四川でまたM6.1の地震が起きたとニュースを見たYさんは、さっそく四川に電話しました。成都は多少揺れたそうですが、いつも行っている村はほとんど何も感じなかったそうです。震源は雲南との境の攀枝花で21名が亡くなったそうです。昆明はあまり被害はなさそうです。
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四川省でM6.1地震 21人死亡
【成都(中国四川省)】中国・新華社系のネットニュース「新華網」などによると、中国南部の四川省攀枝花市と同省涼山イ族自治州の境界付近で、30日午後4時半(日本時間同5時半)ごろ、マグニチュード(M)6.1の地震があり、同日夜までに21人が死亡、100人以上がけがをした。
震源は、雲南省の省都・昆明から北西に約150キロ離れた山間部。震源の深さは約10キロ。雲南省では、20日と21日にもM5.0を超える地震が相次いでいた。
( 2008年8月30日23時9分 アサヒコム)
月別アーカイブ: 2008年8月
中国四川省地震救援ニュース-番外-
8月25日にチベットで地震が起こったようです。被害は大きくありませんが、翻訳ボランティアさんが記事を見つけましたので、お知らせします。
≪ドンパ県城被害なし 死傷者報告いまだなし≫
中国国家地震台の測定によると、8月25日21時22分、チベットのシガツェ地区ドンパ県(北緯31.0度、東経83.6度)でマグニチュード6.8級の地震が発生した。震源の深さは10キロ。震源地は海抜5500メートルで人家は少ない。
チベット自治区地震局の責任者によると、ドンパ県とアリ地区の改則(ガイツェ?)県、措勤(ツォジン?)県の3県で揺れを感じた。しかしこの3県の県城では被害は出ていない。3県の政府は各郷鎮からの被害報告を求めているところだ。
ドンパ県の政府職員によると、現在、県リーダーによる緊急会議が行われている。全県13の郷鎮のうち12の郷鎮から死傷者なしとの報告が上がっている。いくつかの郷鎮では強烈な揺れを感じ、一部の家屋に大きな亀裂が生じている。
他の職員に電話で聞いたところ、地震発生時、室内で大きな揺れを感じたが、県城では倒壊家屋や死傷者はでていない。各郷鎮と県城の距離が遠いため、具体的な状況把握をしているところだ。
ドンパ県はシガツェ地区の西部に位置し、海抜4700メートル余り、全県の人口は1.8万人。
(8月26日 新華社西蔵頻道)
≪チベット・ドンパ地震で228軒の家屋が損害≫
チベット自治区ドンパ県の書記である朱江氏に26日電話で聞いたところ、12時までに、いまだ報告が上がってこない辺鄙な地区を除き、地震により228戸の家屋が損害をうけた。死傷者、被害をうけた家畜の報告はない。
朱江氏は、ドンパ県で228戸が被害を受け、そのうち5戸は倒壊の危険があり、223戸に明らかな亀裂がでている。
(以下、省略)
(8月27日 新華社西蔵頻道)
中国四川省地震救援ニュース 80
Yさんの元で1ヶ月ボランティア活動をしたTさんの感想文をお届けします。これは外国人(中国人にとって)ボランティアの感想ですが、中国にもボランティア元年の兆しはあるようです。
なお、Yさんは明日から2週間ほど帰国します。
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目の前に瓦礫の丘がいくつも見える。全壊、壊滅。壊れて、くずれて、ぐしゃぐしゃになったのは建物だけではないだろう。そこの場所が自分の家だったのだろう、生気の抜けた無表情な顔を瓦礫に向けながらおじさんが一人片付けをしていた。これはある被災した町を訪れた時に受けた印象である。
5月12日 四川大地震が起こった。死者約6万9千人 倒壊件数約5百万棟 被災者は約4千6百万人、これは四川人口の約半分にあたる数である。初め自分はそれを見てもなんとも思わなかった。自分とはまったく関係のない他人事。テレビの中にある現実味に欠けた現実。映画を観ている観客のような第三者的視点。被災者の数字は無機質な記号の羅列でしかなかった。
