【四川省地震4周年レポート】No.6

2008年5月に起きた四川省地震のレポートをお送りします。
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四川省地震4周年レポート No.6
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●支え合いと学び合い1(伝統建築)
四川大地震から3年を前に東日本大震災が発生した。
同じように被災した四川の人々は、この東日本大震災を決して隣国の他人事とは思えなかった。自分たちが震災で傷つき、苦しんだ事を思うと居てもたっても居られなくなったそうだ。2008年の四川大地震の直後からCODEが支援を続けている北川県光明村や他の被災地から28000元(約37万円)沢山の人々が1元、5元と想いを込めて寄付をしてくれた。ちなみに光明村の人々の肉体労働の日当は約50元(約660円)である。
 そんな想いの光明村の人々3名が3月に来日した。金沢大学との協働で能登半島地震や東日本大震災の被災者の方々と交流するという企画である。
初日、京都観光にお連れした。初めての異国の伝統文化を見る目は真剣そのもので、特に東寺、清水寺などの寺社の伝統建築に釘付けになっていた。四川大地震後、伝統木造家屋が倒壊せずにしっかりと残っていた事から建築の専門家の間でも「木造は強かった」という声もあがった。
綿陽市安県では170年の清朝の木造家屋、綿竹市遵道鎮で100年家屋、平武県でも100年の家屋がしっかりと残っていた。北川県の北部には数多くの木造住宅が今も残っている。光明村でも十数軒の伝統木造家屋は見事に残り、築55年の木造家屋のすぐ横の数年前に建てられたレンガの家屋は倒壊していた。
 CODEは、2008年の住宅再建の際に光明村で木造家屋の再建を推奨してきた。だが、「伝統木造家屋は古くさい。」、「みすぼらしい。」、「洋風な家が格好いい。」などの声も多かった。そんな中でも実際に木造家屋の再建を選んだXさん(40代女性)は、今回日本で京都の東寺を見て、肝心の仏像そっちのけで、「日本の寺は本当にすごい。こんな大きな柱は中国にはもうないわ。」と感慨深げに語っていた。
 清水寺の舞台の基礎を見学したPさん(60代男性)も「こんな建築は見た事もない。」とつぶやいた。本来、日本の伝統構法も中国から伝わって来たに違いないが、現在、中国全土で伝統木造家屋が少なくなりつつある。
この震災を機に伝統建築が見直されたが、実際に再建された所はそれほど多くない。それは、すべて木材が高価な事による。国土の広い中国と言えども活用できる森林は決して多くない。1998年の長江の大洪水が以降、上流域の四川省などの森林を伐採する事が制限され、その後国家プロジェクトとして「退耕還林」(畑を森林に戻す)が行われ、森林面積はこの10年ほどで20%(2010年)まで人工林を造成してきた。四川大地震後の復興でも農山村部ではこの「退耕還林」が重要視された。
光明村の3名は、村に戻って、伝統構法で建築された「老年活動センター」を見て改めて自分達の伝統文化に誇りに気付くのではないだろうか。