不定期になりますが、Yさんレポートを続けます。
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CODEが、地震発生後の5月からこだわって活動いている北川県の光明村。1組から5組まで約730人が暮らす。と言っても通常は、若者、男性などの働き手は、他の省へと出稼ぎに出ていて村にいるのは女性、高齢者と小学生以下の児童が大半である。
その村で唯一の医者であるPさん(56歳)は、去年の1月に十数万元をかけて建てた4階建ての家屋は、この地震で全壊状態になり、今は1,2階のみが辛うじて残っている。またPさんの田んぼは地震によって水が抜けた。Pさんは、地震後、怪我や体調不良の村人のために必死で治療にあたっていた為に思うように田んぼに手を掛けることができずに今年のコメの収穫はほとんどなかった。今は、6月から3か月間政府によって支給された米を食いつぶしている。また、医者としての責務を全うするあまり鬱にもなりかけた。
そんなPさんは、ボランティアとガレキの片づけをやる中で少しずつ元気を取り戻していった。今では僕らボランティアとは、村で一番の仲良しである。つい先日、息子さんからこんな地震直後の会話を聞いた。
息子 「大丈夫か?」
Pさん「俺は大丈夫だけど家が。。。」
息子 「命が助かっただけよかったじゃないか!」
Pさん「俺の命に代えても家を守りたかった。。。」
息子さんの横で当時を振り返りながらPさんは目に涙を浮かべていた。
村内で住宅再建の進む中、未だ住宅のローンが残っているPさんは、新たに借金をして住宅を再建しなくてはならない。「自分の命に代えても守りたかった」と言うほどにPさんにとって家は掛けがえのないものだったに違いない。