そんな自分がボランティアに参加することになったのは約2ヵ月前である。きっかけはNGO団体CODEに所属しているYさんの話に興味をもったことからはじまる。「NGOの基本理念はやりすぎないことにある。被災者が自ら立ち上がらないことには意味がない。だからやりすぎず被災者ができることを残しておいてあげることが大切」 自分の探していたパズルのピースを見つけたような気がした。この人、そしてこの人のやっていることに携わることができれば何か発見があるかもしれない。そう思った。 なんとも自分よがりでボランティアを始めるにはいささか不純な動機。とにもかくにも次の日からボランティアが始まった。
目的地の村でやるべきことは果てしなくあった。むしろ先が見えないとさえ思った。煉瓦のリサイクル、壁や階段などの打ちこわし、瓦礫の撤去...ETC 何をどこから手をつけていいのか分からないまま他のボランティアメンバーの後に続いて作業開始。 住民が苦労し建設し、そして思い出を積み上げてきたその塊が徐々に形を失っていく。新しく家を建てる為に。新しいローンを抱える為に…さぞ堪えているのではないだろうかという思いがあった。しかし意外なことに村の人たちには活気があった。皆笑顔で迎え入れてくれそして他人を気遣う余裕を持っていたのだ。先に述べた町とは大違いである。
自分は被災者になったことはない。もし自分が村人達の立場だったらどうだろうか。たえられるのだろうかこんな状況に。受け止められるのだろうか、突然苦労と思い出の結晶が壊れ、さらに次の日から未来の不安にさらされながらのテント生活が始まるという現実に。考えられるのだろうか次にしなければならないことを。そして笑えるのだろうかあの村人達のように。
途中参加だった自分は知らなかったことだが、来た初めの頃は村全体が暗く沈んでいたらしい。しかしボランティアが入り、再建に向けての小さな、本当に小さな手伝いをし始めてから村に活気が戻ったという。 小さな手伝いが村人に与えた影響は大きい。笑顔が戻り、活気が戻るという非常に大きな驚くべき結果を生み出した。ある人からこんな話を聞いた。「お前たちはまるで天使だ。何も欲しがらなで手伝ってくれる。本当に感謝している!」 これはある村人が言っていたことらしい。 村人を助けたいという聖人のような心を持たず、己の欲求を満たすだけに始めたボランティアなのに、大したことをやった覚えもないのに、村人は笑顔もねぎらいの言葉も、そして大切なはずの食糧でさえも分けてくれる。こんな自分に一番つらいはずの村人が! 今は本当にこの笑顔が消えないことを願い、笑っていられる源に少しでも力添えができたらと感じている。
中国四川省地震救援ニュース 79
Yさんと最初からずっと一緒に活動してきたHさんが感想文を寄せてくれました。Yさんはこれを読んで泣いたそうです。
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私は今までなんとなく生きてきた
世の中の出来事は特に興味がなく
すべて人ごとで、すぐに忘れていく
自分の暮らしでイッパイいっぱいだった
5.12四川文川大地震が起きたとき 私は中国を旅行していた
地震関連のニュースがテレビを埋め
犠牲者は増え続け、瓦礫の下にはまだ人が埋まっていた
懸命に続く救助活動、地震のことで頭がいっぱいになった
自分の中で今まで人ごとのように見ていたそれが 目の前にあった
やっとこさ完済した借金、やっとこさえた自分の時間
日々の生活に追われて生きてきた今までは、そんなこと考えもしなかった
自分の目で見ようと思い 自分の手で何かをやりたくなった
成都行きのチケットを買った
着いたのはいいがよく考えてみると何をしていいのかさっぱり分からない
自分にいったい何ができるのだろう
自分は何の特技も、知識もなく右も左も分からない
目指す場所は決めていたが、浅はかだと思った
しかしそこでYさんと出会うことができた
彼らの邪魔にはなりたくなっかったが、何でもよかった何か手伝わせてほしかった
Yさんは快く受け入れてくれ、何も知らない自分に
一から十まで分かりやすく説明してくれた
それからはあっとゆうまに過ぎていった
最初村の人の視線は少し冷たくよそ者を見る目だった
どこから手をつければいいのか分からないほどやる事は山ほどあった
それは村人も一緒だった どの家もほぼ手付かずであきらめているように見えた
それでも遠慮なのか、手伝わなくていいという村人を背に
Yさんの掛け声とともに私の村での2ヶ月が始まった
少しづつほんま少しづつだが村の復旧が進んでいく
村人は活気を取り戻し、私たちとの距離は狭まっていくような気がした
