中国四川省地震救援ニュース 70

Yさんレポートをお届けします。
四川から日本に一時帰国をした翌日(6月14日)に岩手宮城内陸地震が起きた。そして2週間後(7月1日)、再び四川に戻った。夏本番のような暑さの中、被災地では相変わらず仮設住宅の建設が進んでいる。毎日瓦礫の片付けをお手伝いさせて頂いていた北川県の村に久しぶりに訪れた。仮設住宅はすでに出来上がっていたが、電気と水がまだ通っておらず入居はされていなかった。村を一回りした帰り道、この村で初めて瓦礫の片付けをさせて頂いたお宅の奥さんにばったり再会した。「あんた、久しぶりね。日本で地震があったって聞いてびっくりして、何度も電話したのよ!」とつながるはずもない僕の中国の携帯に電話してくれたそうだ。「今回お世話になったから私たちも助けに行こうと思ったのよ」と言ってくれた。四川の被災した農村の人々が日本に来ることなど夢のまた夢であるが、そう言ってくれた事がとてもうれしかった。その翌日、15歳の娘さんに会った時も同じことを言ってくれた。家族でそんな話をしていたんだと思うと涙が出そうになった。この家のお父さんは一か月前、瓦礫の片付けを手伝う僕らを見て「本当に勇気をもらったよ。ありがとう。」と言ってくれた人である。被災地では小さな出会いがあり、少しずつではあるが、確実に人と人がつながりつつある。。。
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中国四川省地震救援ニュース 69

被災地の企業も本業再会に向かって動き出し、すでに恢復宣言を出している地域もあります。
以下は、CODE翻訳ボランティアさんによるものです。
≪徳陽市街地:正常生産生活秩序を回復宣言≫
 四川省徳陽市は7月1日から全面的に徳陽市の市街地は正常な生産、生活秩序を回復したことを宣言した。
 四川省地震局の専門家チームが徳陽市の市街地で住宅の耐震評価を行った結果、応急評価が「使用可能」だった住宅の住民は、簡易テントを撤収し、元の住所に戻ること。また「使用禁止」だった住宅には入ってはならず規定に基づき仮設住宅の申請を行うこと。
 企業の事務所なども「使用可能」の応急評価だった建物では、元の建物で企業活動を再開することと規定した。
 市街地に放置されている人の住んでいない簡易テントは街道事務所や社区居民委員会がこれを撤去し、簡易テントが道路や緑化帯や河原や広場等を占拠しないようにすること。
 記者が1日に見たところ、徳陽市外地にはすでにテントは少なく、大部分の住民は自分の家に戻ったようである。
 (7月1日 新華網)

中国四川省地震救援ニュース 68

当初、8月10日までに「100万戸の仮設住宅を!」と発表し、できるのだろうか?と思いましたが、このレポートを見ると納得できるような気もします。
以下は、CODE翻訳ボランティアさんによるものです。
≪綿竹市:最大の仮設住宅が検収≫
 江蘇省の援助で建てられた徳陽市にある綿竹市の26100戸の仮設住宅が綿竹市の検収を受けた。今回の住宅地の面積は2400ムー(約160ha, ※15ムー=1ha)あまりを占め、被災地最大規模の仮設住宅となった。
 記者が綿竹市郊外で見たのは、白い壁に青い屋根のプレハブ住宅が整然と並んでいる姿で、壮観である。
 現場で施工を指揮していた江蘇省建築工程管理局長によると、江蘇省が援助して建てたこの仮設住宅は29の社区(自治会、コミュニティー)と学校7校と幼稚園、ひとつの病院と商業施設を持ち、67000人がここに住む計画である。江蘇省は八千人を派遣して建設を行った。
 綿竹市計画建設局幹部によると、この仮設住宅は工期が予定より1か月早く終了し、質も高く、「江蘇建築鉄軍」の本領を発揮したという。
 綿竹市では現在五十万人がテントに住んでおり、そのなかの二十万人が仮設住宅に入るとしている予定である。現地政府は38か所の地点に8月初めまでに仮設住宅建設を終える予定だ。
 (6月27日 新華網)
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中国四川省地震救援ニュース 67

