見て日本に戻ったとき、中国の復興から学ぶべき部分とは何だろうということを思いました。そこで今回の研修では中国の復興のいいところを探していました。一つはスピード。中国では発災から1カ月も経過していない08年6月には対口支援による復旧・復興事業が始まりました。復興宣言まで2年という短さは政府の号令から一気に進めることができる中国ならではです。当然、それによって大きな課題もあり、住民の意思の尊重や現地の都合お考えない支援も起こっています。しかし、いざという時にリーダーシップを取り復興を進めていく舵を取ることができるという強みも感じました。
またチャン族の観光復興村を訪れた際、前回感じた被災者自身が置いて行かれた復興という面がある一方、まだまだ改良の余地が多くあるということを感じました。チャン族の暮らしをよく知らない観光客からすれば、気軽に少数民族の文化に触れることができる観光村は例え本物の建築様式ではなかったとしても魅力的に映ります。これまで自身がチャン族であることをあまり意識したことがないという住民ですが、自分のルーツを辿り、それを故郷の発展につなげていくチャンスとなります。政府の支援による観光地化はきっかけに過ぎず、住民自らが村を良くしていくという意識があればこれから観光地として成功する可能性も十分にあるということも感じました。

今回、この第3回日中NGOボランティア研修交流では多くの方がサポートをしてくれました。現地の住民の方は私たちが訪れる少しの時間のために出稼ぎ先から戻ってきてくれていたり政府と調整をしてくれていたりと多くの時間を割いてくれていました。現地NGOのスタッフも仕事の手を休め私たちに講義をしていただき、また日本から来た私たちのために火鍋でもてなしてくれました。救援活動においても現地の方のサポートが無くては支援を考えることも被災地を調査することもできません。「私たちの活動は多くの現地の方々の支えによって成り立っている」という基本を改めて考えさせられたフィールドワークでもありました。

これからNGOに関わる若者が参加するべきなのでは?と参加することを迷った研修でしたが、現地の人々、参加したメンバーからもこれからもNGOスタッフとして働くための大きな刺激を受けました。今回の研修で見てきたNGOの仕事や役割、現地の人々との関係、参加した若者の成長など、まだ現地へ行ったことのない若者、次世代の若者を支えていく人たちに未来基金での活動を通じて伝えていきます。

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チャン族の石積みの知恵を聴く

【中国四川省地震救援ニュース】No.130 第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.1

NGOや災害ボランティアにかかわる6名の若者と四川大地震(2008)の被災地を訪問し、被災地の視察や被災者との交流、現地NGOとの学び合いを行いました。日本同様に災害大国である中国。CODEは、国を越えて災害時に市民レベルで支え合う関係を作っていくと同時に、将来のNGOを担う若者を応援しています。この事業に参加した若者の感想文をお届けします。(吉椿雅道)

【研修に参加して 岸本くるみ】

 今回ご縁あって研修に参加させていただき、ボランティアスタッフとしてお邪魔していた頃から事務所やニュースレターで何度も聞いてきた「四川」を訪れることができました。当然ながら、プロジェクトの報告で語られていた通りの世界が、そこにありました。それを見られただけでも、十分に感動的でした。支援先の光明村では、スタッフの方々が久しぶりに会う親戚のように迎えられていました。しかしすぐに仲良くなったわけではなく、震災後たくさんの日本人ボランティアが訪れ、倒壊した建物から瓦礫を運び、レンガを丁寧に取り出す作業を続け、少しずつ信頼を得ていったと聞き、驚きました。村の方々の関係性も、瓦礫を片づける作業も、自然とそこにある/あったと笑顔で語られるのは、お互いを思いやりながら積み上げた証に見えます。村の方から「朝起きて瓦礫を見るたび、生きる気力がなくなる。けれどボランティアが来て作業をしてくれて、元気がでた」というお話を聞いたとき、単に作業を引き受けるのではなく、一緒にやろうとそばに立つことが力になるんだと知りました。自分の未来を自分より信じてくれる存在がいれば、自分もやらないといけなくなります。