国籍、老若男女、被災者と支援者、皆で汗を流し、飯を食い、笑うた
地震があったのを忘れるくらいただ楽しかった
しかし、日が沈む頃私たちは来た道を帰り、村人は倒壊した家に戻っていく
村人の笑顔やあたたかさの中で大事なことを忘れかけた時
被災者によりそい彼らの痛みを受け止めようとするYさんがいた
終わりの見えない作業、暑さと疲労で
自分に甘えそうになった時
いつも横には必死にがれきと向き合う仲間がいた
服は塩吹き泥まみれで
しゃべるのも嫌なぐらいヨレて歩く帰り道
村人は声を掛けてくる、あなたたちお疲れ様、ありがとう、と
負けじと俺も言ってやる、あなたたちこそお疲れさま
最後の日時間をもらい村を見て回った
どの家にも言葉にならないぐらいの思い入れがあり
そこで高く積まれたレンガのようにコツコツと積み重ねた物があった
それは信頼であり、ちょっとパクらせてもらうと絆のような物だと思う
誰かの力になりたいと被災地にやってきた自分だが
振り返ると私はずっと支えられていた
それは仲間であり村の人たちであり支援者の人たちだ
最後にとびっきりのありがとうをもらった
こんな自分でも誰かの支えになれていたのだと教えてくれた
うれしかった、うれしゅうて、少し照れくそうて、涙が止まらんかった
今回の悲惨な大地震、私は忘れません
そしてこれから少しでも応援させてもらいたいと思います
皆さんほんまにありがとうございました
中国四川省地震救援ニュース 78
続けてのYさんレポートです。
被災地の村は、今、再建に向けて少しづつ動き出してきている。再建の場所を確保する為にわずかに残った家の壁などを崩しては使えるレンガと瓦礫と分別し、再建のスペースを作る。
ある日、突然いつもの村に軍がやって来た。再建に向けた瓦礫の撤去の為に雲南省から来たそうだ。あるボランティアの仲間は、「ああ、これで俺たちのやることがなくなった。。」と思ったという。
そして翌日再び村に行くと昨日いた軍が一人もいない。いつもお世話になっている組長に尋ねると「ああ、彼らはだめだ。ハンマーで全部崩してしまって使えるレンガまで壊してしまう。お前らはちゃんとわかってくれているからなあ。」と言って軍を追い返したそうだ。
この2ヶ月半ずっと村人と汗を流して来た中で村の人たちはちゃんと僕らを評価してくれているんだと改めて感じた。素直に嬉しかった。
中国四川省地震救援ニュース 77
久々ですが、Yさんレポートをお届けします。
四川の夏は暑い。成都から車で2時間半かけて被災地の北川県の村へと毎日通う。暑い日中、村の人はあまり外に出ずに、日陰でゆっくり過ごす。僕たちが村に着いて「さあ、やるぞ!」と瓦礫の片付けをやろうとすると「暑いから休め。。」と言う。時にムシロを使って日陰を作ってくれる。そんな心遣いがありがたい。
瓦礫の中から使える木材、レンガ、瓦を取り出しては分別する。レンガにくくっついたセメントを削り落として再利用する。また崩れ落ちた柱をハンマーで叩いて、中から細い鉄筋を取り出す。そんな作業を毎日していると、本当にセメントやレンガの脆さ、鉄筋の細さ、異常に重い鉄筋コンクリートの屋根をレンガだけの壁が支えている軟弱な構造が素人目にも分かってくる。ボランティアの中にも「この家のレンガは特に脆い」という人も出てくる。
今、被災地ではようやく再建に向けて少しづつ動きだそうとしている。この機に従来の家屋の構造や資材の質についての指導を地元政府にお願いしたいものだ。さもないと同じ事を繰り返す。この地震で無くなった約8万人の方のためにも残された者は、学ばなくててはいけない。瓦礫の片付けをしながらそんな事を思った。
中国四川省地震救援ニュース 76
災害発生から約2ヶ月という早い時期に、経済的自立と女性の就業支援というソフト面に目を向けた活動が開始されています。これからの復興支援活動に与える影響を考えると注目です。
以下、CODE翻訳ボランティアさんによる情報です。
≪アバ州:女性の就業支援に「羌繍支援計画」開始≫
7月24日、アバ・チベット族チャン族自治州の人民政府などが主催する「羌繍支援計画」が成都で始まった。この計画は一面で被災したチャン族の女性に収入源を提供するほか、国家級の文化遺産である「羌繍」を保護する目的もある。