中央政府は、本格的に、地方政府の復興支援に乗り出しているようです。以下は、CODE翻訳ボランティアさんによるもの要点の抜粋です。
≪国務院:ぶん川地震再建政策措置を支持することに関する意見≫
 6月30日、被災地区の積極的な生産自救、家の再建を支持し援助するため、また復興再建活動に社会各方面からの参与を引き出すことを奨励するため、また被災地で一日も早く正常な生産、生活を回復させるため、「国務院ぶん川地震再建政策措置を支持することに関する意見」を30日発布し実施した。政策措置への支持の範囲は震災後の復興生産と再建に関する各方面、都市と農村で倒壊した住宅の再建、公共施設と基礎施設の回復再建にわたる。
◎被災地区の企業が株式市場を通じて融資を得ることを支持
  法に定める条件のもとに、被災地の企業が株式の公開をすること、被災地の上場企業が再融資を受ける申請をすることを優先することとし、被災地での投資を促進する。
◎被災地の住民が住宅を購入するときの優遇措置
 被災地の住民が自分の住む住宅を購入する際、住宅ローンの利率を現行の基準利率の60%とする。
◎被災企業は2008年度の企業所得税を免除
◎各家庭ひとりは就業できるよう保証 ひとりも就業者がいない都市の家庭で、所定の労働年齢内にあり労働能力と就業を望む人が失業状態にある場合、かつ経営収入、投資収入がない場合、すくなくともひとりは就業できるよう優先的に就業援助する。
(6月30日 新華社)

中国四川省地震救援ニュース 66

CODE翻訳ボランティアさんによる昨日の記事の後半です。
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 ボランティアたちは次第に鎮政府の信頼を得た。遵道鎮党委書記の林建華さ
んは、最初はおそるおそるだったがようやくNGO組織は政府と協力して多くのこ
とをやっていけると思うようになった。
 「鎮政府はだた統一の基準に沿っていくしかない。ボランティアは特殊な要求
にも対応できる。」と林建華さんは言う。
 
