Yさんの元で1ヶ月ボランティア活動をしたTさんの感想文をお届けします。これは外国人(中国人にとって)ボランティアの感想ですが、中国にもボランティア元年の兆しはあるようです。
なお、Yさんは明日から2週間ほど帰国します。
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目の前に瓦礫の丘がいくつも見える。全壊、壊滅。壊れて、くずれて、ぐしゃぐしゃになったのは建物だけではないだろう。そこの場所が自分の家だったのだろう、生気の抜けた無表情な顔を瓦礫に向けながらおじさんが一人片付けをしていた。これはある被災した町を訪れた時に受けた印象である。
5月12日 四川大地震が起こった。死者約6万9千人 倒壊件数約5百万棟 被災者は約4千6百万人、これは四川人口の約半分にあたる数である。初め自分はそれを見てもなんとも思わなかった。自分とはまったく関係のない他人事。テレビの中にある現実味に欠けた現実。映画を観ている観客のような第三者的視点。被災者の数字は無機質な記号の羅列でしかなかった。
そんな自分がボランティアに参加することになったのは約2ヵ月前である。きっかけはNGO団体CODEに所属しているYさんの話に興味をもったことからはじまる。「NGOの基本理念はやりすぎないことにある。被災者が自ら立ち上がらないことには意味がない。だからやりすぎず被災者ができることを残しておいてあげることが大切」 自分の探していたパズルのピースを見つけたような気がした。この人、そしてこの人のやっていることに携わることができれば何か発見があるかもしれない。そう思った。 なんとも自分よがりでボランティアを始めるにはいささか不純な動機。とにもかくにも次の日からボランティアが始まった。
目的地の村でやるべきことは果てしなくあった。むしろ先が見えないとさえ思った。煉瓦のリサイクル、壁や階段などの打ちこわし、瓦礫の撤去...ETC 何をどこから手をつけていいのか分からないまま他のボランティアメンバーの後に続いて作業開始。 住民が苦労し建設し、そして思い出を積み上げてきたその塊が徐々に形を失っていく。新しく家を建てる為に。新しいローンを抱える為に…さぞ堪えているのではないだろうかという思いがあった。しかし意外なことに村の人たちには活気があった。皆笑顔で迎え入れてくれそして他人を気遣う余裕を持っていたのだ。先に述べた町とは大違いである。
自分は被災者になったことはない。もし自分が村人達の立場だったらどうだろうか。たえられるのだろうかこんな状況に。受け止められるのだろうか、突然苦労と思い出の結晶が壊れ、さらに次の日から未来の不安にさらされながらのテント生活が始まるという現実に。考えられるのだろうか次にしなければならないことを。そして笑えるのだろうかあの村人達のように。
途中参加だった自分は知らなかったことだが、来た初めの頃は村全体が暗く沈んでいたらしい。しかしボランティアが入り、再建に向けての小さな、本当に小さな手伝いをし始めてから村に活気が戻ったという。 小さな手伝いが村人に与えた影響は大きい。笑顔が戻り、活気が戻るという非常に大きな驚くべき結果を生み出した。ある人からこんな話を聞いた。「お前たちはまるで天使だ。何も欲しがらなで手伝ってくれる。本当に感謝している!」 これはある村人が言っていたことらしい。 村人を助けたいという聖人のような心を持たず、己の欲求を満たすだけに始めたボランティアなのに、大したことをやった覚えもないのに、村人は笑顔もねぎらいの言葉も、そして大切なはずの食糧でさえも分けてくれる。こんな自分に一番つらいはずの村人が! 今は本当にこの笑顔が消えないことを願い、笑っていられる源に少しでも力添えができたらと感じている。