「羌繍試験計画」はその公益的な性格から、政府が後押しし、企業と同じ水準で運営をする。「支援センター+支援駅+支援点+個人」の方式を採用し、被災地で人員募集と羌繍の訓練を行い、総本部である成都の支援センターで統括と販売を行う。収入は労働に対する報酬やチャン族文化保護に利用される。
計画では、今年の末までに初歩の生産、管理、販売体制を確立し、6000人の就業問題を解決する。2010年末までには、3万人の就業を実現し、羌繍文化産業集団を基本的に形成し、被災地の復興再建に寄与する。
アバ州チャン族女性就業支援センターの顔俊輝主席によると、この計画は発表されてすでに1か月が経過しているが注文はパラパラとしか来ていない。現在6つの企業が支援センターと契約に向けて協議中で、投資額は数百万元が見込まれる。
支援センターは「淘宝網」上にネットショップを開設し、関心のある人が選びやすいようにしている。
また顔主席によると、この計画は羌繍を通して自力更生をしたいと願っているすべての女性に開かれているとのことだ。
チャン族の刺繍は、その構図、配色、方法すべてに特色をもつ。羌繍の色彩は豊富で図案は古朴精美、花と雲の模様が常に使用されている素材である。靴に雲の模様が刺繍されている「雲雲靴」はチャン族の「雲の上の民族」としての代表的なものだ。
(7月24日 新華網)
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中国四川省地震救援ニュース 75
中国の学校は9月が新学期。6月が年度末です。学校の夏は受験と夏休みの大イベントの季節です。被災地では、安全で空調のある仮設の試験場を確保するため、大学受験の時期が延期され、7月3日から5日に無事おこなわれました。
以下、CODE翻訳ボランティアさんによる記事です。
「広東共産党青年団、四川地震被災地へ赴き「二つの再建」を推進」
広東の2名の幹部職員は4日、ぶん川映秀鎮に入った。広東青年社会団体の関連責任者も学生を募集し、希望小学校の再建やボランティアの派遣などの援助計画を四川に赴き関連部門と話しあうことになっている。
共産党青年団広東省委員会の陳東副書記は、災害後は物質的な建物の再建(実際の家)だけでなく、精神的な面での再建(心の家)も必要であると話す。広東団の組織は支援項目を早急に確定し、災害後の「二つの再建」の実施を進めていく。
先日、広東は四川災害地区に派遣するため4名の幹部職員を選出した。その中で25歳の劉揚さんはぶん川に派遣される二人のうちの一人である。「私たちはまず最初に映秀鎮に入り、当地の委員会と協力しなるべく早く青少年団を組織し、彼らに対し、災害後の精神的なケアスタッフの中核となるよう、精神的な配慮や心理面の援助、衛生防疫、社会管理などの訓練をしていきます」と劉揚さんは語る。
目下、四川災害地区の学生は現在大学受験期間中である。北京科学技術大学天津学院、党委員会の王書記は学生の募集計画のことで被災地に入り、100名の品行方正で優秀な学生を募集。王書記の話によれば、この100名の学生は大学4年間の学費と住居費が免除になり、また一月一人当たり500元の生活費が彼らの大学学業が順調に進むよう援助される。
広東省青年科学家協会王河副会長も広東建築設計界の寄付による希望小学校の計画を持つ。王河副会長は言う。広東建築設計界はすでに災害地区のために500万元以上の募金をした。目下、建設の計画を行っており、環境設計、危機管理などの方面の入札を募集し、災害地区の子供たちのために耐震能力を備え、また広東設計水準の学校が実現することを希望している。
被災地でのボランティア協力の需要に対して、中山大学委員会黄山書記はボランティア派遣のプロジェクトを提供した。現在、中山大学は学校の四川出身の学生に対して心理的な援助、寄り添うこと、組織管理などの方面の訓練を行っている。
訓練終了後、これらの学生は夏休みの時間を利用し故郷に帰り、災害後の再建の仕事を支えることになる。
陳東副書記は語る。四川出身のボランティアは言語や心理的な方面で優位である。今まさに夏休みの期間であるので、広東の各大学委員会と青年団は四川出身の学生達のボランティアの帰郷を手配している。彼らが支持を得られ、被災地の同胞を励まし一緒に難関を乗り越え、災害地区の物質的な面(実際の家)と精神的な面(心の家)の再建の力となることを望んでいる。
新華網 2008年7月5日 18:14