 救援初期の活動は主に物資の分配だった。大量の救援物資が届くと、鎮政府
は戸籍に基づいて村単位に分配した。すべての被災者は統一の基準で配られ
た。 最初に大規模な物資の分配が行われると、邱さんは頭痛がした。物資の
分配はちょっとの不均衡があると被災者の不満を引き起こすのだ。
 15日の夜、羅世鴻さんの組織したボランティアたちはミーティングを開き、被災
者の需要について調査することにした。羅さんのボランティアたちは貴州の雪害
救援に参加したことがあり、比較的経験のある方だ。
 ボランティアたちは遵道鎮にある4つの避難所で、ごみが散乱し衛生問題が深
刻だと気付いた。また救援物資の中で粉ミルクと女性が使う日用品が不足して
いることがわかった。
 ボランティアたちは被災者を組織してごみの分類を行った。また羅さんは支援
者の基金会を設立し、早速7台の大型トラックが物資を積んでやってきた。
 粉ミルクなどが迅速に必要な被災者のところに届けられた。邱さんはボランティ
アたちの効率のよさにびっくりした。
 鎮政府とNGOはすぐに暗黙の約束を結んだ。一般的な物資は政府が人数割り
して分配する。特定の物資はボランティアたちが配分する。統一の基準を保ちな
がら特殊な要求にも応える。
 「政府が顧みる暇がないところを調べ、補う。」羅世鴻さんはこの約束を了解し
た。
 しかし、邱さんはボランティアの考え方とは必ずしも一致していないと考えてい
る。「ボランティアがもってきた外国製の粉ミルクは、ここの赤ちゃんには合わず
下痢している子もいる。洋服だってブランド物を買う必要はない。」
 ボランティアたちは都市からやってきていて、農村のことをあまりよく知らないと
邱さんは言う。
  5月18日、遵道鎮での活動におけるNGOは前進をした。遵道鎮ボランティア
協調事務所ができたのだ。ここは遵道鎮地震対策指揮部に組み入れられた。
 「これは中国NGO発展史に名を残すかもしれないね。」羅世鴻さんは興奮を抑
えきれずにいた。なぜならこのことはほかの被災地では見られないことだから
だ。
 羅さんは言った。「被災地のボランティアは混乱状態で、メディアにより重点的
の報道された地方にばかりボランティアの過度な注目が集まって、本当に必要
な地方には人がいない。多くのボランティアが情熱を持ってやってくるが、失望し
て去っていく。」
 これに対して、遵道鎮のボランティアは「幸運」という。彼らを支持する人たちの
基金会も財政が良好だ。
 17日、万科集団の救援隊がやってきた。これより前に万科は1億元を遵道鎮
に送ることを決定している。この救援隊と同時に、広東省の深せん登山協会も
やってきた。 これらの団体が力を合わせると、遵道鎮では無視することのでき
ない救援の力になった。
 18日午後万科救援総指揮の朱保全さんは党書記に「ボランティア協調事務
所」をつくることを提案した。 この提案は政府に受け入れられた。「私たちは情
熱をもってやってきたボランティアを失望のうちに去らせてはならない。」鎮党委
書記の林建華さんは言った。
 5月21日、万科の支援で政府の2棟の仮設を建てた。そのうちの一棟をボラン
ティアたちが使用することになった。羅さんは、固定した場所があると、ボランティ
アたちの活動が系統だったものにできると言った。
 NGO組織には広い範囲の交流がある。ボランティア協調事務所ができると、陝
西省、河北省、北京市などから連絡がきてボランティアが派遣されてやってき
た。
 羅さんは言った。「NGOは必ず政府主導のもとに活動を展開しなければなら
ず、活動の重点は政府が顧みることのできないことだ。」
 また遵道鎮以外のNGO組織について、政府と関係なく建てたテント学校が、天
気が暑くなってテントですごせなくなるなどという安全面でのデメリットがある。テ
ント学校は最終的には政府が管理すべきだ、と述べた。
 遵道鎮のボランティアは学校に行かれなくなった学生にも手伝いをしている。
定例ミーティングで山西省のボランティアが提出した「楽しい休暇」の発想が事
務所に採用された。 詳細な計画を立て、学習場所を林のなかの涼しく安全な
環境に設けることにした。
学習課程は娯楽要素を取りいれ楽しく教えた。子どもは家の人の許しを得て自
由に通った。
 この活動は政府に報告され、政府も参与して各村で「楽しい休暇」活動を行う
ように指示された。
 ボランティアは調査中、遵道鎮は年画と刺繍の里ということを発見した。しか
し、そのデザインや販売は外部で行われ、遵道鎮は印刷加工をするだけだという
ことがわかった。
 被災者の再建を支援するため、ボランティアたちは遵道鎮棚花村に刺繍テント
を建て、村で刺繍のできる女性を組織し、ボランティア協調事務所の名義で第1
回目の発注をした。ボランティアは年画の図案に刺繍も入れ、ボランティアの記
念章をデザインした。第1回発注は100で、ひとつ60元だ。
 羅さんはこのような予約発注は被災者の積極性を呼び起こすと言う。ボランティ
ア協調事務所はデザインの専門家のボランティアを集め、芸術工作室をつくる計
画だ。彼らの製品の開発を援助する。また専門の営業団体が市場での販売を援
助する。
 「ボランティアは被災者には替われない。方法を教えるだけだ。」ボランティアは
被災者の依頼心を促してはならない。以前は大量のボランティアをがやってき
て、被災者が自分でやるべきことを替わってしていた。例えば掃除やテントの設
営など。
 遵道鎮ボランティア協調事務所はこの1点に思い当たり、彼らの活動を「被災
民を助けて行う」から「被災者に教える」に変えていった。 羅さんによると、依頼
心を形成すると、再建活動に支障をきたす。将来政府の負担になる。
 羅さんの考えでは、ボランティア協調事務所は3年またはもっと長く活動する。
現在直面している最大の課題は専門ボランティアを招致し、分けて仕事を行うこ
とだ。 専門ボランティアは比較的長い期間従事してもらう。遵道鎮が必要とする
仕事を専門化し、それぞれわけて仕事を行う。ほかのすべてのNGO団体の指標
になるだろう。
 6月21日、基金会と綿竹市政府は成都で再建に関する討論会を主宰し、多く
の国際国内NGO組織と学術機構が参加した。遵道鎮ボランティア協調事務所の
話は例として繰り返し紹介された。
 四川省社会科学院社会学研究所の郭虹所長は、「再建段階でも多くのボラン
ティアの力が必要だ。そのボランティアは専門的な技術を持っている人たちが望
ましい。」とのかんがえを示した。
 郭所長は、「地震救援NGOの活動を見ると中国社会で公民意識が進んできた
と思う。大地震はNGOを前面に押し出し、NGOにとっては絶好の機会であるが試
練の機会でもある。」と述べた。
 綿竹市副市長は、「綿竹市政府では現在、遵道鎮でのNGOの活動をモデルに
し、綿竹市内で広く推し進めるための討論をしている。最大限度の社会資源を
使って綿竹市の経済再建を加速させていく。」と述べている。
 (7月2日 新京報)
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中国四川省地震救援ニュース 65

