2008年5月12日に起きた中国・四川省の地震から、今日で3年を迎えました。
私どもCODEは、スタッフ吉椿雅道を現地に派遣し、直後のがれき拾いからはじまり、住民の方々に寄り添う活動を続けてきました。
現在、四川省にいる吉椿から、3年を迎えた被災地のレポートをお送りします。
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四川大地震3周年レポート1
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2008年5月12日14:28 四川大地震(中国では5.12?川大地震)が発生した。四川省の北東から南西に走る約300kmの龍門山断層が動いた事によって、その被害は断層沿いに300km以上に及び、死者6万9226人、負傷者37万4643人、行方不明1万7923人という惨状となった。
あれから3年。
広大な被災地の町は、急速なスピードで再建された。中国独自の「対口支援」(各被災地を沿岸部の経済発展をした省市がそれぞれ担当して支援する)というシステムを活用し、被災地各地に大規模かつ真新しい都市が再建された。
死者行方不明者約2万人という被害を出した北川県城(曲山鎮)は、町が断層上にあり、危険だという理由から元の場所での再建を断念し、町を約20km離れた平地に移転する事になった。わずか2年で新しい町(永昌鎮)が再建されたが、鎮内約7400戸のマンション群に入居しているのはまだ僅か。大学のようなキャンパスを持つ北川中学、人民医院、スタジアム、博物館、商業街などは完成し、すでに活用されているが、広大な町の中で生活するためのスーパーや銀行、郵便局などは未だ建設中で町としての機能が不十分である。
震災前にこの土地に住んでいた高齢者はいち早く入居したが、「広すぎて不便だわ。」という。バスなどの町内交通がまだ整備されていない町で買い物ひとつも数十分歩いて行かなくてはならない。これまで田畑を耕して暮らしてきた農村高齢者にとってこの真新しいマンションと街にはなかなか馴染めない。「子ども達は出稼ぎに行ってて、する事がなくてねえ。」とブラブラしている。そんな高齢者たちがいつの間にか川沿いの橋のたもとに集まって麻雀したり、井戸端会議をするようになっている。
新北川(永昌鎮)は、非常に速いスピードで綺麗な町が再建された。だが、そこにまだ暮らしの匂いが感じられない。復興計画では、今後、産業エリアも建設し、新住民を引き入れ、最終的に2020年までに7万人の町にする予定だ。そこに暮らす人々が胸を張ってここが自分達の故郷だと言える日はいつになるのだろう。
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四川大地震・支援プロジェクト経緯
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CODEは地震直後よりスタッフ吉椿雅道を派遣しました。吉椿は様々な被災地を調査した後、北川県香泉郷光明村において、がれきの片付けをはじめ住民の方々との寄り添い・協働を行ってきました。
既にニュースレターやHPなどでご報告しておりますが、当初建設を予定していた「総合活動センター」(医療施設等を含む)は、中国政府によって建設されることになったため、昨年、村の方々と協議の上この計画を変更し、「老年活動センター」の建設に取り組んでいます。
「老年活動センター」とは、中国の村では一般的な施設で、その名の通り高齢者が集い様々な活動を行うふれあいの場です。また、私たちもKOBEの経験から、高齢者を孤立させることなく元気づける場の大切さを学んできました。
これを、いま香泉郷には数少ない木造の耐震モデルとして建築することにより、地震の際「木造の家は壊れにくかった」という人々の体験を具体的にアピールすることができます。そのため、高齢者の娯楽室、運動用スペースのほかに建物の骨組みが一部見えるようになった「震災展示室」を作ります。また、子ども向けの図書室も備えるなど、高齢者に限らず住民が広く利用できる場となる予定です。特産品作りなど、村おこしにつながる活動の拠点にしたいという話も出ています。
皆様には長らくご心配をおかけしましたが、昨年11月20日、CODE代表理事が光明村を訪問して本プロジェクトに係る調印を行いました。いま、吉椿が最終調整に入っています。今後も、これまで築いてきた光明村の人たちとの絆を大切に、「人と人とがつながる」支援を行っていきます。温かく見守っていただけますよう宜しくお願い致します。