研修において自分のテーマは、四川の大地震が現地の人たちにとって、どんなものかを知ることでした。倒壊した中学校を地震遺跡として残している場所では、衣装を着たガイドさんがお客を案内し、観光客が写真を撮り、周辺ではお土産が売られていました。早くから商売するための屋台が集まってきたという話を聞き、頭に浮かんだのは、戦争中でも市は立つという言葉でした。自然災害でなくとも、辛いことや衝撃的なことは起こります。それでも各自の人生は変化しながら続いていきます。尋ねるまでもなく、大地震はまちと人の経験のひとつとして、今の様子をつくっていました。自分にとっての阪神・淡路大震災の体験も、人生の体験のひとつだと思っているのと同じでした。大きなこともちいさなことも、意識なく積み重なって常に変化する今の自分があります。光明村の状況も変化し、CODEの支援で建てられた老年活動センターも新たな活用を考える時期になっていました。課題も出ていましたが、変化も一緒に見つめられています。それはまた、新しい希望や面白みになるように思いました。

安全教育のシステムを作っているNGOとの交流では若いスタッフさんたちに日本の防災教育の教材を紹介しましたが、準備の段階で学生時代から触れてきた防災ってなんだろうと考えはじめていました。チャン族の伝統集落を見学したときも同様ですが、出逢った皆さんは自分たちのことを誇らしく語り、いのち、アイディア、土地、伝統、文化、たくさんの人がそれぞれ何かをまもりながら暮らしています。みんながそっと自分のまもりたいものをまもれていること、その安心への動きを私は何でも「防災」と感じていることに気づきました。当たり前のように、たくさんの人が暮らしていることに勇気をもらって、未来にも人にも前向きな興味を寄せています。貴重な機会をありがとうございました。

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四川のNGOと防災教育交流                                                      地震遺跡で追悼

【中国四川省地震救援ニュース】No.129 第2回日中ボランティア研修交流の感想を​お送りします その2

「研修感想」 神戸大学アイセック 宮津隆太

 私は、NGOやボランティアが被災地のためにどんなことができるのか、どれほどのことができるのか、ということが知りたくて今回の研修に参加しました。私は今まで被災地に実際に赴いてボランティア活動をおこなったような経験がなく、そのような活動の具体的なイメージがいまひとつ掴めていなかったので、それを知れればいいなと思っていました。
 今回の研修では様々な刺激を受け、考えることも多かったですが、そのなかでも特に3つのことが印象的でした。
 まず1つ目が、ボランティアというものは「やってあげる」ものではない、ということでした。私のもっているボランティアのイメージは、倒壊した家屋の瓦礫運びや土砂の片づけなど、「やってあげる」ものであるイメージが強かったのですが、宮本さんの大学時代の木沢でのボランティアの話や、北陸学院大学の学生さんの話を聞くで、現地の人の輪に入って行って共に進んでいくものであるのだと感じるようになりました。
 2つ目に、復興においての尺度が人口や経済ではなくなってきていて、身近なところに話をしたり、相談に乗ってくれる人がいるかどうかというパーソナルネットワークが大きなカギになっている、ということです。家が半壊しているにもかかわらず、話をしてくれる人たちがいるために、復興したと感じている人がいるという話を聞いて、被災をして絶望的な状況にあるで支えとなるのは人との繋がりなのだと感じました。
 3つ目は、本やインターネットを通して被災地の情報はいくらでも手に入るけれども、実際に現地に行ってみて、そこに住む人と話してみないとわからないようなことも確実にある、ということでした。目の木沢の人との交流会やフィールドワークのときに、地震が発生した当時、ただ救助がくるのを待つのではなく自分たちで道路を直したり、瓦礫や家屋の廃材を集めて寒さをしのぐテントを作ったりしたという話を聞いて、木沢の人々の力強さやたくましさを感じました。
 現地に赴き、そこにいる人々と交流し、絆を生み出し、ボランティアする側とされる側の関係ではなく、復興に向けて共に進んでいくのがボランティア活動なのだと感じました。
 今後、アイセックの海外インターンシップを運営していく上で、インターン先の人々と強い絆を感じられるようなインターンシップを作れるように、今回の研修で学んだものを活かしていきたいと思います。