地震発生後、早くに現地のNGOネットワークが解散させられたことはすでに
触れました。しかし、ここにきて中国政府はまたNGOとの連携を試みようとし
ている様子が伺えます。CODE翻訳ボランティアが紹介する以下の記事で
は、「地震救援にNGOの智慧が試されている。これは中国NGOの発展の契
機になるのか?」とこのマスコミはコメントしています。日本では阪神・淡路大
震災後のボランティア活動が注目され、その後通称NPO法が成立しました
が、同じような経緯を歩みのか未知数ですが、興味深く読ませて頂きまし
た。長いので2回に分けて紹介します。
以下はCODE翻訳ボランティアからの提供です。
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≪ 綿竹市:救援サンプル調査 政府がNGOを救援体系に組み入れ≫
 ぶん川地震以後、中国のNGO組織はこれまでにない情熱をもって救援活
動に力をいれている。この屈強な民間活力に対して、地元政府は疑問を持ち
つつもようやく受け入れる方向にある。災害に際して、政府とNGOが共同作
業を試みた。遵道鎮のボランティア協調事務所は、ボランティアが自主管理
するNGOの協調機構だ。そして政府が主導している救援活動の体系に組み
入れられている。これは被災地では特例だ。
 地震救援にNGOの智慧が試されている。これは中国NGOの発展の契機に
なるのか?遵道鎮のボランティア協調事務所は注目に値する。
 地震の重大な被災地である綿竹市遵道鎮。一間15平方メートルの仮設住
宅で毎晩8時ミーティングが行われる。ここにはリーダーはいない。あえて言
うなら、邱さんがその一人だ。22歳の彼女は遵道鎮団委の書記だ。その他
の22人は全国8の省市からやってきた。すべて救援ボランティアで20のNGO
(公民社会組織)に所属する。邱さんは鎮政府の会議にも参加し、ボランティ
アとの協調についての責任者となっている。
 「民政ボランティア」。
 羅世鴻さんは最初に自分をそう紹介した。鎮政府の邱さんはこれなら受け
入れやすいと思った。
 5月15日、羅世鴻さんは貴州省からボランティアを率いてやってきた。3日前
の大地震で遵道鎮は廃墟となり、政府の建物も崩れた。救命活動、物資の
運搬、3日間眠る暇もなかった。邱さんも政府の職員もみんなそうだった。地
震の恐怖から覚めやらぬうちに、羅さんたちはやってきた。
 羅世鴻さんは「NGO貴州高地研究所」の責任者で、もっともはやく遵道鎮に
入ったボランティアのひとりだ。彼は貴州の10のNGOを組織して遵道鎮にき
た。
「私たちはボランティアです。救援活動を手伝いにきました。」
「ここには食べ物も、たくさんの水もないんです。あなたたちにあげることもで
きないんです。」
「活動用のテントをひとついただけませんか?私たちは睡眠用のテント、水と
食料も持ってきています。」
 邱さんは、羅さんの態度が誠実でまた多くの救援活動の経験を話してくれ
たことを新鮮に感じた。確かに政府には人手が必要だった。
 羅世鴻さんは受け入れられたが、邱さんはまだボランティアと名乗る人たち
に対して警戒感をもっていた。この22歳の鎮団委書記のボランティアに対す
る概念は、学生時代の「老人ホームで掃除」的な知識のままだった。
 鎮政府の大多数の職員にとっては、NGOは初めて聞く言葉だった。

