2008年5月12日に起きた中国・四川省の地震から3年が過ぎました。
四川省にいる吉椿のレポートです。
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四川大地震3周年レポート6
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3周年を迎えた四川大地震の広大な被災地では、政府の言うように3年を目途に大規模かつスピーディーな再建が見事になされた。だが、それに伴って様々な課題も残る。
約300kmに渡る被災地に無数の新しい街が再建された。そして、多くの場所で地震の傷跡を保存した遺跡観光地が生まれた。旧北川県城、青川県、ブン川県映秀鎮、綿竹市漢旺鎮など極重災区(激甚災害地区)は、どこも同じような遺跡や民族色を活かした観光地になっている。
漢旺鎮で細々と土産物を売るZさん(60代女性)は、「5.12前後は、人は多いけどねえ。。。」とどこか不安気に言う。この漢旺鎮は元々、企業城下町で、東方汽輪機(東汽)という車のタービンを製造する会社の工場が誘致された事によってこの町が発展して来た。工場周辺には従業員の為の学校、銀行、公安局、郵便局、レストラン、社宅などがあり、ここに暮らす人々は東汽に何かしら関係していたと言われる。
地震によって東汽の従業員も約300人が犠牲になり、壊滅的な被害を受けた漢旺鎮は、閉鎖されずっとゴーストタウンのようになっていたが、現在、観光地としての準備を進められている。だが、東汽は断層上にある漢旺鎮での再建をあきらめ、徳陽市に移転した。漢旺の新しい街は、遺跡のすぐ近くに立派に再建されたが、東汽を失った今の漢旺鎮に「仕事」はない。
被災地に誕生した無数の観光地。だが、1年を通して継続的に観光客が来るという保証はなにもない。また、観光に携われるのは被災者のごく一部である。そして、地震遺跡には今も沢山の命が眠っている。3年経った今も遺族は、倒壊した家屋の前に花を手向け、お香を焚き、祈りを捧げている。