【中国四川省地震救援ニュース】No.128 第2回日中ボランティア研修交流の感想を​お送りします

CODEは四川大地震救援プロジェクトの一環として「NGOボランティア研修交流事業」を実施しました。6名の学生が四川大地震(2008)の被災地を訪れた第1回に続き、6月1221程で国四川省からNGOスタッフ3名を本にお招きし、第2回を行いました。
 神戸、新潟、金沢を訪れたゲスト3名はNGOや復興、災害、ボランティアの専門家、間支援組織の方による講義や新潟越地震の被災地である川口町木沢、山古志村の視察を行いました。今回、国から来た3名のゲストは住民が主体となる人を心にした本の復興や国のNGOと比較して分野を超えたNGOどうしのつながりが弱いという本のNGOの課題、社会を変えるという気概が強い国のNGOの特徴を学びました。また、研修に参加した学生は、の支援のあり方や災害ボランティアについて学び、所属する学生団体やCODEでボランティアを行うで、研修で得た学びを活かそうとしています。
 今回CODE未来基金のサポート研修に参加した若者はそれぞれの国の文化や災害について学んだことで、で互いに支えあう関係を築いていく第一歩となりました。
 第2回研修に参加した学生の感想をご紹介します。

「CODE研修感想文」 神戸大学アイセック  吉崎唯

 今回、1週間CODEさんの研修に参加させていただきました。地元の宮崎県に東本大震災以降震災をきっかけに移住されたかたが数多くいて、震災を経験した友人ができたことから、震災復興に関心をもつようになりました。今回研修に参加した理由としては、新潟や石川の被災地の今の状況や復興に向けてのあゆみを知りたい、そしてそこから自分自身の活動に活かせるヒントを得たいという気持ちで参加しました。

研修に参加させていただいて、地震による直接的な被害だけではなく、その土地がもともと抱えていた問題が加速化され、深刻な状態になっていくことも引き起こされているのだと感じました。その現状にも関わらず、今回訪れた新潟越地震の被災地である木沢集落では、震災を過疎高齢化への改善に取り組むきっかけとして、地元住民の方々がとらえていたことに驚きました。震災ボランティアに関わっているで、今まで震災に対してポジティブな見方はしたことはありませんでした。震災をチャンスととらえて、地元を盛り上げようという考え方は印象的でした。また、越地震被災後、ボランティアの存在で、自分の土地に対してネガティブな見方をしていた地元の住民の人たちが自分たちの土地の良さに気づき、自分たちから活動を起こすようになったという実例のお話も伺い、直接被災していないボランティアにでも貢献できるということを感じました。

これからは、今回の研修で得た経験を活かして、活動を継続していくとともに、出会った人との縁を大切に再会したいなと思います。今回このような研修に参加させていただいたことに本当に感謝しています。

【中国四川省地震救援ニュース】No.127 第1回日中NGO・ボランティア研修交流​の感想 その6


「四川に思いを寄せて。」 佛教大学教育学部通信教育課程4回生 山 迅一

 今回の四川研修の感想を述べさせていただくにあたり、まず始めに今回1週間という長い期間、私たち研修参加者の安全と、より深い学びのために尽力してくださったCODE事務局長の吉椿さん、2008年の四川地震以降、様々な形でご支援いただいた支援者の皆様、CODE未来基金を通じて、まだまだ学ぶべきことの多い私たちに今回貴重な学びの機会を与えてくださった皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
 四川へのお誘いを受けた時は、初めて国に行ける、被災地を訪れることができる、そして小さな農村に入り現地の方と出会うことのできる、吉椿さんをはじめNGOで活動されている方、ボランティアで被災地と関わっている方と行動を共にできる、と兎に角自分自身が求めていた機会に一度に出会えた喜びで一杯でした。

吉椿さんから1月末にお誘いいただいた後で、個人的に2月上旬に初のトルコ、初のタンザニアでの現地滞在を経験し、本から見る諸外国のイメージと現地の雰囲気との差を肌で感じたこともあって、ちょっとやそっとのことでは心が動くことはない、言ってもすぐ隣の国、本で一番会える外国人の出身国…と思っていたのですが、結局7間で1たりとも驚かないは無かったです。それだけ沢山の気づき、学び、出会いに溢れた々でした。ここではそのうちのほんの少し、今お伝えしたいことを3つ書きます。

一つ目の驚きは、国はとにかく広いということ。そして多様だということ。まず上海で国に入国するまでよりも、上海から四川までのフライトの方が長かったことから始まり、自分ので「国」という単一の小さなイメージしかなかった国が膨張し、躍動する感覚は、今まで行ったことのある国では味わったことのないものでした。料理の種類やルーツ、都市部と農村の暮らしの違い、話の端々に出てくる「多民族」というキーワード、そういったものにとにかく自分ののイメージを壊され続けました。