中国四川省地震救援ニュース 64

CODE翻訳ボランティアが興味ある記事を見つけて下さいました。職業訓練の話で
す。、「予約式」というのがどういう意味か判りませんが、訓練を受け、確実に就労
機会につながるというのは注目すべきでしょう。災害後の暮らし再建メニューで職
業訓練というのは必ずといっていいほど提案されますが、実際の就労機会に結び
つけることが難しく、いつも頭を抱えるところです。
以下はCODE翻訳ボランティアによるものです。
———————
◎「予約式」職業訓練
 膨州市就業局は被災者の就業問題解決のため、現地の職業訓練校と連携して
無料でミシンでの縫製技術訓練を開始した。訓練が終わると、そのまま職を得られ
ることになっている。第1期生120名は、省内外で働き始めている。このような「予約
式」訓練は被災者に喜ばれている。  
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(7月2日 新華社)

中国四川省地震救援ニュース 63

成都に戻ったYさんから早速レポートが来ましたので、お届けします。
久しぶりに北川県の農村を訪ねた。村ではすっかり仮設住宅が出来上
がっていた。電気や水道がまだ通っておらず入居には至っていない。何度
もお世話になっている老夫婦の家を訪ねた。「仮設出来上がったね。」、
「でもうちは入れないんだよ。だから昨日自分でテントを調達してきたよ。」
と家の片隅に置かれた軍用のテントが目にはいった。「二人で立てること
できるの?」、「昨日やったけどできなかったんだよ。」。。。という事で4人
の日本人ボランティアとさっそくテント張り作業開始。大人6人で何とか立
ち上がった。だが、ボランティアからはこんな声があがった。
「こんなん年寄り二人に立てれる訳ないやろ!」と怒りをあらわにした。
村の中では少しずつ仮設をめぐって格差がはじまっている。
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中国四川省地震救援ニュース 62

