四川大地震から2年、先日成都に戻ったYさんからレポートが届きましたので、お伝えします。Yさんは、今日は光明村に行って、村人と2年のこの日を過ごすそうです。
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2008年5月12日14時28分 M8.0の巨大地震が四川省を中心に襲った。
あれから2年の月日が流れた。昨年の1周年の際、温家宝首相の発した「復興を加速せよ」という言葉を受けて、急ピッチな再建工事が被災地の至る所で行われている。そのスピード、規模は、今の中国の勢いを象徴しているかのようである。本来、復興計画では3年を目途に住宅、学校、病院、道路などの基本的な社会基盤の復旧を実現するという事であったが、前述の首相の言葉で1年前倒しにして2010年の9月末までに基本的な復旧事業を完了させなくてはいけない。2月の旧正月の際も多くの労働者は帰省もせずに工事に従事した。被災地の中でも最も大きな被害を出した山間部の北川県城(北川県庁所在地)は、断層の上で危険であるという事から元の場所での再建をあきらめ、約20km平場へと移転する事になった。現在、大規模な「新北川」の町を建設中である。巨大な復興事業によって雇用が生まれているが、工事現場で働く人々のほとんどは対口支援先から来た人々である。ハイチのような「Cash for Work」で収入を得る被災者は、四川ではほとんど見られず、震災前と同じように遠くに出稼ぎに行く人々も多い。
政府の発表では、すでに90%以上が住宅再建を終え、入居したという。だが、ほとんどの被災者は迫りくるローンの返済期日に焦りの色を隠せない。農村信用社から借りたお金(最大5万元)を1年目で15%、2年目で35%、3年目で50%返済しなくてはならない。それを過ぎると利子が発生する。08年9月の住宅再建からすでに1年8カ月が過ぎている。未だにローンをどうやって返済しようかと頭を抱える人々も多い。そして、未だ数万世帯が、行き場が決まらず、仮設住宅や掘立小屋で暮らしている事を忘れてはならない。
未だビニールシートの掘立小屋で暮らす什?のある村の被災者の女性がこう語った。「あなたが来年来ても私たちはきっとこのままよ。」
2010年に入ってから世界で立て続けに起きる震災。4月には青海省でもM7.1の地震が、約2300人以上の尊い命を奪った。だが、日本では1か月を待たずに報道はほとんどなくなった。
四川大地震から2年目のこの日を機に今一度、被災地に思いを馳せてみてよう。ハイチへ、チリへ、青海へ、そして四川へも。あらためて震災で亡くなった方々のご冥福をここ四川の被災地で祈る。
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