二つ目の驚きは、国人の「自力更生」の力。震災から復興するにあたって掲げられたスローガンのの言葉として出会ったのですが、まずは自分で立ち上がる、という精神が決して言葉だけが一人歩きしているのではなく、四川、特に震災によって大きなダメージを受けた地域の方ほど、震災以前とは違う暮らしをせざるを得ない状況ので、それでも逞しく生きてらっしゃる様子には、自分自身を顧みた時にまだまだ生きることに対して甘いと痛感させられました。

三つめの驚きは、「支え合いの連鎖」でした。それが、この旅で経験したもっとも大きな驚きです。私自身、これまでの短い人生ので一度だけ、本当に行き詰ってどうしようもなくなったことがありました。今はその行き詰りから抜け出して幸せに過ごせているのですから、そんなに大したことはなかったのかも知れませんが、その時はただただ苦しかったことだけは今でも思い出されます。そんな時に、一人の女の子と出会いました。彼女は阪神淡路大震災の記憶はほとんど無いのですが、自分なりの課題意識をもって東北支援と関わっていました。私は彼女の話を聞いて、自分を見つめなおした時に、阪神淡路大震災の一番大変だった時に神戸に育ててもらった自分が、自分のことだけを考えて小さなことで落ち込んで誰の役にも立てていないことが悔しいと思うようになりました。そして、自分がしっかり前を向いて生きることに意味があるのだと少しずつ信じられるようになってきました。そんな変化を自分にもたらしてくれた彼女が帰りたいと言っていた場所、会いたいと言っていた人々が、光明村であり、そこで住む人々でした。彼女にとって光明村を訪れたこと、そこの人々と関われたことは彼女自身という人間に本当に大きな影響を与えていたように思います。
今回の研修で色んな方のお話を聞くで、実はその光明村とのかかわりというのは震災直後から吉椿さんを始めとしたボランティアの方がガレキの撤去を手伝ったことが今につながっていることを知りました。そして、ある本人のボランティアの方がご自身も辛い経験を四川大地震のでされているで、誰かのためにというより何かを掴もうとされて必死に光明村の方と関わったことが、光明村の人の心を動かしたのだということを聞かされた時に、私自身はその本人のボランティアの方にただただ感謝するしかなくて涙が溢れました。誰かのことを支えるだけじゃなくて、辛い人でも誰かのことを支えようとすることが本人を支えることにつながる、という「支え合いの連鎖」ので、ついさっきまで全然知らなかった人なのに、回りまわって、実は知らず知らずの内に自分の人生を支えてくださっていたということを実感できたこの経験は自分にとって本当にかけがえのない宝物になったと思っています。

今後は自分のしたことがどこかで誰かの支えになれることを願って、もっともっと自分自身がよりよい社会のためのよりよい一員になっていきたいと考えています。

【中国四川省地震救援ニュース】No.126 第1回日中NGO・ボランティア研修交流​の感想 その5

国四川研修 感想」 CODEスタッフ 上野智彦

 3月24から30までの1週間という程ので本当に多くのことを学び、感じさせていただきました。光明村に住むお医者さんとは2度本で会い、CODE10周年記念シンポジウムの際には東北視察に同行し交流を深めました。これまでニュースや吉椿事務局長の報告から思い描いてきた村の様子、お医者さんが四川大地震以降積み重ねてきたものや想い、CODEや村を訪れたボランティアがXさんやLさんら光明村の村民と築いてきた関係の現在地を見ることができてとても感動しました。お話を聴くで東本の被災地のことを心配し、現状を尋ねるお医者さんやXさんを見て大地震の前までは本と何の関わりもなかった村の方が今は本と強くつながっていることを感じました。そして今回、桜の植樹や村の人たちとの交流でそこに少しでも加わることができたことに胸が熱くなりました。

 今回光明村を訪れ、村に四川大地震の跡はほとんど残っていないと思いました。ですが、お医者さんやXさん、Lさんから当時の様子を聴き、村を見渡してみると当時の様子や地震の後の様々な変化を想像することができました。お医者さんは新しく建てた家を地震で失い、お話を聴いた家は地震後にローンで直したものであるということや畑のある場所に仮設住宅が建っていたこと、地震からの再建によりローンを抱え多くの住民が出稼ぎにでており村が少し寂しくなったことなど現地で被災者の声を聴き、地震当時の様子や変化などの見えないことを想像することの大切さを感じました。