今回の地震では若者のボランティアが大活躍しています。以下、CODE翻
訳ボランティアさんが訳してくれた”「官制」ボランティアが作る中国版ボラ
ンティア元年の模様”です。少々長いですが、全文をお届けします。
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≪中国80年代生まれの青年ボランティア、偏見に挑戦≫
地震で傷ついた母親の世話をするか、それとも一人のボランティアとして
被災地へ赴くか?この2つの難しい選択に面した時、25歳の劉懿さんは
後者を選んだ。
目下の者が目上の者に尽くす事、この基本的な要求が満足に出来ない
若者たちは常々社会各界から非難を招いている。
劉懿さんはこの選択をする時非常に悩んだ。劉さんは言う。
「家の中には母の面倒を見る人がいる。また女友達も助けてくれる。」
劉懿さんは2006年重慶交通大学を卒業、現在は重慶道路局で仕事をし
ている。彼が被災地へ行く目的は被災者に対し実際に意義のあることを
したいということだ。
劉さんの家は四川省成都北の広漢市にある。家の中の家具、家電は5月
12日wen(さんずいに文)川地震で損壊した。
劉さんの母親は地震で怪我をし、のちに重慶の身内の世話をうけた。
母親が重慶に到着した当日、劉さんは重慶道路の緊急補修チームで被
災地の什ほう市紅白鎮に向かうところだった。
学校では橋梁を専門に学んだ為、劉さんは救援支援チームのなかで後
方支援組に配属された。彼の主な仕事は施工会社が監督する再建工事
の安全問題の手助けや、救援現場の写真撮影や工事の過程を撮るビデ
オ撮影の記録の協力である。
この若者は言う。被災地での救援の経験は彼のさまざまな物の見方を変
えた。学校で学ぶことのできない多くのことを学ぶことができたと。
「私たちはいままでずっと父母と教師に頼ってきたが、地震経験以後、困
難は必ず自分自身で対応しなければならないと意識するようになった。」
地震後、数千名の若者がすぐに被災地へ向かった。彼らは単身で、また
は自主的に救援グループに加わっている。彼らの大多数は1980年以降
の出生で、中国開放政策の成果が見られる年代である。
この年代の人たちは常々「80年代以降」と呼ばれ、大多数の人が「甘や
かされて育った」世代とみている。
この世代は出生以後から中国経済の成長があった。物質的な生活に恵
まれた「80年代以降」は常に自分勝手で、拝金主義、同情心に欠けるな
どと言われ、同時に他人を思いやることが少ないうえに、一人で物事を処
理することの出来ない世代と考えられている。
2008年年初から中国は自然災害やさまざまな事で挑戦を受けることに
なった。「80年代以降」はこの期間の際立った活躍で社会の関心を得、
また彼らの行動はこの年代に対する社会の偏見を変えることとなった。
メディアには「理性的」などの誉め言葉が表れ始めた。
年初の南方雪災、北京オリンピック聖火リレー、四川8級地震、毎回、中
国に対する試練は「80年代以降」に対する試練でもある。しかし毎回、年
若い「80年代以降」は、皆元気はつらつとした姿と責任感ある態度が目
立っている。
毎回国家が危機にさらされる度、若者の愛国心が噴き出した。テレビの
画面に写る愛国活動の人々の群れの中に我々は毎回若者の顔を見るこ
とが出来た。
2008年春節前夜、南方氷雪災害により南方の多くの省で水電供給が中
断された。交通も寸断され、帰途にあった数百万の旅客は駅やバスター
ミナル、交通幹線で封じ込められた。
交通渋滞を緩めるため、南方の被災した省の各大学に在籍する地方の
学生は政府の呼びかけに応じ、学校内で中国人がもっとも大切とする祭
日、「春節」を過ごした。
中国南部の広東省広州市、若いボランティアは目立つ標識を掲げて、動
けなくなった旅客のために水を配った。
北京オリンピック聖火リレー中ではロンドン、パリ、サンフランシスコなど
いたるところで中国人留学生の姿が見られた。彼らは平和集会を行い、
中国の国旗とオリンピックの旗を振り、情熱をこめて聖火ランナーに声援
を送った。オリンピックの阻止を図る「チベット独立分子」との争いの中、中
国の若い留学生たちは要となり立ち上がったのだ。
6月10日に開幕された中国共産主義青年団第16回全国代表大会で、共
青団の陸主席は語った。「今年以来、北京オリンピック聖火リレー中に多
くの若者、海外留学生の強烈な愛国精神が奮い起こされた。また、国家
の利益と民族の尊厳を保つ自覚が固められた。」
ラサ「3.14」暴力事件後、数百万の中国の若者はMSNなどでチャットを
するときネット上の名前の前に忠実な心の表れに「China(中国)」の文字
を加え、祖国に対する支持と擁護を表した。
このような表れは5月12日のwen(さんずいに文)川地震後、「心と心のつ
ながり(心連心)」の虹へと変化した。「80年代以後」の新世代の若者達
は地震災害救済の中、あでやかな虹を描き続けている。
四川地震発生の2日目、北京の多くの大学で献血が行われた。
被災地で怪我をした人たちのために大学生の呼びかけで始まったのだ。
清華大学の学生寮の事務所前には100メートルにもなる献血者の列が続
いた。
同時に、さらに多くの若者が自ら被災地救済の隊列に加わった。近隣の
四川重慶、貴州等では多くの若者達が自費で購入した救援物資を車に
載せ、被災地の県や市へ向けて昼夜問わず走らせた。被災地についた
後、彼らは物資を下ろし、すぐに戻っていく。利益や損得を気にせず、名を
残す事や誉め言葉を求めない。
1980年代以降生まれの青年、特に青年士官は救済活動中、最も活力が
あり最も意欲がある若者達だ。中国人民解放軍の若い士官と各地の武
装警察は一貫してさまざまな救済活動の最前線で目覚ましい活躍をして
いる。
地震被災地区である四川省什ほう市の14歳の中学生、鄭小鵬君は地震
救済の中で彼が最も感謝した人は解放軍とボランティアのおじさんだった
と話す。鄭小鵬君は地震で生命の危険を顧みず、アンモニア溶液漏れ情
報を30数人の地元住民たちに告げると言う困難な役目を果たし、みんな
を連れて危険な状態を脱した。
6月10日、中国共産主義青年団第16回全国代表大会で、彼は会議の上
で発言した6名の少年先鋒隊の一人となった。
「地震の時、解放軍のおじさんが暴雨の中連夜救助してくれて携帯食品
を与えてくれた。またボランティアの青年が僕達にテントや衣服、布団を
与えてくれたんです。」彼は会議の1500名に対して語った。
「ボランティアはすでに中国青年の一種の生活様式になった。」中国ボラ
ンティア協会副秘書長は言う。
昨年4月、北京市教育職員委員会と中国教育報が発布した「80年代以
降」の大学生の研究報告書によると、82.1%の学生が愛国精神的行動と
は国家の発展と未来の運命への関心をもつことであると考えている。
ここ数年、中国の若者はいまだかってなかったほとばしる感情をボラン
ティア活動に注いでいる。
2003年8月、その年度の1万人以上の大学卒業生が「大学生ボランティ
ア西部計画」旗印の下に集まり、中国西部の未発達地区の現場で1、2
年の期間でボランティアを展開した。
政府のデータは同時に、この5年で全国ですでに7万人以上の大学卒業
生が西部のボランティア活動に参加したと示している。
6月11日の人民日報の報道では、環境保護領域では延べ3.5億人以上
の青少年が生態と調和を促進する「母なる川を守る活動」に参加し、生態
保護模範工事の建設は239.3万ヘクタールにもなった。
北京オリンピック委員会の公表では、北京オリンピック、パラリンピックの
為のボランティア志願者が全国で百万人を越し、その多くが若者たちであ
ることを知らせている。
2002年から中国人ボランティアは国を出て、世界に向かっている。300名
近い中国青年達がラオス、ミャンマー、エチオピア、ギアナなど発展途上
の国でボランティア活動をしている。
「現在中国のボランティア活動をしている人数はすでに2.68億人になり、
ボランティア登録をしている人数は2511万人にもなります。」中国ボラン
ティア協会秘書長は語った。
武漢大学哲学科、膨富春教授は言う。
「80年代以降」は情熱を持って理性的な方法で彼らの愛国主義精神を表
現した。「80年代以降」の青年は中国の希望に満ちた世代である。
新華網 6月11日 21:48

