【中国四川省地震救援ニュース】No.121-災害を忘れない-

本日5月12日は四川大地震が発生した日です。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
四川大地震 (2008年5月12日発生)
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「この6年を振り返って・・・」 四川大地震から今日でちょうど6年になる。M8.0の大地震によって44万平米(日本の国土総面積は約37万平米)という広大な被災地で死者・行方不明者約8万7000人という甚大な被害を出した。 震災の3日後に被災地に入り、約4年近く四川省で過ごしてきた。被災地まで片道3時間の道のりを何百往復しただろう。現在もCODEが支援している北川県光明村を震災後に始めて訪れた時、「日本鬼子」、「小日本人」と陰口をたたく人もいた。村の多くの人が日本に対していいイメージを持っていなかった。北京オリンピックを目前に控えていた事もあって、非常に厳しい規制もあった。だが、被災者一人ひとりの語る言葉に耳を傾け、ボランティアと被災者たちとガレキの片づけを毎日繰り返していくうちに村の人たちとの関係が変わっていった。後から聞いた話では、「ボランティア?日本人?何か企んでいるんじゃないか?」と思っていた人もいたという。 毎日毎日ガレキを片付け、被災者と一緒に汗を流すうちに、日本人と中国人という関係は次第に「ひとりとひとり」という関係になっていった。ボランティアには、言葉が出来ずに身振り手振りで何かを伝えようとする人、中国語を覚える人、黙黙と汗を流す人などがいた。被災者には、ボランティアの為にご飯を作り始める女性、農作業を教える男性、村を案内する女性、昔を語る高齢者、ガレキを片付ける子ども達などがいた。そこには「日本人と中国人」、「被災者とボランティア」関係性はもはやなかった。ボランティアの若者と被災住民の積み重ねた日々はいくつもの感動的なエピソードを生み出した。ボランティアが被災地を去る時、別れを惜しみ、被災者と共に抱き合い、泣き合った。ある一人の被災者の女性が「何もしなくていいから、ただ来てくれるだけで嬉しいのよ。」と語った。 日中関係の冷え込んだ昨年、光明村の医師を日本に招聘した。親せきの反対、心配をよそに彼は「俺には日本に友達が沢山いるから大丈夫だ!」と単身日本にやってきた。この人こそ震災前まで日本が嫌いだったひとりである。出会いは人を変えていく。 2011年の東日本大震災の時、村の人たちは少しずつ募金をし、たくさんのメッセージを書き、同じ被災者としての思いを東北に伝えてくれとCODEに託してくれた。 日中関係がぎこちない今だからこそ、偏った情報にとらわれずに国という枠を超えて、目の前のひとりと解り合う事。四川大地震はそんな大事な事を日中双方に気づかせてくれた。 (吉椿雅道)

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