 今回の研修を通して感じていたことの一つが「支援とは何なのか?」ということです。今回、四川大地震の被災地では政府から、団体からの支援を受けた多くの現場を見ました。地震から約7年が経過し少数民族の建築を模した観光地に生まれ変わった村や素早い復興をした大規模な街の少し寂しげな大通り、ローンを抱え家族が出稼ぎに出る被災者の言葉からは支援の大切さだけではなく支援あり方を問われているような気がしました。今後、災害NGOに関わっていくで大切にするものを見直す機会となりました。

 CODE未来基金のサポートもあり訪れた今回の研修では四川大地震からの復興の課程を学ぶだけではなく、私自身が将来NGOでどう活動していくかを考える場にもなりました。災害NGOとしての活動とは何か、被災者や一緒に研修をする仲間にどうか関わっていくか、災害NGOに必要な想像力や視野とはどんなものかなどNGOで働くために考えるべきテーマや課題を多く見つけることができた研修でした。これからのCODEでの活動ので研修で得た経験を活かし、疑問や課題を見つめ直していきたいと思います。そしてCODE未来基金の支援を受け、また運営する一人として多くの若者にCODE未来基金を通じて学び、経験し、成長する機会を得て欲しいと思いました。

【中国四川省地震救援ニュース】No.125 第1回日中NGO・ボランティア研修交流​の感想 その4

「四川省スタディツアー 感想」神戸大学学生震災救援隊 大西佑季

 私は阪神・淡路大震災をきっかけに設立された団体でサークル活動をしており、個人的に災害とどう向き合うかを考える機会があった。その時、災害が起こるまでの防災、減災について、また災害派遣についてなどは個人として考えることはできたが、復興に関しては一人では考えがまとまらず、悩んでいた。そんな折、2目の四川大学での講義のなかで、「復興は3年まで、それ以降は発展、振興である」という四川大地震の際の国の復興に対する考え方を聞き、はっとした。ずっと阪神・淡路大震災について、神戸の復興についてばかり考えていたが、本国内でも地域によって復興の様子や考え方が違うこと、それ以上に世界の災害、またその復興について目を向けるということに思い至っていなかったということに気付けたように思う。

 また、3目、5目の被災地視察では震災当時の崩れたそのままで保存された学校や街を見学した。私は地震が起こってすぐの現場には行ったことがなく、もう人が住んでおらず、保存されているとはいえ被災から時間がたった場所といっても写真や映像以外であれだけ生々しく被害の跡が残っている様子をみるのははじめてで、衝撃的だった。また、本では避難所とされている学校が崩れていたり、崩れた建物の工法を説明してもらい、自分の生活ので防災、減災についてさらに考えていかないと改めて考えさせられたと思う。

 私事になるが、正直に言えば、初めての海外、しかも一週間ということで不安があり、打診をいただいたときはとても迷ってしまった。そのうえで、今回のスタディーツアーに参加する際、「思い切って踏み出してみる」ということを意識していた。これまでは新しいことに挑戦するとき、どんなに興味があってもいつも二の足を踏んでしまい、あきらめてしまうことが多かった。しかし、1年間ボランティアを通して被災された方、また他の被災地ボランティアの方と関わるで、現地、現場にしかない出会いや経験があり、その一つ一つが自分にとって重要なもので、思うようになった。実際、四川省での出会いは私の意識を大きく変えてくれるものだった。踏み出してみる、ということに関して、このスタディーツアーのように学生が災害について学ぶ機会があること、そのような場を提供してくださる「未来基金」は重要だと思う。特に、4目の光明村の住民の方との出会いが印象にのこっている。
初めて会った異国人である私たちにとても優しく好意的に接してくださり、被災した時のことや立ち直るまでの過程、村の様子、様々なことを話してくださった。出稼ぎから一団に会うために帰ってきたという方もいらっしゃり、それだけ被災してから立ち直るまでにCODEの方やボランティアの方が気付き上げてきたつながりがあるのだと感じることができた。また、これまで“国”という大きなくくりので、先入観をもってしか人、物事を見られていなかったと気付くことができたと思う。