中国四川省地震救援ニュース 61

成都市の耐震判定の手順の詳細が定められたというニュースを紹介します。そ
ういえば、パキスタン地震やインドネシア・ジャワ地震の被災地では至るところ
に「地震に強い家を造れます! 10の手順」というUSAIDやUNハビタットのポ
スターが貼ってありました。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです>
≪成都市:耐震判定詳細規定≫
 ぶん川大地震で、成都市の中心地区および成都市に属する区・市・県の家
屋は様々な程度の損壊を被った。迅速な正常生活・生産秩序を回復するため、
国家建設部の「家屋建築工事の耐震設計防災管理規定」に基づき、6月8日、
成都市建設委員会は「成都市家屋建築の地震後耐震判定作業の強化に関す
る通知」を提出した。
 地震で被災した家屋は、「建築耐震判定基準」に基づいて鑑定する。「赤」判
定は「修復または耐震補強の必要」がある。
 持ち主の委託した建築設計(乙級以上)会社が耐震判定と補強設計を行う。
元々の工事設計会社にも耐震判定と補強設計を行う責任があるが、元の設計
会社がなくなってしまっていたり、対応しきれないときには、相応の技術を持つ
設計会社が担当する。
 耐震判定時、工事の現場、設計、施工及び進行に関して全面調査を行い、
判定報告書を提出すること。工事に関して検測が必要な時にはそれをできる会
社に委託できる。
 耐震補強設計は「建築耐震補強技術規程」に基づいて行う。補強設計は工
事の実際の状況と判定報告に符合した基準で、経済的に合理的に、使用に滞
りないように配慮する。また建築の機能を改変したり、建築規模を増加したりし
てはならない。重要な位置にある建築物は、都市計画の要求通り、元々の風
貌を保持することに留意すること。
 耐震補強設計書と施工図設計書はと審査機構の審査を経たのち使用でき
る。設計書審査機構は、関係技術規程、耐震判定報告、検査報告に基づき、
耐震補強施工図に対する意見を提出し、合格判定が出てから、合格証を交付
して工事会社に戻す。
 
 そのほかに、今回の地震での家屋建築耐震補強では、「判定―設計―審査
―施工―検収」の順序進行を守り、「家屋建築地震後耐震補強工事申告書」を
もって安全監督、質量監督の手続きを行うこと。耐震補強施工と管理は関係規
定と技術基準により執行され、施工及び管理単位は相応の資質を必要とす
る。
 (6月9日 成都晩報)